こんにちは。田房葉子です。この度、10年に渡り、続いてきた“白髪せんせいのつぶやき”を引き継ぐことになりました。人にものを頼まれるとイヤ!と言えないこの性格。できるできないをあまり深くも考えず、「ホイホイ」と引き受ける。引き受けた後で、てんてこ舞いして苦しみもがく……。昔から、こんな私を両親は、『お人好し!』だと言っていました。私のその性格を知ってか知らずか、昨年度3月の園だよりでの理事長による“つぶやき引退宣言”と後任者任命……。理事長先生の足元にも及ばない人生経験と知識・教養。その後を引継ぐ事は、まだまだ未熟な私にとってあまりにも大役すぎて……と、かなりプレシャーを感じつつも、昔からの(困った)性格が手伝って、またまた引き受けてしまいました。こうなったからには、気持ちの切り替えが早いのも私……。それからというもの、私の頭の中には、何を書こうかと伝えたい色々なメッセージが駆け巡るのです。単純な性格も、なかなかいいものです(苦笑)。
『幼稚園の先生』と呼ばれるようになって早24年、これまでに出会ったたくさんの子供達と保護者の方、そして生きてきた年月の中で、私が私なりに考えている事、私の目に見えるもの、心に感じるものをこのコーナーで語らせていただけることを逆にありがたいと思って、これから書いていこうと思います。
私は、人と語り合うことが大好きです。実は、このコーナーを『葉子せんせいの部屋』に決めたのは、某テレビ局の長寿番組『徹子の部屋』……あの番組でのトークがとても好きで、黒柳徹子さんが持ち前の好奇心で、ゲストと対談される姿は実に見事だと憧れているからです。話し上手・聞き上手・のせ上手……あのヨン様?も出演し、黒柳徹子さんとこの番組で対談できた事を大変喜んでおられたとか……。人と人とのつながりは、いろいろな方法で深まっていくと思います。
会話であったり、文面でのやりとりであったり、あるいは、触れ合いであったり、それは、相手を理解して世界を拡げる入り口であると思うのです。知ろうとする事、知ってもらおうとする事がもっと楽な気持ちでできたら、人と人はもっとつながっていくような気がします。私は、この『葉子せんせいの部屋』をたくさんの保護者の方に読んでいただき、皆さんと一緒に、子育てについて・幼稚園について・世の中について(ちょっと大きすぎ?)などなど、いろいろな事をおしゃべりしていきたいし、心と心のキャッチボールをしていきたいと思っています。ぜひ、ご意見ご感想をお聞かせください。一つひとつのご意見ご感想にお返事させていただきたいと思っています。
さてさて、その第1回目、自己紹介をしておきましょう。商家に生まれ、幼き頃から幼稚園の先生に憧れ、家業を継いでほしいという両親の想いを横目に、大阪の短大へ入学。大阪で家賃15,000円のおんぼろアパートで(夢のはずだった)一人暮らし。苦学の甲斐あり、卒業後は、京都の幼稚園に就職し3年間働く。夢と現実とのギャップと都会暮らしに疲れ、結婚を決め帰郷。それでも、子供達に囲まれた生活の夢をあきらめきれずにいたところ、縁あって、ここ三次中央幼稚園に就職。現在21年目、まだまだこれからである。
12年前に三次中央幼稚園での保育実践記録『あそべやあそべ』を出版(第2弾を!と思いながらも実現しない)。就職1年目にして、結婚。商家から農家へ嫁ぐ。大変な環境の違いに戸惑いながらも、やっと最近、山・田畑に囲まれた生活の贅沢さと豊かさを実感し始めた。(年をとったせいでしょうか?)
