原体験とは、「人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少時の体験。」(広辞苑)を意味します。私たちが大人になって考えたりしていることの中に、幼少期に体験したことが大きく影響しているのです。自然や人を愛する気持も、いろいろなことに興味を持ち夢中になることも、なにかの学問や仕事を選ぶことも、将来に対する希望や夢を持つことも、幼少期の体験が基盤になっているのです。それは、その人の思想形成のみならず本人の性格形成にも関わることなのです。
それだけに、わたしたちは、幼児期における経験がより豊かなものとなるよう、幼稚園での子供たちの生活にいろいろとこころ配りをしているのです。幼児期を豊かに過ごすことは、将来を豊かに過ごす基盤を形成していると言っても過言ではないのです。
三次中央幼稚園で「子供主体の生活」を目指しているのも、幼稚園での様々な経験が、単なる受け身の生活ではなく、子供自ら、ものごとに関わり、試行錯誤しながら、自分の意志で創意工夫をしたり問題解決する経験を通して、これからの学校生活や将来の自分の人生を主体的に生きていく能力の基盤を培っているのです。
一口でいえば、幼児期は幼児期としての生活を保障してやることで、その子の幼児期を完成させることなのです。それは、先に先に知識を教えたり、なにかが早く出来るようにするのではなく、幼児期に経験すべきことをしっかりと経験さすことに外なりません。
幼児の生活は「遊び」であるとよく言われます。それは、周りのものや事象に対する好奇心に誘発された遊びこそが自発的な行為であり、子供自らが主体となり得る活動であって、「遊び」から様々な経験が引き出され、その子その子の特性が育まれるからなのです。
今日のいじめや不登校、自殺、校内暴力やナイフによる殺傷事件等々、様々な不幸な出来事が起こるのも、小学校高学年や中学生になって急に問題を起こす人間に変身するのではなく、幼児期からの生活の有り様の積み重ねとも言えるのです。
それでは、今の子供たちが成長して行く過程の中で、なにが問題行動を起こす要因となっているのでしょう。やはり、子育てを急ぎ過ぎることに大きな原因が有るように思えてなりません。急ぎ過ぎるがために、子供の成長にとって、とても大切な生活経験をしないままに過ごしているのではないでしょうか。その急ぎ過ぎの子育てが、子供の心の歪みとなり、その歪みが思春期を迎えた中学生に様々な問題行動として顕在化しているのです。
難しい言い方になってしまいましたが、このようなことを改めて書いたのも、明日から始まる夏休みが、子供たちにとって充実した有意義な日々となって欲しいからなのです。
私たちが大人になっても、子供の頃をなつかしく思いだすことの中で、夏休みの経験が一番印象に残っていると思われる方が多いのではないでしょうか。それほど夏は子供たちを虜にするのです。自然が子供たちに働きかけてくれるのです。
お父さんお母さん、セミやトンボを捕ったことを覚えていますか。オタマジャクシやザリガニをすくったことやバッタや蛙を捕まえたことも。海や川で泳いだり魚を釣ったり手で捕まえたことも。日が暮れるまで夢中になって遊んだことも、どれもこれもはっきりと覚えていますよね。そして、おじいちゃん、おばあちゃんの家に泊まりに行ったことや縁側に座ってスイカを食べたことも。花火をしたり、きもだめしで、暗闇の中から「オバケ~」と言われて怖かったことも。それだけではなく、廊下の拭き掃除やお使いも子供の仕事として、いろいろとお手伝いをしていたことを思いだされることと思います。
このようなことがなつかしく思いだされるのも、これらの様々な体験を通して、今の自分の形成されているからなのです。このように思いだして見ると、自分たちが子供の頃には、「子供の生活」と「時間と空間」がしっかりと有ったことにお気付きでしょう。そこでの様々な体験が子供時代を完成させてくれたのです。急ぎ過ぎる子育ては、塾や習い事に子供を追いやり、子供時代を失った「人生の迷い子」を育てる結果となるのです。「原体験」となるべき生活の保証が、今、一番必要とされているのです。
夏休みの過ごし方を、今一度家族で話し合って見てください。
1998年8月7日 5:30 PM |
