信頼関係(平成「11年度)12月

先日、滋賀県の大津市で行われた全国園長研修会が終って、広島県の園長先生たちと現地の保育園と幼稚園の見学に行きました。男女20人ぐらいの園長たちが、ぞろぞろと保育園の門に入って行きました。その列の最後にいた私が門を閉めるなり、1人の年中組さんらしい男の子が、先に入ったほかの園長先生たちには目も呉れず、突然、私のところに走り寄ってきたのです。それも、「いっしょにあそぼ!」と、手を引いて『はないちもんめ』をしている中に連れて行ったのです。すると、驚いたのは他の園長先生たちです。「伊達先生、その子知ってるの?」と訊くので、「今始めて会った子だよ」と言うと、「うそ!、私なんか見向きもしないで伊達先生のところへ飛んでったよ」と言います。そこで私は、「子供は本能的に、誰が本当に自分たちのことが好きかを嗅ぎ分けるんだよ。あなたたちは全員園長失格!」と軽口をたたいて、しばらくその子たちと遊びました。『勝って嬉しい花いちもんめ♪負けて悔しい花いちもんめ♪どの子が欲しい♪あの子が欲しい♪よしこ先生が欲しい♪』と、私が、一緒に遊んでいた先生の胸に書いてあった名前を見て言うと、子供たちは、一斉に、「ダメ~」と言います。

やはり自分たちの先生がだいすきなんだと、子供とその先生の繋がりの深さを感じながら、園舎の中に入っていきました。年長組の部屋に入ったとき、また、1人の男の子につかまりました。「見て!見て!」と手をひっぱて、自分で、お菓子の空き箱を利用して、その中に道を作り、その一番下にフイルムを入れるケースをぶらさげ、その中に落ちて行くように作って、スロットマシンのように、どんぐりを転がして遊んでいます。「すごい!すごい!」と言ってやりながら、私も2、3回遊んだ後、「これ見ていて」と、そのどんぐりを手に持って、例のごとく、手品をしてやりました。どんぐりが消えてキョトンとしています。「ボク、自分のポケットを見てごらん」と言うと、一生懸命ポケットの中を捜しています。ポケットの中のどんぐりを見つけて、「このおじちゃん、すごいよ!」と、周りの友達を呼んで説明しています。

その時に、「ここの園長先生のお話があるので集まってください」と呼ばれ、園長室に行っていろいろとお話を伺いました。身体に障害を持った子を積極的に受け入れていることも伺いました。1時間余りの話し合いが終って、出発の時間が来たので、お礼を言いながら、廊下まで出ると、先ほどの子供たちが、クラス全員と担任も一緒に待ち構えています。「このおじちゃんだよ!おじちゃん、みんなにも見せてやって!」と、どんぐりで遊んでいた子が言います。時間がないので、急いで3種類の手品をして、「ご免ね、もう時間がないから」と慌ててバスの中にかけ込みました。私を園庭で呼びとめた最初の子も、保育室でスロットマシンを作ってどんぐりで遊んでいた子も、実は、身体に軽い障害の有る子でした。


子供たちは、母親を始め、養育者や先生、周りのいろいろな人とのかかわりの中で、抱っこしてもらう、一緒に遊んでもらう、ほめてもらう、楽しい気持ちにしてもらえる、というような肯定的な経験を繰り返すことで、他者への信頼感が生まれます。もう一方、転んだりけがをして泣いているような時、「痛いね、痛い痛い、痛かったよね」と母親や先生が傷みの治まるで、その傷みを共有して抱きかかえてくれることは、自分の負の経験を正への経験に変えてくれます。

このような経験が、人と人とを結び合わせ、人を人に向かわせる原動力となり、他者との信頼関係が生れるのです。先の子供たちが、初めて見る私を彼らの方から受け入れてくれたのは、母親を始め周りの人たちからしっかりと愛されているからこそ、子供は本能的に自分を受け入れてくれる人のにおいを嗅ぎ取ったのだと自我自賛して、心地良い気持ちで帰ることが出来ました。今日、大人が子供の前に立ちはだかりすぎていると思えてならないのです。常に良い子、常に強い子、常にがんばる子……。子供だってしんどくて、心をふさいでしまいます。やる気は、人に愛され認められる情緒の安定と信頼関係から出発するのです。