現在、小学校6年生と4年生の娘2児の母である。4年前より、三次中央幼稚園の主任となり、小振りな身体をフル回転させながら楽しく愉快にがんばっている(つもりの)日々である。……と、このぐらいにしておきます。今後、登場する話題の中で、このプロフィールと照らし合わせながら、内容をより深く読み取っていただければ嬉しいです。
さて、理事長先生の“つぶやき引退宣言”からここまで、何人もの方から「今度は、葉子先生が書かれるそうですね。楽しみにしていますよ。」と声をかけていただきました。関心を寄せていただいていることを知り嬉しく思っています。そんな方々に「あーら、今回はただの自己紹介?!」と、がっかりさせていないかと少々心配です。でも、まずは、知ろうとする・知ってもらおうとする体制を整えたいのです。書いている私の気持ちをよりよく皆さんに伝えるためには、どのような者がどのような背景で書いているのかをも知って読んでもらいたいと思っています。これが、私流です。
“私流”といえば……、結婚して間もない頃のこと、田舎の本家の嫁として嫁いだ核家族育ちの私は、当時大変緊張していました。いい妻になる前に、いい嫁でなくてはならないと……。今思えば、全然堅苦しい家ではないのに、結婚前に私の両親があれこれ心配するものですから、私が勝手につくってしまった“お嫁さん像”に近づかなきゃと必死だったのだと思います(こんな事を思って可愛かったのも最初の頃だけで、日に日に図々しくなってきましたが…アハハ)。
そんな中、ある日、お花を生けて床の間に飾り手直ししていたところ、今は亡き義母に、「葉子さん、何流?」と聞かれました。それを聞かれた瞬間、しまった!私ってなんて無謀者!と床の間に飾ったことを後悔したのです。しかし、何とか答えないと……と、とっさに口から出た答えが……「はい、“私流”です!」それを聞いて義母は、プッとふき出し二人で大笑いしました。それから、後々まで、この話は義母によって、「うちのお嫁さんはおもしろい」と、近所の話題にされ、その事は、私が家や近所に馴染むきっかけになったのです。
そう、私流に私流に-。人は皆、持って生まれた“その人らしさ”いわゆる“持ち味”があります。私は私よ!と傲慢になり、社会性に欠けるものでは困りますが、無理して自分を取り繕ったり背伸びすることはないと思うのです。むしろ、“自分らしさ”を持った上で、語ったり、他の環境を取り入れたり、他者の意見を聞くほうが、素直に生きて行けるような気がします。
これから私も、理事長先生から引き継ぐプレッシャーに負けることなく、私流に楽しく書き続け、“私らしさ”あふれるコーナーにしたいと思っています。そして、毎回、次回を楽しみにしていただける『葉子せんせいの部屋』を保護者の皆さんと一緒につくっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
次回をお楽しみに。
2006年5月1日 11:32 AM |
カテゴリー:葉子先生の部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
『白髪せんせいのつぶやき』の白髪せんせいとは、当学園の理事長 伊達正浩のことです。つぶやきとは、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに平成8年度から平成17年度までの10年間連載された、理事長からのメッセージなのです。このページでは、そんな“つぶやき”を年度・月ごと皆さんにご紹介し、子育ての参考にしていただければと思います。
現在は理事長に代わり、主任教諭の田房葉子が『葉子せんせいの部屋』を執筆中です。合わせてご覧ください。
2006年3月10日 11:37 AM |
カテゴリー:白髪せんせいのつぶやき |
投稿者名:ad-mcolumn
