えんちょうせんせいの部屋とは
2020年度から三次中央幼稚園の園長を務める 田房葉子のことです。
自分の保育実践や主任教諭としての経験をもとに、様々な観点から保育と子供の育ちを見つめた所感をまとめ、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載しています。子育ての参考にしていただければと思います。
2023年8月30日 11:40 AM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:ad-mcolumn
2020年度から三次中央幼稚園の園長を務める 田房葉子のことです。
自分の保育実践や主任教諭としての経験をもとに、様々な観点から保育と子供の育ちを見つめた所感をまとめ、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載しています。子育ての参考にしていただければと思います。
2023年8月30日 11:40 AM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:ad-mcolumn
先日は、今年度最後の保育参観を行いました。子供達は、幼稚園にお家の人が来てくださる事をとても楽しみに当日を迎えました。お子さん達の様子はいかがだったでしょうか?一年間の中で積み重ねてきた成長をひとつでも多く感じていただけたなら大変嬉しく思います。
先生達もまた、この一年で子供達がどのように友達や担任と関わり、どんな姿を見せてきたのかを感じ取っていただけるよう願いながら当日を迎えました。
観てもらう子供の気持ち
子供達にとって、お家の人達に観てもらうという事は、嬉しさとドキドキが入り混じった特別な出来事です。
お家の人達が来てくださることは嬉しい……けど、ちょっぴりドキドキします。頑張っている姿を観てもらい、「良く頑張ったね」「お母さんも楽しかったよ」等と認めてもらえる──それは大きな喜びです。また、大好きな先生や友達と仲良くしている姿を「見て欲しい」「自慢したい」という嬉しさもあります。
その一方で、「頑張らなくっちゃ」と思う気持ちが大きくなり過ぎて自分でハードルを上げてしまったり、気持ちが高ぶってはしゃぎ過ぎたり、恥ずかしくなったり──。それまではとても楽しみにしていたのに、いざその時を迎えると、普段とは違う雰囲気にのまれてしまい、いろいろな気持ちが一度に押し寄せて来て子供の心は大忙しになるのです。勿論、先生達は、そのような事も想定して子供達がいつもの姿で保育を受ける事ができるように言葉をかけたり環境を整えたりして見守ります。
成長はコツコツと
子供達が見せる様々な姿は、どれも心の中にある本当の気持ちの表れです。このような揺れ動く気持ちを何度も何度も繰り返しながら、自分の心と向き合い、達成感を味わったり今の自分を超えるための攻略法を見つけて行きます。5月に行った今年度初めての保育参観とこの度の保育参観とでは、お子さんの様子にわずかながらでも変化があったのではないでしょうか?皆が皆そうとは限りませんが、人前で表現できたり、お家の人から離れられず涙が出ていたのに、笑顔で参加できていたり、声が大きくなっていたり……。入園・進級の頃の事を思い返すと、その変わり様(成長)には拍手を送りたくなります。
この一年の間には、5月の保育参観・わんぱくチャレンジ・メロディーチャレンジそして、今回の保育参観等保護者の方にご覧いただく機会が何度かありました。お子さんの成長を目の当たりにしていただけたのは、これらの時だけだったと思いますが、幼稚園内での一年を通したたくさんの経験も、着実に子供達の心を強くし、自分発見から自己肯定感へ、試行錯誤やチャレンジが、自信と次なる目標への意欲を積み上げてきたと思います。保護者の方に観ていただく機会は、子供達にとってその過程の中における“スパイス”のようなものです。日常の気が付かないくらいの小さな成長の積み重ねの時々にその間の大きな成長としてお家の人達に観て認めてもらえる事は、成長を自覚でき、自信を持たせてもらえるピリッとしたスパイスになると思うのです。その時点での成長とその後の伸びしろに期待を寄せながら、お子さんのこの一年を観ていただけたのではないでしょうか?