親孝行(平成11年度)11月

「親孝行」と言う言葉を聞くと、何か古めかしく聞こえる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、ともあれ、親孝行をしたくてもなかなか出来ないものです。毎日の仕事や子育てに追われ、自分達の生活に精一杯だからだと思います。若いうちは精神的にも経済的にも余裕がありません。昔から、「親孝行をしようと思った時には親は居らず」と言うように、人生に余裕が出てきて、親孝行をしたいと思っても、すでに親は亡くなっていることの方が多いのです。

一方、「親は子を思えども子は親を思わず」と言うことわざがあるように、親が子を思うほど子は親を思ってくれません。ましてや、核家族化が進み、住宅事情や職場の関係も含め、親と一緒に暮らすこともままならなくなってきました。しかしながら、平均寿命が長くなった今日、80歳、90歳と長寿の方がたくさんいらっしゃいます。親孝行をしたいと思った時、今日では、親は健在でいらっしゃることの方が多いのです。


そういう私の両親も、85才と81才となり、老夫婦二人きりで、田舎暮らしをしています。まだ健在でいてくれるから良いようなものですが、やはり、なかなか親孝行は出来ないものです。これもことわざに、「親は何時までも子供のように思う」と言うように、まだ、説教がましいことや指図することもあります。子供の私が親を思う気持ちの何倍も、私たち夫婦や孫のことを気にしています。親の方は、「子供が元気で幸せにやってくれていることが一番の親孝行よ」と言いながら、今だもって子供に甘えようとしてくれません。


ところが、自分自信も子供を持ち、子育てして始めて気が付いたのですが、子供は赤ちゃんの時からいっぱいいっぱい親孝行をしてくれているのです。皆さんにも実感として記憶にあると思いますが、妊娠した時、子供が誕生した時など、親に対して大きな感動を与えてくれます。子供が、始めての寝返りやハイハイしたり歩いた時も、どんなに嬉しかったことでしょう。少しずついろいろなことが出来るようになる子供の成長は、親にとっても大きな喜びとなります。寝顔を見るだけでも心が和みます。そして、子供と一緒に生活している幸せは何ものにも変えがたい幸せなのです。「子供は3歳までに一生分の親孝行をしてくれる」と言われる所以(ゆえん)です。「そんなことはない、子供を育てることがどんなに大変なことか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。中には、「育児ノイローゼになりそう」と悩んでいる方もいらっしゃるかも知れません。子育てには苦労が伴います。ところがその苦労さえ幸せと感じられるのです。わが子と共に過ごすことの出来る喜びが幸せと感じ、苦労が苦労でなくなるのです。それどころか、子育てを通じて、親として、人間として大きく成長させてくれます。子供と共に成長する喜びがあります。人生の中で一番幸せなときなのです。子供がいっぱい親孝行してくれているのです。


子育ては、人間として自立させることに大きな目的があります。それは、有る意味では親から離れていくことなのです。京都と東京にいるわが娘二人も、私たち親のことを気遣ってくれます。でも、親の方は、私たちのことよりも、娘二人のこれからの人生の幸せを願います。


今皆さんは子育ての真っ最中です。それは、皆さんのご両親が、わが子の幸せを願って一生懸命育てられ、今が、親の願っていた、皆さんの幸せな家庭があるのです。そうやって、親が子を思い、子が親を思うことが親孝行であり子孝行なのです。子育てを通じて、人に対する愛情や思いやりの気持ちが増幅してきます。「親は千里を行けども子は忘れず」と言う言葉も有ります。子のことを一生懸命思っている親を、「親を捨てる藪(やぶ) なし」と言うように、大切にしたいものです。来年4月から介護保険法が施行されます。人まかせにならないよう、家族の愛情と絆だけは忘れないよう大切にしたいものです。「親の恩は子を持って知る」、「親の恩は子でおくる」(おくる=報いる)。この言葉を大切にして子育てしたいものです。

心のふるさと(平成11年度)10月

幼稚園に卒園児が時々訪ねて来てくれます。卒園して間無しの子もいれば、小学校の高学年の子、中学生や高校生もいます。そして大学生や、社会人となってからも訪ねて来てくれます。この夏にも何人か訪ねて来てくれました。そのうち、数人の子のことを紹介します。