12月の大雪に比べて2月は例年ほどの積雪も見られず、暖かい日が多かったように思います。2月末はすでに春の暖かささえ感じさせてくれました。いつもより早い暖かさで、幼稚園の自然観察園も春を迎える準備をしなければという思いが募り、早速、2月25、26日の(土)・(日)に、芝生の芽を整えるため、芝刈り機を出して芝を刈りました。この冬は、落ち葉を掃き取らないうちに大雪が降ったため、枯葉もいっぱい舞い散っています。芝刈りをして芝生がきれいに整ったのですが、思いを変えて草焼きをしました。火をつけると、乾燥しているので一度に燃え広がります。前もってジョウロで芝生の周囲に水を撒いておきましたので、絵を描いたように、その場所に火が来たら炎の広がりが止まり消えていきます。芝を焼いた後、芝生に肥料を撒きました。そして、イチジクやアジサイの木の剪定も済ませ、芽の息吹を待ちます。作業中、野鳥のエナガの集団が飛んできてチーチーチーと鳴きながら覗き込む姿勢は、こちらの様子を観察しているかのようです。その後、間なしに、ジュウシマツもやってきました。ヤマガラの声も聞こえます。どうも、ガラの付く名前の小鳥は、種類は違っても、一緒の流れで移動しているような気がします。昨年は木の幹にかけていた巣箱にジュウシマツとヤマガラが営巣してくれました。苔を巣箱に運び込む時から、雛が生まれて、毎日、餌を運び込む親鳥の姿を観察しながら、最後に、雛が外に出て行くところまで楽しむことができました。3月になったら、小鳥達も巣を探して飛び回りますので、急いで巣箱の設置をしなければと思っています。春になって子供達が遊びに来てくれるよう自然観察園の待ち春の準備ができました。
本年度も残すところ1ヶ月になりました。年長のさくら組の子供達は今月18日に卒園式を迎えます。もうすぐ一年生です。年長組の子供達も春を楽しみに待っています。もうすぐ、先生やお友達と別れるのに、小学校入学の期待に胸を膨らませているのです。
自然観察園の芝刈りをした次の日の月曜日、さくら組のお茶のお稽古を久しぶりに見に行きました。江戸時代、広島浅野藩のお抱えだった上田宗箇流のお弟子さんである坂部由香子先生が、毎月1回ほど来て指導をしてくださっています。子供達は席入りして床の間の前に座り、軸、花と花入れ、香合を拝見して席に着きます。その日の軸は立ち姿のお内裏様とお雛様が描いてあります。花入れには蝋梅(ろうばい)と椿を生けてあります。香合は犬山焼きの香合です。拝見がすんだ後、子供達にいろいろとお話をしてくださっているのを一緒に聞きました。由香子先生が「お雛様の意味を知っている人いる?」と子供達に問いかけると、数人の子供が手を挙げています。指名された女の子が、「折り紙でお雛様を折って、病気にならないよう祈って川に流すの」と答えています。同じような意味のことを他の子供も話してくれました。きっと、お家でお母さんやお婆ちゃんが子供と一緒にお雛様を飾りながら話してくださったのではと、文化の伝承がなされていることと、家族の温かさのようなものを感じて嬉しく思いました。そのときの説明で、今のお雛様は、京都のお雛様以外、みな座っているけれど、昔は立ち雛だったそうです。その後、由香子先生が、「昔はせっかく子供が生まれても死ぬ人が多かったので、藁(わら)や紙でお人形を作って、体の悪いところと同じ場所を触って厄から身を守り元気になるよう、お祈りして川に流していたの。それがお雛祭りになったの。」と話してくださっています。
香合は犬山焼き(愛知県犬山市)で、犬は子供をたくさん産むから、子供がたくさん生まれて家が栄えるようにと、犬にちなんだ香合を使ったことを子供達に解りやすく話されます。本当は、解りやすく話すのはとても難しいのですが、子供達と、とても楽しいやり取りが続いています。蝋梅の花の名の由来の説明の後、子供達が交替で菓子器を運んできて、「どうぞ」と言って、正座している子供達に差し出します。子供達は両手を着いて、「ちょうだいします。」、「お先です」と挨拶をしてから、懐紙(かいし)にお菓子を取り、その懐紙で口元が見えないようにして食べています。続けて、他の子供達がお茶を運んできます。同じように、正座して両手を着いて挨拶しながらお茶を受け取り、隣の人に「お先です」と言って、お茶を飲みます。どの子も美味しそうに飲んでいます。もう、苦く感じるより美味しく感じて飲んでいるようです。
そして、最後に「ごちそうさま」、「ありがとう」と言うことの大切さも話されています。「お家でご飯を食べた後に、『ごちそうさま』と言うのも、お母さんが一生懸命作ってくださったことに、『ありがとう』と言う気持ちを込めて『ごちそうさま』を言うんだよね。それが、思いやり、相手に対する思いやりの気持ちなんだよ」といつも話してくださっているのです。
「お茶は思いやりの気持ちを学ぶんだよ」と思いやりの気持ちの大切さを毎度繰り返し話されます。
近年、子供達にこのようなことを話してくれる大人は少なくなってしまいました。人として大切にしなければならないこと、人としてしてはいけないこと、人としてどのように生きていくかと言うようなことは、子供のときから繰り返し話してやることが、大人になって正しく人生を生き抜く源泉になるのです。