成長を支えたものは
子供達の成長には、いつの時も、友達の存在が大きくあります。喧嘩をしては仲直りしながら、怪我や体調不良を労わり合いながら、悲しさと喜びを分かち合いながら、励まし合いながら過ごしてきた事で、3歩進んで2歩下がる程ゆっくりゆっくり信頼関係が築かれてきました。幼稚園という小さな社会の中に、切磋琢磨した子供達の存在は欠かせません。そして、先生達もまた子供達の成長の道しるべの一端を担う者として欠かせない存在であったはずです。
今年度も残りわずかとなりました。子供達は次のステージへと進みます。そこには、年長組の折角仲良くなった友達だったのに、進学先も違い、進級してもクラス替えがあります。先生も変わります。子供達にとっては、大きな“別れ”です。ずっと同じ顔触れで過ごす安心感は大きいものですが、環境が少し変わる事によって新たな場所や人との出会い、人間関係の広がりと共に、多様な気持ちを知り更に幅広い対応力が育ちます。そして、今の自分の殻を脱ぎ新たな自分を発見するきっかけにもなるでしょう。“出会い”によって更に育てられるのです。
別れと出会いは、子供達にとって必要な経験です。別れがあれば、必ず新しい出会いがあります。その繰り返しの中で、物の見方や考え方が少しずつ変わり、成長した自分で再び誰かと巡り合うこともあります。別れとは、忘れ去るものではなく、むしろ次への生き方を豊かに膨らませてくれる大切な経験なのです。
進級する子供達には、ずっとこの場所で見守り応援していたいと思います。
そして、3月に卒園する子供達には、この“別れ”の大切な意味を感じ、三次中央幼稚園で育った自分を誇りに思って欲しいと願っています。成長を認め、応援してくれる人がたくさんいる事に自信を持って、これからも豊かで愉快な人生を歩んでいって欲しい──心からそう願いエールをおくりたいと思います。
先生達もまた、この“別れと出会い”を今噛みしめています。
2026年2月27日 4:44 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
年長組の子供達が毎月経験するお茶会──今月の花は蝋梅(ろうばい)でした。この寒さの中でも可愛く黄色い花を見せてくれます。その日は大寒でしたが、蝋梅の花の香は、三寒四温の季節の中、一歩一歩訪れる春を子供達と一緒に感じさせてくれました。
セルフレジとおばあちゃん
スーパーに買い物に行ったある日の事です。レジに並ぶ私の前におられたご高齢の女性とそのひ孫と思われる男の子が会計を済ませた後、店員さんに促され、支払い機の前に立たれました。すると、「はぁ、最近はどこへ行ってもこんなふうになってるんじゃな」とその女性。案内表示される数字や言葉にすぐに反応できず、少し時間がかかっていたようでした。すると、それを見ていた小学校低学年程のお孫さんは、「おばあちゃん、この中にお金を入れて、一枚ずつじゃあなくていいんだよ。全部入れて。うん、そうそう、そうしたら、この画面のここを押す。ほら、おつりがこことここに出てくるでしょ。全部とってね。」──そのおばあさんは、タッチパネルに臆さない孫のナビゲーションのまま支払いを無事済ませる事ができました。「○○くんはよくわかってるんだねぇ~。おばあちゃん助かったよ。」と言われるとその子が「うん!いつもお母さんがしてるのを見てるから、それと、学校でもこんなのやってるよ。」と答えました。「もう、おばあちゃんよりすごいね。」と話しながらお店から出て行かれました。
IT社会の変化と子供達
