えんちょうせんせいの部屋とは
2020年度から三次中央幼稚園の園長を務める 田房葉子のことです。
自分の保育実践や主任教諭としての経験をもとに、様々な観点から保育と子供の育ちを見つめた所感をまとめ、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載しています。子育ての参考にしていただければと思います。
2023年8月30日 11:40 AM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:ad-mcolumn
2020年度から三次中央幼稚園の園長を務める 田房葉子のことです。
自分の保育実践や主任教諭としての経験をもとに、様々な観点から保育と子供の育ちを見つめた所感をまとめ、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載しています。子育ての参考にしていただければと思います。
2023年8月30日 11:40 AM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:ad-mcolumn
今年は暑さを感じる時期が長く、11月になってからも朝は寒いが日中は暖かい──そんな日が続いていました。でも、さすがに12月の声を聞いて、ようやく…いえ、ついに、冬の寒さが身にしみるようになって来ました。気が付けばもう今年もあとわずかです。街を彩るイルミネーションに冬の到来を感じます。
「踊りた~い」気持ち
今月中旬のある朝の事です。年少組の担任の先生が席を外している間、クラスに入っていた時でした。ある女の子が「ねぇ、園長先生、曲をかけて!」と言いました。「今度、先生がマラカスを配ってくれるんだよ」と言うので、なるほど、今度のメロディーチャレンジ(音楽発表会)にステージで踊る曲の事を言っているのだなと思い、そのクラスの曲のCDをかけました。前奏が始まると、あっという間にいつもお部屋で踊っている自分の立ち位置にそれぞれが立ちました。その姿から、練習を楽しんで頑張っている事がうかがえました。でも、まだみんなが踊れているわけではなく、覚えていないまま思い思いに身体を動かしている子もたくさんいました。私もその踊りを覚えていなかったので一緒に踊りたいと思い、お手本になる子を見つけようと見回しましたが、どの子を見れば正解なのかわからないほど(笑)、みんなそれぞれにリズムを感じて踊っていました。揃うのは途中に何度かあるかけ声だけでした。それでも子供達は友達と顔を見合わせて楽しそうでした。
ひとつの曲に感じた思いを身体を使って表情いっぱいに表現する事、そこに実は“正解”なんてないのです。その曲に耳を傾け、そのリズムに合わせて自分の気持ちにぴったりはまる動きをする──音楽で自分の気持ちを表現する楽しさを知るのです。
そして、友達や先生と一緒に踊る事で、周りの人のダンスを見て刺激を受け、同じ気持ちの表現に共感しながら段々と一体感を楽しめるようになってきます。そして楽しさが何倍にも膨らんでいく事を実感し、子供達の自由な表現が、やがて“みんなで”の楽しさに繋がっていきます。
「1曲を味わう──“個”から“みんなで”」
メロディーチャレンジには、年少組は踊り、年中組と年長組は合奏で、子供達のチャレンジを披露します。いつも、本番を終えた後、保護者の方から「いったいどんなふうに子供達に教えたらあんな演奏ができるんですか?」と子供達の演奏を聴いて、子供達の頑張りもさる事ながら、先生達の指導にも関心を寄せてくださいます。その手法はなかなか文章や言葉では言い尽くせません。ですが、言えるとしたら──子供達と先生達の努力や支え・応援・信頼等いろいろな絆によって形になった音楽を通した一つの成果だという事です。