7月の中旬、事務室で、「美穂先生に会いたいんです。中に入っても良いですか?」と言う女性の声が聞こえたので、誰だろうと思って隣の園長室から出てみると、高校2年生の、やはり同じ美穂ちゃんと言う女の子で、制服を着て立っています。「今日、学校は?」とたずねると、「美穂先生にどうしても会いたくて1時間だけサボって来た」と言うのです。幼稚園の中に案内して行くと、もも組の前のテラスに美穂先生がいました。すぐさま抱き合って泣いています。「高校の先生は幼稚園の先生とは全然違うんよ」と、彼女なりの悩みがあるのか、不満そうに言っています。「この幼稚園に来ていなかったら、わたし、ぜったいグレていたよ。この幼稚園が好きじゃけ、迷惑掛けたらいけん思ってがんばっとるんよ。すごいええ幼稚園に来て今でも幸せじゃったと感謝しとるんよ」と泣きながら言っています。「そう、ありがとう。美穂ちゃんが幼稚園に感謝してくれているように、この幼稚園を選んでくれたお父さんお母さんにも感謝しなくちゃ」と美穂先生が言うと、「うん、そうじゃね」と、素直に答えています。「先生、結婚決まったんじゃろ。美穂はすごく喜んどるんじゃけ。わたしだけじゃないんじゃけ、男の子もみんな喜んどるよ。今日は、どうしてもおめでとうと言いたくて学校をサボって来たんよ。結婚式にはぜったいおしかけて行くけぇね」と言っています。なんと、美穂先生の後輩の先生が次々と先を越して結婚して行くのを、高校生になった卒園児までもが心配していてくれたのです。


夏休みになって間無しに、また、卒園児が訪ねて来てくれました。ちかちゃんと言う大学2年生の女の子です。年長組の時の担任だったあずさ先生とまだ文通が続いています。あずさ先生から、「園長先生、ちかちゃんが、今、幼稚園に来ていますよ」と、プレイルームで子供たちと遊んでいることを教えてくれました。急いでプレイルームに行ってみると、幼いときの面影を残したまま大人になっているちかちゃんがいます。「ちかちゃん」と、声をかけると、「わー、覚えてくれとって」と、すごく喜んでいます。「幼稚園の頃のこと覚えてる?」ときくと、「ところどころしか覚えていないけど、幼稚園に来たら何故かすごく気持ちがいい。いっぱいいっぱい話したい気分になって来る」と言います。「弟のTくん元気でいる?」と訊くと、「元気だけど、今すごく悩んでいるんよ。本当は一緒に来るって言っとったんだけど、朝になって行かん言いだしたんよ」と言います。身体に重度の障害を持って生まれて来た子で、とても信念の強い子です。小学生、中学生になっても頑張っている様子を風の便りで聞いていました。今は高校1年生ですが、その障害のことで友達からいじめを受け悩んでいたのです。「ちかちゃん、家に帰ったらTくんに必ず幼稚園に遊びに来るように言って。絶対気持ちが和むから」と言うと、「うん。必ず来るように話してみる」と言って帰りました。その子はまだ来ていませんが、お母さんがこられて、「今でもこんなに心配してくださっているのが嬉しい」と言われるのです。私は会うことが出来ませんでしたが、あずさ先生には会えて話が出来たようです。


もう一人女の子が、東京から訪ねて来てくれました。久美ちゃんと言う、もう26才の女性です。家族で東京に住んでいますが、高校を卒業してから、旅行会社に勤めていました。ところが、お母さんがくも膜下出血で倒れ、意識不明となり、会社に勤めながら看病をしていて、やっと自分のしたいことが見つかったと言います。「会社を辞めて、今から看護学校に入学しようと思うけど、歳が歳だから、悩んでいた」と言うのです。「でも、幼稚園に来てみて、なんだか勇気が沸いて来て、決心が付いた。しかも、園長先生がその歳で大学院に行ったと聞いて、余計にやる気が出て来た」と、元気に帰ってい来ました。


9月になってもう一人、28才になる圭紀くんです。かわいい彼女を連れて来て、私に仲人をお願いしたいと言うのです。その子は大学を卒業してから、1年ほど企業に勤め、今は村役場に勤めています。「役場の課長さんか部長さんにお願いする方が良いのでは」と薦めても、「どうしても園長先生にして欲しい」と言ってくれます。その子も、幼稚園の頃のことは余り覚えていません。