世の中が、ここ数年で(ちょっと言い過ぎでしょうか?)随分変わってきました。レジシステムに限らず、アナログからデジタルに……IT社会が進み、子供達のごっこあそびでも、スマホは当然、お店屋さんごっこともなれば、バーコードの読み取り「カードでおねがいします」と言えば、「ピッ」とキャッシュレス決済──遊び方も以前とは違ってきました。子供達の中でも当たり前に、ITが存在しているのです。もう、ついていけな~い!!と思うほど、この変化は加速しています。私が幼かった頃、こんな時代がやってくるなんて思ってもいませんでした。デジタル化が進んだ反動で、アナログの良さが見直されるという話題もあります。しかし、もうあの頃の世の中に戻る事はないでしょう。子供が持つなんてとんでもないと思っていたスマホも、タブレットも今は当たり前のように小学生から持ち始めているようです。それが果たして正しい事なのかどうか確かな答えが出せないまま、あれよあれよという間にここまで来たような気がします。
更に、今やAIの時代に……。知りたい事は何でも教えてくれる、悩み相談でも請け負って解決してくれるのです。なんと!すごい時代がやってきました。でも、これらの進化した世の中のシステムに、医療・経済社会・安全な生活社会等においてその向上には、大きな恩恵を受けている事も確かです。今後の成長に期待さえしています。
AIの受け入れ方──だからこそ大切に育てたい事
今月行われた共通テスト問題を最新生成AIに解かせたら、ほとんどの科目で満点だったというニュースに驚きました。点数を落とした科目は国語や社会で、一般論で回答したため、その文章に見え隠れする人間の感情や心理を読み取っての理解不足や微妙な色の識別不足による減点だと分析されていました。
AIをまだ完全には受け入れきれていない私としては、まさに“こういうところだな”と感じました。
AIは、あらゆる情報を集め処理しそれを駆使し答えを出してくれます。様々な情報を入手できていなかったら、答えを出せないのです。AIは、与えられた情報をもとに答えを導きます。経験や感情から新たに生み出したり判断したりすることはできません。想像力を使って柔軟に対応することも苦手らしいです。膨大な情報がないと対応できないその性質は、どこか子供達の生活を思わせる気がします。経験から子供達は様々な事を学びます。間違ったり失敗したりしながら、正しい事を知ったり目的を果たすまでのより良い方法を導き出し、技術や人間関係や知識を積み上げていくのです。その経験が多い程、学べる事は多く、深まって行きます。更に、言葉にできない微妙な感情の動きをも経験し、その場面場面で、感情をコントロールしながら人間同士の“おたがい様”の付き合い方を身に付けて行きます。これは、AIには真似できない、人間ならではの力だと思います。
子供達のすぐ隣にAIが存在する世の中になってきました。これからは、それを使いこなさないと生きにくい場面も増えてくるのかもしれません。しかし、AIに頼りきる前に、この幼児期には、知りたいやりたい触れたい等、持ち合わせている五感をしっかり使いながら経験し、その経験を繋げて自ら答えを導き出すいろいろな力を育てる事が大切だと思っています。子供達の人間力を育てる学びの現場は“あそび”です。
あそびの中には、AIが苦手とする部分を補える“人間力”の育ちが確かにあります。子供達の柔らかい頭と純粋な心で、人としての土台をしっかり培いながら、AIと共に未来を切り開いていけるよう、私たち大人も学び続けたいと思います。AIにできなくて人間だからこそできる事はまだまだありそうです。
ちょっとした事を教えて欲しい時、アレクサに聞きます。…が、その物体に呼びかける第一声「アレクサ」が思い出せない私です💦AIについて行きたい!!