合奏は、たくさんの楽器でパート別の様々なメロディーを同時に演奏して出来上がります。最初、クラス毎で演奏する曲を聴き、その曲を自分達で演奏できる事を目標にして、子供達一人ひとりとパート別の練習を地道にやって行きます。「できる!できた!」という気持ちを引き出します。それから徐々に同じパート(楽器)をする子供達が数人集まってパート別の練習をします。時には補い合い、時には負けん気を出して切磋琢磨しながらパート演奏を楽しみます。自分本位ではなく、そこにも協調が必要な事に気付いていきます。そして自信が持てた頃、違うパートが集まり音を少しずつ重ねて、合奏につなげて行きます。更に、音の世界が広がります。
合奏してみるとそれぞれの音がその曲のイメージを豊かに表現している事に気付きます。友達が奏でるパートの音にも耳を傾け、難しいながらも、自分の中に取り込んでいく面白さを知ります。一曲に込められた思いや感情を「元気に」「風が爽やかに流れて行くように」「戦っているように」「優しい気持ちで」等とその情景を思い浮かべながら音で表現するのです。自分一人ではなく、みんなで曲を理解して同じ気持ちで曲を味わう──これこそ合奏の醍醐味だと思います。
「メロディーチャレンジが育てる力」
メロディーチャレンジでは、育てたいいろいろな力があります。踊りや合奏が上手にできる事が最終目的ではなく、この取り組みは、子供達の潜在意識の中にある社会性をより確かなものに変えて成長に結び付けて行くための経験の一つと考えます。“友達と仲良くする” “助け合う” “約束は守る” “がんばるって楽しい”…等をこの経験により実感するはずです。気持ちを伝え合う事、共感し合い認め合う事、一人では成し得ない事を目標に向かって共に頑張る事がどんなに大切かを確信するのです。
これまで、植えて来た「チャレンジ」という種が、これからの子供達の人生の中で生きるために発揮する様々な力となって芽を出し花を咲かせ実をつけてくれる事を願っています。
ここにこそ、「みんなで一緒に」何かに一生懸命取り組む事の大きな意義があるのだと、あらためて感じています。
メロディーチャレンジでは、子供達が表現する音楽を保護者の皆様と一緒に味わいたいと思います。そして、子供達一人ひとりの頑張りどころを認め、どんな姿にも「ブラボー!」の拍手をおくってあげてください。それはきっと、子供達の心に大きな自信となって残ります。
2025年11月27日 4:27 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
今年は秋の訪れが遅く、暦の上では秋なのに、服装は夏のまま…なかなか秋の気配を感じる事ができないでいました。しかし、ここに来て、急に身体がびっくりするような寒い朝を迎えるようになりました。いよいよ秋本番です。
紅葉する木々を眺め、おいしい自然の恵みをしっかりいただき、夢中になって楽しめる事をして、心と身体で秋を感じたいものです。
十五夜のお茶会「月にうさぎはいるか?」
さて、年長組の子供達が毎月経験しているお茶会での事です。毎月、その月や季節に合った掛け軸・香合・花を飾って季節の話に耳を傾けます。更に、自分達の身の回りにあるものに関心を示しお茶やお菓子を出したりいただいたりしながら、物を大切に扱う事や、相手に対して感謝や思いやりの気持ちを持ち、人との良い関係を築く心の育ちを期待しています。
今月は、十五夜にしつらえた中で満月の掛け軸を見ながらお茶の先生が、「お月様に何が見える?」と聞かれ、ほとんどの子が「うさぎ!うさぎがおもちつきしてる!」と答えました。「そうね。そう見えるよね。」と先生も共感してくださいました。そして、「月の中にうさぎがいるの?いると思う人!」と聞かれるとまたまた、ほとんどの子が「は~い」と手をあげました。中には、半信半疑の顔をした子や「お母さんがいないって言ってた」とか言う子もいましたが、ひとしきり話した後で、先生が「実はね、月へ行った人はいるんだけど、月でうさぎに会った人はまだいないのよ~。」と切り出されると、子供達は更に興味深く聞き、「この中に、宇宙飛行士になりたい人いる?もし、いたら月に行って確かめて来て欲しいの。」と言われて手をあげる子が数人いました。その中の一人の男の子が「わかった!じゃあ、僕が行ってうさぎに会って来る!そして、ついたお餅を食べさせてもらう!おかわりもたくさんしておみやげももらって帰って来る!」…………その子の話は止まらなくなりそうなくらい空想の世界が広がっていました。彼の頭の中には、うさぎと仲良くなった自分がしっかり見えていたのでしょう。浪漫を語るその子の笑顔がとても純粋で素敵でした。