大人になった頃には幼稚園のことは、どの子もほとんど忘れてしまい、部分的にしか思い出すことはありません。それなのに、幼稚園を訪ねて来てくれるのです。しかも、幼稚園に来ると気持ちが和んだり、意欲が沸いて来たりすると言います。そうなんです。自分に生まれ育ったふるさとがあるのと同じように、心のふるさとが幼稚園なのです。記憶は薄れていても、心の奥底にある感性は、幼児期に育まれ、その子の人間性の基となっているのだと思います。豊かな生活体験を通して豊かな幼児期を過ごすことは、心豊かで、その子の人生を豊かなものにしてくれるのです。

恩師との別れ(平成11年度)9月

私が小学校2年生、3年生の時の担任に徳原つね子先生という方がいらっしゃいました。もう、すでに50年近く前になります。私たちの担任を最後に定年退職(当時、女教師の定年は40才でした。)されたので、それ以後、お会いすることもなく過ごしていました。

ちょっと照れくさい話になりますが、私たち夫婦の結婚が決まったとき、その先生に、「私のお嫁さんを見てもらいたい」という感情が突然に涌き出たのです。3年生の時の担任を最後にお会いすることもなかった先生なのに、なぜか無性にお会いしたくなったのです。ところが、とうの昔に引っ越されていて、お住まいが分かりません。田舎のお袋に聞いたら、広島の祇園町に引っ越されたという記憶があるというので、祇園町ということだけを頼りに、捜し歩いたのです。交番で尋ねても分かりません。そして、祇園町の西原というところで、「徳原酒店」という看板を見つけ、同じ名字なので、もしかしたら親戚かもしれないと、お店のドアを開けて中に入って行きました。そこには、おじいさんが一人立っておられました。「実は、世羅郡三川村の伊尾小学校というところに、徳原つね子先生という方がいらしたのですが、同じ名字なので、もしかして、親戚ではないかと思って伺いました」と尋ねるなり、「あ、それは、わしの家内よ」と言われた途端に、涙がぽろぽろと沸き落ちるのです。そして、その先生の顔を見るなり、わんわんと声を出して泣いてしまったのです。


その時には、その先生に、ぼくのお嫁さんを見て欲しいとか、声を出して泣くなど、どうしてこんな感情になるのか、自分自身、はっきりとは分かりませんでした。そして、結婚式に来ていただき、お嫁さんを見ていただくことが出来たのです。


そして、それから15年経ったある日、その先生が、ご長男に背負われて私の家に訪ねてきてくださったのです。ところが、「まさひろちゃん、一生のお願いがある」と、おっしゃるのです。何事かと思っていると、「私が死んだら弔辞を詠んで欲しい」と言われるのです。恩師からそのようなことを言われることは、教え子としてはとても名誉なこととは思ったのですが、「分かりました」とも言えず、「そんなことを言わないで、一日でも長くお元気でいてください」としか言えないでいると、「たのんだよ、たのんだからね」と、私の手をしっかりと握って帰って行かれました。

その後も、時々お尋ねはしていたのですが、大学院での研究生活に入ってからの、この2年間余り、ご無沙汰をしていました。
そして、7月18日の早朝に、先生のご長男から電話がかかってきて、先生の訃報に接したのです。そして、すぐにかけ付け、先生の棺にお祈りを済ますなり、ご長男が、「あなたのことが,ここに書いてあるよ」と、「あさの風」という一冊の歌集を渡してくださいました。そこに詠ってある詩は、「玄関に見知らぬ紳士の涙ぐむ アツ!! クラス一のわんぱくなりし」という和歌でした。また、号泣してしまいました。

そうなんです。ほんとうにわんぱく者の児童期を過ごしていたのです。 どうして、お嫁さんを見て欲しいとか、再会したときどうして号泣するほどの感情を抱いたかが、結婚が決まったときには、まだはっきりとは分かりませんでしたが、その後の園児との生活を通して分かってきたのです。家に帰って教科書も開いたこともなく、宿題も一回もやってきたことのない、わんぱくばかりしていた私の短所も長所も含めた全てを受け止めてくださっていたのだということが分かったのです。私の全てを受容してくださっていたからこそ、今の自分があるのだと確信が持てたのです。