2026年2月13日 5:46 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
今年は暑さを感じる時期が長く、11月になってからも朝は寒いが日中は暖かい──そんな日が続いていました。でも、さすがに12月の声を聞いて、ようやく…いえ、ついに、冬の寒さが身にしみるようになって来ました。気が付けばもう今年もあとわずかです。街を彩るイルミネーションに冬の到来を感じます。
「踊りた~い」気持ち
今月中旬のある朝の事です。年少組の担任の先生が席を外している間、クラスに入っていた時でした。ある女の子が「ねぇ、園長先生、曲をかけて!」と言いました。「今度、先生がマラカスを配ってくれるんだよ」と言うので、なるほど、今度のメロディーチャレンジ(音楽発表会)にステージで踊る曲の事を言っているのだなと思い、そのクラスの曲のCDをかけました。前奏が始まると、あっという間にいつもお部屋で踊っている自分の立ち位置にそれぞれが立ちました。その姿から、練習を楽しんで頑張っている事がうかがえました。でも、まだみんなが踊れているわけではなく、覚えていないまま思い思いに身体を動かしている子もたくさんいました。私もその踊りを覚えていなかったので一緒に踊りたいと思い、お手本になる子を見つけようと見回しましたが、どの子を見れば正解なのかわからないほど(笑)、みんなそれぞれにリズムを感じて踊っていました。揃うのは途中に何度かあるかけ声だけでした。それでも子供達は友達と顔を見合わせて楽しそうでした。
ひとつの曲に感じた思いを身体を使って表情いっぱいに表現する事、そこに実は“正解”なんてないのです。その曲に耳を傾け、そのリズムに合わせて自分の気持ちにぴったりはまる動きをする──音楽で自分の気持ちを表現する楽しさを知るのです。
そして、友達や先生と一緒に踊る事で、周りの人のダンスを見て刺激を受け、同じ気持ちの表現に共感しながら段々と一体感を楽しめるようになってきます。そして楽しさが何倍にも膨らんでいく事を実感し、子供達の自由な表現が、やがて“みんなで”の楽しさに繋がっていきます。
「1曲を味わう──“個”から“みんなで”」
メロディーチャレンジには、年少組は踊り、年中組と年長組は合奏で、子供達のチャレンジを披露します。いつも、本番を終えた後、保護者の方から「いったいどんなふうに子供達に教えたらあんな演奏ができるんですか?」と子供達の演奏を聴いて、子供達の頑張りもさる事ながら、先生達の指導にも関心を寄せてくださいます。その手法はなかなか文章や言葉では言い尽くせません。ですが、言えるとしたら──子供達と先生達の努力や支え・応援・信頼等いろいろな絆によって形になった音楽を通した一つの成果だという事です。
合奏は、たくさんの楽器でパート別の様々なメロディーを同時に演奏して出来上がります。最初、クラス毎で演奏する曲を聴き、その曲を自分達で演奏できる事を目標にして、子供達一人ひとりとパート別の練習を地道にやって行きます。「できる!できた!」という気持ちを引き出します。それから徐々に同じパート(楽器)をする子供達が数人集まってパート別の練習をします。時には補い合い、時には負けん気を出して切磋琢磨しながらパート演奏を楽しみます。自分本位ではなく、そこにも協調が必要な事に気付いていきます。そして自信が持てた頃、違うパートが集まり音を少しずつ重ねて、合奏につなげて行きます。更に、音の世界が広がります。
合奏してみるとそれぞれの音がその曲のイメージを豊かに表現している事に気付きます。友達が奏でるパートの音にも耳を傾け、難しいながらも、自分の中に取り込んでいく面白さを知ります。一曲に込められた思いや感情を「元気に」「風が爽やかに流れて行くように」「戦っているように」「優しい気持ちで」等とその情景を思い浮かべながら音で表現するのです。自分一人ではなく、みんなで曲を理解して同じ気持ちで曲を味わう──これこそ合奏の醍醐味だと思います。
「メロディーチャレンジが育てる力」
メロディーチャレンジでは、育てたいいろいろな力があります。踊りや合奏が上手にできる事が最終目的ではなく、この取り組みは、子供達の潜在意識の中にある社会性をより確かなものに変えて成長に結び付けて行くための経験の一つと考えます。“友達と仲良くする” “助け合う” “約束は守る” “がんばるって楽しい”…等をこの経験により実感するはずです。気持ちを伝え合う事、共感し合い認め合う事、一人では成し得ない事を目標に向かって共に頑張る事がどんなに大切かを確信するのです。
これまで、植えて来た「チャレンジ」という種が、これからの子供達の人生の中で生きるために発揮する様々な力となって芽を出し花を咲かせ実をつけてくれる事を願っています。