うさぎはいないと思う
その中で、「私、うさぎはいないと思う。YouTubeで調べたもん。」とそっと私に教えてくれた女の子がいました。「えっ!じゃあどうして、うさぎに見えるの?」と私もまたこっそり聞き返すと「あれはね、……そう見えるだけなの」と少し戸惑いながらの返事でした。でも、うさぎが住んでいる話で盛り上がっている最中に大きな声で言えなかったのは、その場の空気を読んだのとYouTubeで調べたとしても、その女の子は納得しきれていなかったからでしょう。どこかで、やっぱりうさぎは存在するのでは?という浪漫を抱いていたのではないかと思うのです。
自分だけの世界は浪漫
子供達は、いつも浪漫を抱いています。実在しないアニメやキャラクターに憧れてヒーローごっこをしたり、着飾ってなりきって遊ぶ事も、段ボールや新聞紙、空き箱等いろいろな廃材を使って、家や街や自分だけの世界を作る事も、思い思いの絵を描いてその中に自分や友達や家族を登場させ想像する事も、これら全て子供の浪漫だと思うのです。
実際にはない話や存在しない人(?)生き物、また不可能な事でも子供達はその浪漫の中で想像を最大限に膨らませながら、頭や心の中ではあたかも現実かのように遊ぶのです。自分でつくる世界なのですから自由です。自由に考え、自由に楽しめるのです。
こんなに楽しくわくわくする事はありません。そうしながら、(もっとこうしたい)(こうしてみたらどうだろう)と世界とあそびと夢を深めようとします。子供達にとっては、大切な夢の世界です。その世界の中で、子供達は自由に想像し夢を追い求め自分らしい育ちをしていきます。
そんな子供の浪漫をそ~っと見守ってあげましょう。「そんな事あるわけないじゃん。それは間違いよ。」と、即、正解を求め現実に引き戻さないでください。大人目線で、その浪漫を否定されたり壊されたりすると、夢を見たり求めたりしながら育つはずの向上心にストップがかかります。子供達は、夢と現実の世界の狭間を行ったり来たりしながら大人になっていくのだと思うのです。私達大人もそうしながら今やっと現実に向き合って生きているのではないでしょうか?
浪漫を抱く子は自分らしい道を開く力を持っている……かも
月にうさぎがいるかいないか。いつかはきっと、本当に調べて真実を知りたい時が来ます。それまでは、うさぎがおもちつきをしてたくさんたくさん作ってくれて、宇宙飛行士になった時、たくさんご馳走になりたいと想像を膨らませながら、月を見あげてもいいじゃないですか。もしかしたら、そう言った男の子は、月にうさぎが存在するかどうかを確かめるために宇宙飛行士になる夢を追って勉強しようと思うかもしれない、本当にヒーローになりたくて自分の演技力を試そうと芸能界に興味を持つかもしれない、段ボールで秘密基地を作りながら本当の住み家を作るために建築家を夢見る子になるかもしれない。こうして子供の浪漫がその子の世界を広げ、いつか自分の生き方に影響していく事もあるのです。
子供達の自由な想像力と発想に共感して保障してあげる事で、未来への大きな夢に繋がって行くような気がします。そして、どんどん自分が決めた夢を成し遂げる子供達が育って行く───こんな想像もまた私達の浪漫です。
2025年11月19日 7:10 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
日の短さに季節の移り変わりを感じます。夜にはスズムシの鳴き声が夏の終わりを伝えてくれています。日中はまだ暑さが残りますが、それでも、日差しの強さは和らいで来ました。“読書の秋”“食欲の秋”“芸術の秋”等と言われるように、五感でこの秋を楽しみたいと思います。