子供は、親を中心とした周りの人たちの愛情を支えに成長していきます。親から見て良いところも悪いところも有ります。その長所短所も含めてわが子なのです。わが子の全てをありのままに受け止めてやることが、その子の成長にとって大きな支えになるのです。他の子と比較するのではなく、その子の全てを、その子の個性や特性として受け止めてやって欲しいのです。子供は、自分を認めてもらうことで、正しく成長していくのです。  先生のご霊前で教え子を代表して弔辞を読みました。行年90歳のご長寿でした。弔辞を詠ませて戴いたことが、私の人生の中で最高の勲章です。

おじいちゃん(平成11年度)8月

先日のバザーの日、お手伝いにきてくださっていた年少組のMちゃんのお父さんが、携帯電話でお母さんと話しておられたので、途中、私と電話を換わってもらいました。『Mちゃんのおかあさんですか? いつもお世話になります。Mちゃんは園庭で私を見つけると、すぐに飛んできて、「園長先生、ブランコ押して!」と、毎日のように手を引っ張って連れていくんですよ。それも、ただ押すのではなくて、ブランコを上に高く持ち上げて、落とすように降ろすとすごく喜ぶんですよ』と話しました。すると、お母さんは意外にも、「そうなんですよ、うちの子はおじいちゃんがだいすきなんですよ」といわれるのです。
「え~、おじいちゃんですか?」というと、お母さんは「…………」と、一瞬、息を詰まらされた様子でした。


「そうなんだ、園長という呼称があるから、子供たちは園長先生と呼んでいるけど、子供たちにとってはおじいちゃんなんだ」と、変に納得してしまいました。
実は先月、孫に会いに妻と鹿児島まで行ってきました。(いや~、孫に会いにいってくると出かけたので、帰ってきてからが大変)。


「お孫さんに会いに行かれたと聞きましたが、子供さんは結婚されたんですか?」と、何人もの人から聞かれる羽目になってしまいました。1才半になる萌音(モネ)ちゃんという女の子なのですが、3月までいた大学院の寮で一緒だった同期生の娘さんなのです。同期生といっても、まだ30才前です。その萌音ちゃんが、私を見つけると、「じぃじぃ、じぃじぃ」といっては抱っこすることを求めてくれるのです。その子のお父さんやお母さんが、『おいで』といっても、「いや!」といって、私にしがみつきます。鹿児島での2日間、食事をするときも風呂に入るときも、私とずっと一緒で、しっかりとおじいちゃんの生活を楽しませてくれました。


昔から、孫は「わが子よりかわいい」 とか、「目に入れてもいたくない」とかいいますが、本当にかわいくて仕方がないということを実感することが出来たのです。このように、ほとんどのおじいちゃんやおばあちゃんは、孫のことがかわいくて仕方がないのだと思います。では、わが子が小さいとき、孫ほどかわいくなかったのかというと、そうではなく、わが子のときは子育ての大変さに追われて、孫に接すると同じような、精神的な余裕が持てないだけだと思います。その証拠に、これも昔から、「孫来て良し、帰って良し」 といわれてきたように、孫が来てくれたら嬉しいし、でも、ずっと一緒にいたら疲れてしまい、帰ってくれてほっとするのです。毎日毎日、24時間、責任を持たないで良いから、かわいさを楽しめるのだと思います。


一方、孫の方はというと、いつも抱っこしてくれたり、おいしいものをくれたり、一緒に遊んでくれるやさしいおじいちゃんやおばあちゃんがだいすきなのです。しつけのことも、親がやってくれていますから、余りしかられたりしないですむのです。何をいっても、何をしても「お~、よし、よし」と、全てを受け止めてくれるおじいちゃん、おばあちゃんだから、だいすきなのだと思います。


子育てをする親の方も、おじいちゃん、おばあちゃんから子育ての知恵を受けることが出来るし、子供がおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に遊んでもらっている間は、他のことをしたり休んだりと、子育てにも余裕が持てるようになり、嫁、姑の問題があるとしても、精神的にもずいぶんと助かることが多いのです。


このように、子供たちが、周りの人からしっかりと愛を受けて育つことで、子供の情緒が安定し、情緒の安定は自主性の発達を促し、いろいろなことへの適応能力や知能の発達を促す基となるのです。
今は一緒に住んでいなくても、里に帰るとおじいちゃん、おばあちゃんのいらっしゃる方も多いと思います。夏休みは、是非ともおじいちゃん、おばあちゃんとの生活を多く持たせてやって欲しく思います