ここにこそ、「みんなで一緒に」何かに一生懸命取り組む事の大きな意義があるのだと、あらためて感じています。
メロディーチャレンジでは、子供達が表現する音楽を保護者の皆様と一緒に味わいたいと思います。そして、子供達一人ひとりの頑張りどころを認め、どんな姿にも「ブラボー!」の拍手をおくってあげてください。それはきっと、子供達の心に大きな自信となって残ります。
2025年11月27日 4:27 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
今年は秋の訪れが遅く、暦の上では秋なのに、服装は夏のまま…なかなか秋の気配を感じる事ができないでいました。しかし、ここに来て、急に身体がびっくりするような寒い朝を迎えるようになりました。いよいよ秋本番です。
紅葉する木々を眺め、おいしい自然の恵みをしっかりいただき、夢中になって楽しめる事をして、心と身体で秋を感じたいものです。
十五夜のお茶会「月にうさぎはいるか?」
さて、年長組の子供達が毎月経験しているお茶会での事です。毎月、その月や季節に合った掛け軸・香合・花を飾って季節の話に耳を傾けます。更に、自分達の身の回りにあるものに関心を示しお茶やお菓子を出したりいただいたりしながら、物を大切に扱う事や、相手に対して感謝や思いやりの気持ちを持ち、人との良い関係を築く心の育ちを期待しています。
今月は、十五夜にしつらえた中で満月の掛け軸を見ながらお茶の先生が、「お月様に何が見える?」と聞かれ、ほとんどの子が「うさぎ!うさぎがおもちつきしてる!」と答えました。「そうね。そう見えるよね。」と先生も共感してくださいました。そして、「月の中にうさぎがいるの?いると思う人!」と聞かれるとまたまた、ほとんどの子が「は~い」と手をあげました。中には、半信半疑の顔をした子や「お母さんがいないって言ってた」とか言う子もいましたが、ひとしきり話した後で、先生が「実はね、月へ行った人はいるんだけど、月でうさぎに会った人はまだいないのよ~。」と切り出されると、子供達は更に興味深く聞き、「この中に、宇宙飛行士になりたい人いる?もし、いたら月に行って確かめて来て欲しいの。」と言われて手をあげる子が数人いました。その中の一人の男の子が「わかった!じゃあ、僕が行ってうさぎに会って来る!そして、ついたお餅を食べさせてもらう!おかわりもたくさんしておみやげももらって帰って来る!」…………その子の話は止まらなくなりそうなくらい空想の世界が広がっていました。彼の頭の中には、うさぎと仲良くなった自分がしっかり見えていたのでしょう。浪漫を語るその子の笑顔がとても純粋で素敵でした。
うさぎはいないと思う
その中で、「私、うさぎはいないと思う。YouTubeで調べたもん。」とそっと私に教えてくれた女の子がいました。「えっ!じゃあどうして、うさぎに見えるの?」と私もまたこっそり聞き返すと「あれはね、……そう見えるだけなの」と少し戸惑いながらの返事でした。でも、うさぎが住んでいる話で盛り上がっている最中に大きな声で言えなかったのは、その場の空気を読んだのとYouTubeで調べたとしても、その女の子は納得しきれていなかったからでしょう。どこかで、やっぱりうさぎは存在するのでは?という浪漫を抱いていたのではないかと思うのです。
自分だけの世界は浪漫
子供達は、いつも浪漫を抱いています。実在しないアニメやキャラクターに憧れてヒーローごっこをしたり、着飾ってなりきって遊ぶ事も、段ボールや新聞紙、空き箱等いろいろな廃材を使って、家や街や自分だけの世界を作る事も、思い思いの絵を描いてその中に自分や友達や家族を登場させ想像する事も、これら全て子供の浪漫だと思うのです。
実際にはない話や存在しない人(?)生き物、また不可能な事でも子供達はその浪漫の中で想像を最大限に膨らませながら、頭や心の中ではあたかも現実かのように遊ぶのです。自分でつくる世界なのですから自由です。自由に考え、自由に楽しめるのです。
こんなに楽しくわくわくする事はありません。そうしながら、(もっとこうしたい)(こうしてみたらどうだろう)と世界とあそびと夢を深めようとします。子供達にとっては、大切な夢の世界です。その世界の中で、子供達は自由に想像し夢を追い求め自分らしい育ちをしていきます。
そんな子供の浪漫をそ~っと見守ってあげましょう。「そんな事あるわけないじゃん。それは間違いよ。」と、即、正解を求め現実に引き戻さないでください。大人目線で、その浪漫を否定されたり壊されたりすると、夢を見たり求めたりしながら育つはずの向上心にストップがかかります。子供達は、夢と現実の世界の狭間を行ったり来たりしながら大人になっていくのだと思うのです。私達大人もそうしながら今やっと現実に向き合って生きているのではないでしょうか?