気の利く子
ある日の降園時間の事、“おむかえルーム”で、その日も、私が子供達に絵本を読み聞かせながらお家の方のお迎えを待っていました。年少組の一人の女の子が、「園長先生!トイレに行ってくる!」と言ったので「荷物を置いて行っておいで。そろそろお母さんがお迎えに来られるからね」と返すと、急いでトイレに向かって行きました。少しすると、その子のお母さんが迎えに来られました。
私は、荷物を渡そうと見回しましたが、見当たりませんでした。すると、隣に座っていた同じ年少組の女の子が、「さっき、私が、テラスに持って行っておいたよ。もうすぐママが来ると思って……そしたらここに戻らなくても、すぐに帰れるかなぁと思って」と言いました。なんと、気の利く子だろう!と驚きました。
誰に頼まれたわけでもなく、自分でそう思ってした行動だったのです。この年齢で、そんな事を考えられるという事に感心しました。おかげでトイレに行っていた女の子は、すぐにママと帰る事が出来たのです。その子は、そんな気遣いがあったことにも気づかず、帰って行きました。
荷物を置いてくれた女の子も、感謝される事を期待もせず、テラスから帰って行く友達の背中をチラッと見るだけでした。こうしたらあの子がママの所へ直ぐに帰る事ができるだろうと想像して起こした行動でした。
僕にできる事
昼食後にはデリバリー弁当の空容器を各クラスのお当番さんや先生から頼まれた子供達が、職員室まで運んで来てくれます。何人かで、運んでいる様子を見ていると、お弁当箱を入れるケースの両サイドを持つ人と間を持つ人でちょっとした騒ぎの中、張り切って運んでくれます。その中に入り切れなかった子供達は、どうしてもそのケースが持ちたくて「ちょっと寄ってよ~」「私も持ちたい!」と騒いでいる中、一人の男の子が、その列から外れて前を歩き、テラスに落ちているゴミを拾ったり、「お弁当が通りま~す、横に寄ってくださ~い」と誘導していました。そして、最後は、お弁当ケースがスムーズに職員室に入るように、ドアを開けて、サポートしてくれていました。
そのケースを直接持って運んだ子供達は実に満足そうでしたが、後ろの方でニコニコ静かに微笑んでいるその男の子は、お手伝いをする子達のサポートができた事に満足そうでした。
往々にして、そんな主役達に脚光を浴びせてしまいがちですが、表舞台に立つ人が立派な姿や結果を出せるのは、その裏で、大きな仕事をしてくれる人の存在は欠かせません。縁の下の力持ちがいてくれるおかげで、主役達は、安心して自分の持つ力を発揮できるのです。
主役を支える裏方業
幼稚園では、明日から「わんぱくチャレンジ」を学年別に3日間行います。毎年、年少組と年中組の「わんぱくチャレンジ」では、年長組の子供達が、プログラム毎に自分より小さな子供達のサポート役になってくれます。かけっこのトラックにコーンを置く・走り込んでくる子をゴールテープで迎える・競技で使うグッズをトラック内に運ぶ・持つ・応援する・アナウンスでプログラムを紹介する…等、その日の主役の活躍を裏方となり支えるのです。その裏方さんの存在のおかげで、小さな学年の子供達は安心してプログラムに挑む事ができるのです。
何人かで別れてサポートするので、その中でもリーダー役が出てきたり役割を先生に代わって友達に教えてあげたりする様子がみられます。頼もしい限りです。初めは、自分が何をして、それがどんな意味を持ち、どんな成果につながるのか──誰のために、どう役に立っているのか、わからないまま、与えられた役をこなしていくばかりでしたが、先生から具体的にその意味を説明してもらい実際に動いてみると、自分の裏方としての役割の必要性や、そのおかげでプログラムが楽しく進んでいく事を実感できると、張り切って裏方の役割を頑張ってくれるようになってきました。アナウンス役の子供達は、実況中継をしたり、ゴール手前では、「もうすぐゴールだよ!がんばって~!」と選手を励まし、転んでしまった時にはその場を見て「転んでも最後まで走って凄いよ~!」と気持ちのサポートをしてくれたりするようになりました。これらのサポートがあるおかげで、その日の主役であるちびっこ選手達は、より一層輝けるのです。その事を実感できた時に裏方の醍醐味と達成感を味わえるのです。