園だよりで、私が園長の時代から、絵本講座を始め、その時そのときに保護者の皆様に伝えたいことを中心に書いていましたが、その後、「園長先生のつぶやき(後、白髪先生のつぶやき)」となっての連載は、平成8年度から始まり、丁度、満10年間が過ぎました。この「つぶやき」は、幼稚園のホームページにも掲載しておりますので、遡ってご覧戴くことができます。
同じテーマにならないよう常に新しいテーマで書いてきたつもりですが、10年をきりに、若い先生に譲りたいと思います。この「つぶやき」を楽しみにして、園だよりが配布されるのを待ってくださった保護者の方がたくさんいらしたということを聞いて、とても嬉しく感じていました。そのことが、継続の力となっていたように思います。長い間、お付き合いいただいたことに感謝しながら、ペンを置きたいと思います。次回からは、「葉子先生のつぶやき」として、主任の田房葉子教諭が担当します。田房葉子教諭は、「あそべや あそべ」の本の著者でもあります。子供達との生活の中から、楽しくも可笑しい話題がいっぱい出てくるのではないかと楽しみにしています
2006年3月1日 4:45 PM |
カテゴリー:白髪せんせいのつぶやき |
投稿者名:ad-mcolumn
昨年の12月には本当によく雪が降りました。雪が降ると子供達は大喜びで遊ぶことはよく解っていますので保育計画の中にも組み込まれています。しかし、雪は保育計画通りには降ってくれませんから、積雪のあった日には、その日の計画を後回しにしてでも朝から園庭に出て、ここぞとばかり、先生と一緒になって雪あそびに興じます。12月19日の朝の園庭は、30センチ近くの積雪で、雪だるまやかまくらを作って遊んだり雪合戦をしたりと子供達は大喜びでした。間無しの22日の終業式の日は、前日からの大雪で、大雪警報が発令され、とうとう、臨時休園とせざるを得なくなり、終業式をしないまま冬休みに入ってしまいました。当日は、前に降った雪が解けないままでしたので、三次の市街地でも50~60センチくらいの積雪となったでしょうか。隣の庄原市高野町では2メートルと聞きました。幼稚園を昭和46年に開園して以来の34年間は、20~30センチくらいの積雪は毎年のようにありましたが、幼稚園を雪で臨時休園したのは初めての出来事でした
。
この度の急激に襲来した寒波で、幼稚園のウサギとヒツジの「クリームちゃん」が死んでしまいました。通常、自然界の中の動物は、夏が近づいてくると毛が抜け始め、夏の暑さに対応します。そして、だんだんと寒くなってくると、毛を増やし厚みを増して寒さの中でも元気に過ごします。そのことができない動物は穴の中で冬眠します。ところが、昨年12月のような急激な寒波では、体が対応できないままに寒さに遭遇します。この度、死んでしまったヒツジは、平成9年に生まれた満8歳のヒツジでした。生後数ヶ月のヒツジを、高宮町にある「ニュージーランド村」から寄贈して戴いたものでした。人間で言うと60~70歳くらいと聞きますが、少しばかり、早死になってしまいました。
ヒツジが死んだのは終業式の日の臨時休園になった日ですから、多くの子供達はヒツジの死を知らないままでした。それでも、プレイルーム(預かり保育)の子供達は、臨時休園となった終業式の日も登園していましたので、今にも死にそうなヒツジを気にしては小屋の周りに集まってきます。「大丈夫?」、「死んだらダメだよ」と覗き込んだり声をかけたりしながら心配していました。
今までヤギやヒツジが死んだ時には、保健所で埋葬許可をもらい、私自身が、スコップを使って山で穴を掘り死体を入れ、キツネが掘り起こさないように、その上に石灰を撒いてから土をかぶせて埋めていました。今回は、ヒツジの様子がおかしくなり、立ち上がれなくなった時から、保護者の方でJAに勤められている、えびすいまなみちゃんのお父さんや、ふじやませいたくん、なおやくんのお父さんが、連日、様子を見に来てくださったり、獣医さんの手配をしてくださったりと、随分とお世話になりました。そして、家畜商の方に連絡していただき、雪の中、岡山からの帰り道に立ち寄って戴いて、死んだヒツジを引き取ってくださいました。有り難いことでした。