浪漫を抱く子は自分らしい道を開く力を持っている……かも
月にうさぎがいるかいないか。いつかはきっと、本当に調べて真実を知りたい時が来ます。それまでは、うさぎがおもちつきをしてたくさんたくさん作ってくれて、宇宙飛行士になった時、たくさんご馳走になりたいと想像を膨らませながら、月を見あげてもいいじゃないですか。もしかしたら、そう言った男の子は、月にうさぎが存在するかどうかを確かめるために宇宙飛行士になる夢を追って勉強しようと思うかもしれない、本当にヒーローになりたくて自分の演技力を試そうと芸能界に興味を持つかもしれない、段ボールで秘密基地を作りながら本当の住み家を作るために建築家を夢見る子になるかもしれない。こうして子供の浪漫がその子の世界を広げ、いつか自分の生き方に影響していく事もあるのです。
子供達の自由な想像力と発想に共感して保障してあげる事で、未来への大きな夢に繋がって行くような気がします。そして、どんどん自分が決めた夢を成し遂げる子供達が育って行く───こんな想像もまた私達の浪漫です。
2025年11月19日 7:10 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
日の短さに季節の移り変わりを感じます。夜にはスズムシの鳴き声が夏の終わりを伝えてくれています。日中はまだ暑さが残りますが、それでも、日差しの強さは和らいで来ました。“読書の秋”“食欲の秋”“芸術の秋”等と言われるように、五感でこの秋を楽しみたいと思います。
気の利く子
ある日の降園時間の事、“おむかえルーム”で、その日も、私が子供達に絵本を読み聞かせながらお家の方のお迎えを待っていました。年少組の一人の女の子が、「園長先生!トイレに行ってくる!」と言ったので「荷物を置いて行っておいで。そろそろお母さんがお迎えに来られるからね」と返すと、急いでトイレに向かって行きました。少しすると、その子のお母さんが迎えに来られました。
私は、荷物を渡そうと見回しましたが、見当たりませんでした。すると、隣に座っていた同じ年少組の女の子が、「さっき、私が、テラスに持って行っておいたよ。もうすぐママが来ると思って……そしたらここに戻らなくても、すぐに帰れるかなぁと思って」と言いました。なんと、気の利く子だろう!と驚きました。
誰に頼まれたわけでもなく、自分でそう思ってした行動だったのです。この年齢で、そんな事を考えられるという事に感心しました。おかげでトイレに行っていた女の子は、すぐにママと帰る事が出来たのです。その子は、そんな気遣いがあったことにも気づかず、帰って行きました。
荷物を置いてくれた女の子も、感謝される事を期待もせず、テラスから帰って行く友達の背中をチラッと見るだけでした。こうしたらあの子がママの所へ直ぐに帰る事ができるだろうと想像して起こした行動でした。
僕にできる事
昼食後にはデリバリー弁当の空容器を各クラスのお当番さんや先生から頼まれた子供達が、職員室まで運んで来てくれます。何人かで、運んでいる様子を見ていると、お弁当箱を入れるケースの両サイドを持つ人と間を持つ人でちょっとした騒ぎの中、張り切って運んでくれます。その中に入り切れなかった子供達は、どうしてもそのケースが持ちたくて「ちょっと寄ってよ~」「私も持ちたい!」と騒いでいる中、一人の男の子が、その列から外れて前を歩き、テラスに落ちているゴミを拾ったり、「お弁当が通りま~す、横に寄ってくださ~い」と誘導していました。そして、最後は、お弁当ケースがスムーズに職員室に入るように、ドアを開けて、サポートしてくれていました。