誰かのために、自分にできる事はないか?自分は今どう動き、言葉を発したらいいか?そうしたら、どうなるのか?を自分なりに状況を見て、考えて想像をして行動に移す──。ただ、指示を受けて言われた通りに動くのではなく、思慮深く動ける人は誰からも信頼を受けます。裏方の役割には、そんな魅力があるような気がします。こう考えると、俗にいう“お節介”も“出しゃばり”も、ある意味、気を利かせる行動の一つなのかもしれませんね。
気を利かせて行動する姿の中に思いやりの気持ちが育まれている事を感じます。頼もしい可愛い裏方さんなのです。
一つの事を成し遂げるためにそこに集う力のどれもが、欠かせない大切な力である事を 全ての子供達に光をあてて讃えたい気持ちでいっぱいです。
2025年10月27日 12:11 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
「記録的な暑さ」「危険な暑さ」──この夏、何度この言葉を耳にしたことでしょう。まだまだ厳しい暑さが続きそうですが、先生や友達に会える事を楽しみに登園してくる子供達の気持ちが新学期への原動力になるよう、2学期も、暑さ対策をとりながら、元気に過ごしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
「先生に会いたい!」──幼稚園がずっと心のなかに
8月中旬の夕方、7年前に卒園した姉弟とそのお母さんが幼稚園を訪ねて来られました。今年の春、お父さんの転勤により広島市内に引っ越しをし、連絡もしないままだったので、ちょうど三次に来た機会に会ってご挨拶をしたいという事でした。その姉の担任だった美穂先生は、ちょうど研修に出かけていて留守でした。次いつ三次に来られるか分からないという事だったので、思い切って美穂先生に連絡を取ってみました。すると「今、○○まで帰っているんですが、待っていてもらえますか?会いたいです!」と即答してくれました。
先生の帰りを待つ間、姉弟は懐かしい先生と思い出話をし、当時大好きだったアスレチックや滑り台で大はしゃぎ。「やっぱり幼稚園は楽しい!!」と笑顔いっぱいで遊んでいました。その様子を見守りながらお母さんが目を潤ませ話してくださいました。「卒園してからもいろいろな事がありましたが、何とかここまで成長させてもらいました。本当にここが、私達家族にとって原点になっているような気がします。子供達もずっと“行きたい!行きたい!”と言っていたんです。今日は急に来てしまってごめんなさい。」───
やがて、美穂先生が園庭に走って戻って来てくれました。「お~い!こんにちは~!!」と言って思わず抱き合っていました。久々の対面にみんな大喜びです。話したい事がたくさんあって会話は止まりません。当時の小さな出来事や気持ちの揺れも覚えていて、一生懸命話してくれました。お姉ちゃんは「私大きくなったらここで仕事した~い!」「だから、先生達もずっとこの幼稚園にいてよ!」と笑顔で言ってくれました。「美穂先生や他の先生達は大丈夫だけど、早く帰って来ないと園長先生は年をとって動けなくなってるかもしれないよ」と、私が冗談を言うと、「だめだめ!座っててもいいから居てよ!」と大笑い。それから、先生達との別れを惜しむように、何度も手を振りながら帰って行きました。
懐かしい写真
夏休み中、ひとりの大学生から「ボランティア実習に来たい」と連絡がありました。名前を聞くと、なんと卒園児!「ぜひ!来てください」と快く受け入れ、プレイルームで二日間の実習を行いました。初日に顔を見た瞬間、当時の面影がはっきりと残っていて、その成長ぶりに思わず感動しました。幼稚園の先生になるために頑張っている事も嬉しく思いました。子供達と過ごしながら、幼稚園の先生の仕事に触れ、大変さも楽しさも、そして、これから必要な学びについても自分なりに吸収していたようです。