私は子供の時、農家で生まれ育ち、家にはウシやヤギやブタ等の家畜がいました。ヤギに餌をやったり乳を搾ったりするのは子供の仕事でしたので、小学生の時から世話をしていましたが、その時も、ヤギの死に遭いました。その死体を肩に担いで野原に運び、一人黙々と穴を掘って、土の中に埋めた経験があります。ところが、小学生でしたので余り深く掘ることができず、浅かったことと、また、石灰を撒いておく知識も無かったので、次の朝、その現場に行ってみると、キツネが土を掘り起こし、一番上になっていた顔を食べていて、顔の骨が剥き出ていました。
動物を飼育するということは、「死」という現実に直面するということでもあります。
幼稚園で飼育している動物も、子供達がいくらかわいがっていても、いつかは死にます。ウサギはさくら組(年長)の子供達が小屋の掃除をしたり餌をやったりして世話をしてくれていました。
12月4日の音楽発表会に向けて練習をしていて、十分に掃除が出来なかったことがあり、ウサギが死んだ時、「あの時、掃除してあげんかったけぇ、死んだんかね~」と、自責の念でつぶやいている子もいました。
ヒツジが死んだ時も、ちょうど同じ頃におじいちゃんが亡くなった、もも組(年中)の子が、「おじいちゃんが死んでみんな泣いたけど、もう仕方がないんよ。だから、おじいちゃんのこと忘れんようにしておいてあげたらいいんだって!! クリームちゃんのことも忘れんようにしてあげたらいいんよ」と、話してくれました。うめ組(年少)やさつき組(満3歳児)の子供達は、まだ死についての理解が難しいようで、家から持ってきた野菜を、「ここに置いといたら、また帰ってくるかもしれんよ」と、空き家となったウサギ小屋の中にたくさん入れていました。
このように、一生懸命、世話をしたり、かわいがったりしていた動物の死に直面することは、衝撃と悲しみの気持ちと同時に、命の尊さ、大切に思う心を獲得していきます。おじいちゃんの死にも直面した子もいました。おそらく、いっぱい、いっぱい、かわいがってくれたおじいちゃんだったに違いありません。優しさをしっかり受けて育った子は、人を思いやる優しさと意志の強い子になります。
テレビゲームのようなバーチャル(仮想現実)の世界で、相手をやっつけて殺したり、何かを育てたりするゲームでのあそびには感情が無く、攻撃的で、すぐにキレる子供が育ってしまう恐れがあります。子供達は自然と関わったり、動物と関わったりしながら直接体験し、また、周りの大人の愛情を一身に受け、人間関係や友達関係意識を培い成長して行きます。動物の死に遭ったことで、子供達の心の中に、人間としてとても大切なものが育ってくれたものと思います。
昨年の12月中旬からの豪雪はいろいろな地域で被害をもたらし、降り過ぎるのも考え物です。
この冬は寒波に見舞われることが度々あるとの予測が出ています。通常、2月が大雪に見舞われますので、その対策はしておきたいものです。
2006年2月1日 4:37 PM |
カテゴリー:白髪せんせいのつぶやき |
投稿者名:ad-mcolumn
例年、年末の我が家では、お節料理の準備をします。大抵のご家庭がそうされているはずです。ところが、私自身は、昨年12月の半ば頃から、今年はどうしようかなと悩んでいました。なんだか気忙しくて余裕が無く、料理屋さんで作っているのを注文して、それで済ませようかとも考えていました。ちょうどその頃、東京で仕事をしている次女からメールが入ってきました。「お父さんは、お正月の2日目頃から、『お節』を食べても食べても、なかなか無くならないと言っているよね。だったら、皆が好きなものを少しずつ作ろうよ。今、流行(はやり)の豆乳鍋もお父さんと一緒に作ってみたいし、餃子の作り方も教えて欲しい。『お節』を作らなかったらお父さんも年末はゆっくりできるよ。」と、いった内容でした。
今までの我が家でのお節料理は、子供と一緒にいる頃は、その文化の伝承の意味も込めて、女房が必ず作っていました。もう、娘達も大きくなったし、今までに、伝えることは伝えているし、たまにはお節料理の無いお正月も良いかと思うことにしました。