そのケースを直接持って運んだ子供達は実に満足そうでしたが、後ろの方でニコニコ静かに微笑んでいるその男の子は、お手伝いをする子達のサポートができた事に満足そうでした。
往々にして、そんな主役達に脚光を浴びせてしまいがちですが、表舞台に立つ人が立派な姿や結果を出せるのは、その裏で、大きな仕事をしてくれる人の存在は欠かせません。縁の下の力持ちがいてくれるおかげで、主役達は、安心して自分の持つ力を発揮できるのです。
主役を支える裏方業
幼稚園では、明日から「わんぱくチャレンジ」を学年別に3日間行います。毎年、年少組と年中組の「わんぱくチャレンジ」では、年長組の子供達が、プログラム毎に自分より小さな子供達のサポート役になってくれます。かけっこのトラックにコーンを置く・走り込んでくる子をゴールテープで迎える・競技で使うグッズをトラック内に運ぶ・持つ・応援する・アナウンスでプログラムを紹介する…等、その日の主役の活躍を裏方となり支えるのです。その裏方さんの存在のおかげで、小さな学年の子供達は安心してプログラムに挑む事ができるのです。
何人かで別れてサポートするので、その中でもリーダー役が出てきたり役割を先生に代わって友達に教えてあげたりする様子がみられます。頼もしい限りです。初めは、自分が何をして、それがどんな意味を持ち、どんな成果につながるのか──誰のために、どう役に立っているのか、わからないまま、与えられた役をこなしていくばかりでしたが、先生から具体的にその意味を説明してもらい実際に動いてみると、自分の裏方としての役割の必要性や、そのおかげでプログラムが楽しく進んでいく事を実感できると、張り切って裏方の役割を頑張ってくれるようになってきました。アナウンス役の子供達は、実況中継をしたり、ゴール手前では、「もうすぐゴールだよ!がんばって~!」と選手を励まし、転んでしまった時にはその場を見て「転んでも最後まで走って凄いよ~!」と気持ちのサポートをしてくれたりするようになりました。これらのサポートがあるおかげで、その日の主役であるちびっこ選手達は、より一層輝けるのです。その事を実感できた時に裏方の醍醐味と達成感を味わえるのです。
誰かのために、自分にできる事はないか?自分は今どう動き、言葉を発したらいいか?そうしたら、どうなるのか?を自分なりに状況を見て、考えて想像をして行動に移す──。ただ、指示を受けて言われた通りに動くのではなく、思慮深く動ける人は誰からも信頼を受けます。裏方の役割には、そんな魅力があるような気がします。こう考えると、俗にいう“お節介”も“出しゃばり”も、ある意味、気を利かせる行動の一つなのかもしれませんね。
気を利かせて行動する姿の中に思いやりの気持ちが育まれている事を感じます。頼もしい可愛い裏方さんなのです。
一つの事を成し遂げるためにそこに集う力のどれもが、欠かせない大切な力である事を 全ての子供達に光をあてて讃えたい気持ちでいっぱいです。
2025年10月27日 12:11 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生