そして、最終日、職員室に挨拶に来た彼女に、当時担任だった芽似先生が声をかけ、幼稚園時代の写真を探し出して見せていました。「え~っ!嬉しい!」と彼女は思わず涙をこぼし、懐かしさに浸りながらしばらく先生と写真を見て語り合っていました。当時も今も変わらず自分を応援してもらえている事を感じたでしょう。きっと、来年度の本実習に来てくれる彼女の最高の励ましになったに違いありません。
「またおいで。いつでもおいで」
幼稚園には、卒園児や転園した子供達が、ふとしたきっかけで訪ねて来てくれます。結婚、出産、就職など、人生の節目に顔を見せてくれる事もあります。時には、子供が成長して親元を離れた後、お父さんやお母さんだけで来てくださる事もあります。また、自分の子供を幼稚園に入園させてくれている子もたくさんいます。
先生達は、この幼稚園を離れていく子供達やご家族に「またいつでもおいでね。遊びに来てね」と言って送り出します。それは、社交辞令ではなく、純粋な思いです。これから会えなくなるあなたの為に私達ができる事、それは、あなたが会いたいと望んでくれる時に顔を見て話ができる……それで、喜んだり元気をもらったり、しあわせな気持ちになってくれれば私達幼稚園の存在の意味が続いていくと思うからです。在園している間だけではなく、私達は、その後もずっと子供達とそのご家族の幸せを気にかけていたいと思っています。
私達は、子供達が将来、素敵な大人へ成長していくための力を育んでいます。幼稚園にいる間にその結果が出るわけではありません。どんな大人になっていくのかを見たいし知りたいのです。だからこそ「またおいで」と言って送り出すのです。
研修会での再会
7月の終わり、先生数名で二日間の研修会に参加しました。大きな研修会だったので、参加者名簿が記載された冊子が配られました。最終日に、ひとりの若い先生が「すみません、三次中央幼稚園の先生ですよね?私、卒園児なんです!名簿にお名前があったので、昨日からずっと探していました。」と、駆け寄って来てくれました。彼女を知る先生達は驚き、会えた事に感動していました。
聞けば、今年が1年目で仕事に慣れるために奮闘しているとの事。別れ際に「いい先生になってね!また幼稚園においで」と声をかけると「はい!私、頑張ります!会えて良かったです!」──その力強い言葉に頼もしさを感じました。
2025年9月2日 5:10 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生
バラって…アジサイって知らなかった
昨年の秋、我が家に新しく小さな庭を設けました。あまり手のかからない数本の高木と花を業者さんに植え込んでいただきました。少しずつ根付く様子を見て毎日楽しんでいます。5月の連休頃、いろいろな花につぼみがついているのを見つけ、ますます嬉しくなっていました。そんなある日、私と主人で移植したナンテンの木の下に、バラの木の芽が出ていたのに気付きました。以前植えられていた近くにバラの木があったので、きっと土と一緒に運ばれて来たのだろうと思うと、健気で愛おしくて、これからの成長を見守って大切に育てようと思っていました。嬉しかったので、主人に「ナンテンの木の下にバラの芽が出てるよ。大きくなるのが楽しみ!」と話しました。それから、毎日、バラは元気かな?と見ていました。そんなある日!なんと!そのバラがなくなっていたのです。エッ!なんで?昨日まであったのに!と、不思議に思って主人に言うと、「ん?さっき草とりしたよ。」と言うのです。「草?…草なんてあったっけ?」と私が言うと、「ん?もしかして、俺が抜いた草はバラだったん?」ガーン!!!「バラがある事,言ったじゃーん💦」あんなに成長を楽しみにしていたのに…と思い、正直カッチーンと来ました。「ごめんごめん、他の草と一緒にゴミ箱に捨てた。あれがバラだなんて思わなかったから……。」と言うので、直ぐにゴミ箱の中を探しました。少ししおれたバラにしばらく水を吸わせ、涼しくなってから再び元の場所に植えてやりました。主人はあれから責任を感じたようで毎日こっそりとバラの様子を見ているようです。ちょっと私も大人気なかったかな?と反省。