だんだんと年末が近づいてきました。私は、娘が言っていた豆乳鍋を食べたことが無いので、やはり、一度は作ってみておかないと娘に料理を教えられないと思って、豆乳と野菜と魚のアンコウの切り身を買ってきて、試しに作ってみました。豆乳についてはどんな味に仕上げて良いのか分からないので、鍋用のダシ入り豆乳を求めました。ダシが入っているので、豆乳を鍋に入れて煮立ったら、魚を入れ、野菜を入れて出来上がりです。すごく簡単にできて、意外と美味しく戴くことができました。豆乳鍋の味が分かったので、娘と作る時にはダシから採ろうと考えていました。「今年は『お節』を作らない」のだと、そんな心の準備をしていても、やはり、元旦にお屠蘇(とそ)を戴く時には、祝い肴の三種の数の子、黒豆、田作りを食べないといけないし、ブリやタコの刺身も食べたいし、それなしではお正月を迎えた気分にはなれないのではと思い始めた頃、友達から杵で突いたお餅を戴いたのです。やはり、「お正月は雑煮も食べなきゃ」と思い、結局、数の子やブリやタコ、ハマグリなどを少しばかり買い求めて、お節料理の準備も始めました。
雑煮の準備は毎年、女房がします。雑煮はその家、その家の味があるからです。家族みんなの共通の味の記憶があるので、私の雑煮の味ではお正月が始まらないのです。
大晦日の夜、娘が東京から帰ってきました。雑煮の準備は私が広島空港に娘を迎えに行っている間に女房がすでに済ませていました。家に帰ってくるなり、娘と私は二人で台所に立って豆乳鍋の準備を始めました。もちろん、ダシを採ることから始めました。試しに作った時の魚はアンコウでしたが、今度はブリの切り身を使いました。美味しく出来ましたが、夕食が終わった頃には除夜の鐘です。結局、年越しそばは夜中の2時過ぎに再び、娘とダシを採るところから始めました。
ここまで読まれて何かを感じ取られた方もいらっしゃると思いますが、娘と一緒に料理をしている姿は、「男子、厨房に入るべからず」の時代の人には、「何、やってんだよ」と思われるでしょうし、今の若い人の中には、「自分だってやってるよ」と思われた方もいらっしゃると思います。料理を苦痛に感じている人は、「旦那がしてくれるなんてうらやましい」と感じられたかもしれません。そんなことは別として、父親にとって、息子であれ、娘であれ、大きくなったら一緒に飲みに行くのが「楽しみだ」「憧れだ」と、思っているお父さんは多いのです。
そんな喜びを口には出さないで一人味わいながらの親子の料理教室でした。娘は正月4日の最終便の飛行機で東京に帰って行きましたが、その日の昼食を含めて,帰省してからのすべての食事は娘と一緒に作りました。1年のうち、ほんの僅かしか一緒にいることのできない娘との密度の濃い年末年始でした。
そんな時を過ごしていた元旦のお昼前に、私のことを本当の祖父(おじいさん)と思ってくれている小学校2年生の女の子が鹿児島から「広島のジィジ、明けましておめでとう」と、電話をかけてきてくれました。「おめでとう。お正月どうしている?」と訊くと、「お正月ってすごく楽しい!!」と言います。何のことだろうと思って訊ね直すと、「○○ホテルでご馳走をいっぱい食べて、その後、××ランドに行っていっぱい遊んで来たの。すごく楽しかったよ」と言うので、だんだんと様子が飲み込めてきました。お節料理をホテルがバイキング形式でしていて、朝早く、そのホテルに行って家族で食事をしてきたことが分かりました。
その女の子が、「ジィジは、今、何しているの?」と訊いてきました。夜が遅かったので遅い朝食となったのですが、お屠蘇を戴いた後、雑煮を食べている時でしたので、「今ね、皆でお雑煮を食べているんだよ」と伝えました。するとその子が「お雑煮って、なぁに?」と訊きます。慌てて、「お雑煮ってね、お餅をお汁の中に入れて食べるんだよ」と、説明すると、「美味しそう!」と言います。それ以上は言えませんでしたが、雑煮を食べたことが無いのだと想像がつきました。そのことを女房に話すと、「今の若い人の多くはそうなんだよ」と言います。
確かに、お節料理は手間がかかり面倒くさいし、今の食生活から言うと、口に合わないのかもしれません。でも、雑煮すら知らないで育っていることには、大好きな友達の家族のことだけに、余計に衝撃でした。
「お節」は、元旦や五節句(正月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)などの祝日に作る料理で、長い間引き継がれてきた日本の伝統文化です。その根底には、家族の無事を願いながら自然に対する畏敬の念と感謝の心が脈々と息づいています。日本の伝統文化が日本の学校教育や家庭教育で失われつつある昨今、今一度、考え直してみる必要があるのではないでしょうか
2006年1月1日 4:26 PM |
カテゴリー:白髪せんせいのつぶやき |
投稿者名:ad-mcolumn
« 古い記事
新しい記事 »