そして、先日の夕食中、主人が、「庭に水色の花が咲いたね。丸い花。東側には白い花も咲いてたよ。」と話し始めました。「ん?アジサイの事?」と聞き返すと、「あぁ、あれがアジサイかぁ~」と言うのです。以前の庭には、大きな大きなアジサイの木が家の周りに何本も植えられていて、この時期になると、見事な花を咲かせて楽しませてくれていました。「え~っ!!アジサイ……って知らなかったの?玄関前のも東側のも同じア・ジ・サ・イ!!」と言うと、「そんなの思った事もなかった。以前の庭にはいつの間にか花が咲いていて、それが当たり前すぎて興味が向かなかった…」と…。「私もそんなに花の名前をたくさん知っているわけではないけど、アジサイくらいわかるじゃ~ん」と追い打ちをかけてしまいました。今、時季的にアジサイの話題がテレビや新聞で報道されています。それを見て、「あぁ~、なるほど、家のはまだ小さいけれど、あれと一緒だ。あれとこれが一緒って今ならわかる!」と言うのです。
どうやら、主人の生活の中においては、花や植物のウエイトが低いようです。
工具の名前なんて知らない
「おーい!ちょっと、工具箱の中から、モンキーレンチ持って来て!」と主人の声、DIYの作業中、手が離せないからと私に頼んだのです。「ん?モンキーレンチ?モンキー?…これっぽい」──たくさんの工具の中から、いちかばちか主人の元へ届けました。「これ?」主人は情けなさそうに苦笑い「これ違う」「レンチ…わからないかぁ~」と結局自分で取りに来る。主人は器用で、自分で手掛けて物を修理したり作ったりするのが好きで、それに必要な工具や機械をたくさん揃えています。そんな中から、私が言われてすぐにわかる物はそんなにありません。実際にあまり使う事がなく、関心もないからです。
私にとって、私の生活においては、工具のウエイトは低いのです。
人は皆、育った場所や働く社会や環境の違う世界でそれぞれに知恵や感性を生かしながら生活しています。価値観、興味、必要度の違い等で、知っている事、知らない事、みんなあるでしょう。しかし、自分が知らなかった事を知れた時、「知らなかったから仕方ない」ではなく、そこから興味を持ってみる事が、知識を広げるチャンスになります。こんなおもしろいものが…便利な物が…あるいは美しい物があったのだと関心を持てば、視野が広がり、自分の生きる世界が少し拡大されるような気がします。
子供達の中にも、虫や魚の事なら何でも知っていて、たくさん教えてくれる子がいます。興味があるから、どんどん自分で調べたり、お父さんやお母さんに話を聴いたり尋ねたりして、知識をどんどん深めていきます。幼稚園の園庭でもいろいろな物を捕まえてはその生態を説明してくれるのです。でも、歌やダンスはそんなに好きではなく、目の輝きも少し違います。好きな事、苦手な事、みんなそれぞれあるでしょう。得意とする事がなにかあれば、それが自信となり自己肯定感にもつながるので、しっかり伸ばしてあげたらいいと思います。しかし、人が社会に順応して生きて行くためには、知らない事や興味のない事をそのままにせず、基礎知識をバランス良く得ておくことは必要な気がします。それは、あれもこれも学ばせるという事ではなく、いろいろな事に関心や興味を持てる子、好奇心を持って心を動かせる子に育てる事だと思うのです。心ときめく刺激的な生活、あそびのある環境の中にいる事こそが、子供達のバランスのとれた学びの基礎を培うのではないかと思います。「なるほど」「楽しい!」「おもしろい」「きれい!」「かわいい!」「すご~い!」と思える事にたくさん出会える生活が子供達には必要なのです。
この年になっても知らない事がいっぱい!───まだ間に合いますかね? きっと、間に合いますよね。
2025年7月8日 6:05 PM | カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 | 投稿者名:えんちょう先生