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みなさん、蛍の乱舞する姿を見たことがありますか。おそらく、若いお父さんお母さん方には、蛍を保護育成している特別な場所に出向いて見られた以外は、ほとんど見られたことがないと思います。県北近辺では、口和町、作木村、羽須美村等、山あいの川で見ることができます。地域の人々の努力により、かなりの数の蛍が復活しています。それでも、私の子供のころの、あの乱舞する姿には程遠いのです。
蛍の姿が一度に消えたのは昭和30年前後ではなかったかと思います。昭和30年頃というと、みなさんはまだ生まれていなかった方が多いと思いますから、昔は蛍が乱舞していたといっても、どの程度か想像もつかないと思います。一口でいうと、蛍の光で川の形がわかるほど、川の流れに沿って、蛍の光がずっと続いていたのです。
子供たちが蛍狩りをするのに、竹ぼうきを振り回せば、何匹でも捕れたのです。たとえ、4、5歳の子供でも、ほうきを無造作に振り回すだけで捕れていましたから、いかに多かったかがおわかりいただけると思います。
昭和30年頃に、その蛍が突然に姿を消しました。一番の原因は農薬でした。それまでは、農薬らしいものはほとんどありませんでしたから、稲も様々な病虫害にやられ、お米の収穫も、一反(10ア-ル)当たり、5、6俵が精一杯でした。現在は、9、10俵の収穫があります。農薬のおかげです。お米の収穫が急に増えて、国民のみんなが喜んでいました。しかし、その間に、イナゴはもちろんのこと、蛍やゲンゴロウ、タガメ、川エビをはじめ、昆虫や水中動物がまたたく間に姿を消してしまいました。子供たちに、川で泳いだらいけないといわれだしたのもこの頃からでした。
その当時は、敗戦後の生活の困窮から這い上がろうと、日本中が経済至上主義でしたから、ほとんどの人が、大きな疑問も持たずに過ごしていました。そして、工場排水や生活排水で川や海がどんどんと汚れていったのです。当時は国民の公害に対する意識もまだまだ低かったので、ほとんど問題になりませんでした。いまでこそ、工場排水や生活排水に対する問題意識も高まり、その対策もとられるようになってきましたが、まだまだあちこちで問題がおきています。最近では、ダイオキシンや環境ホルモンの新たな問題がおきてきています。
このようなことを書きはじめたのも、先日、蛍の乱舞する姿を見たからです。いま、私の在籍している大学院の周辺の川辺に、昔どおりの蛍が乱舞しているのです。そこは特別に保護されていたわけではありません。たまたま、高台という地形的な条件で水耕に適さず、人家もあまりなかったので、農薬に汚染されなかったのです。
小さな子供たちがこれから成長していくのに、その成長の過程で知らないうちに人体が汚染され、その発達に歪みをもたらすばかりでなく、生殖機能や遺伝子にまで影響するとなると、とても怖いことなのです。
これらのことは、私たち大人が考えなければならない問題ですが、日本全体や地球全体のこととして運動するには、なかなか力が及びません。しかし、私たちができる身近なことはたくさんあります。三次で人通りの少ない道路わきの空き地に冷蔵庫やテレビ等の廃棄物が大量に捨てられていたという事件がありましたが、このような悪意の者は言語道断としても、車の中から空き缶やタバコを捨てる人がおります。これは、若い人ばかりではありません。けっこう年配の人も平気で投げ捨てている人がいます。
中性洗剤も知らないうちに地下水や川や海を汚染しています。過剰包装の食品も大量のゴミを生み出し、ダイオキシンの元を作っています。このように、日常の一つひとつのことにこころ配りをすることからはじめることがとても大切なのです。子供に対しても、大人が環境にこころ配りをする姿の中から、その大切さを知らせ、公徳心を学んでいけるようにしなければなりません。
そして、もっともっと大切なのが、子供の頃に、昆虫や魚捕りをしたり、野草で遊んだり、川や海で遊んだりする生活経験を通して、自然に対する楽しい思い出をしっかりと持つことです。そうして育った子供こそ、大人になって、本当に自然を愛し大切にする心を育んでいるのです。その楽しい思い出こそが、自然の汚れることに対して心の痛みを持つことができるのです。もうすぐやってくる夏休みこそ大きなチャンスです。
1998年7月7日 5:15 PM |
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子供たちが夢中になって何かをしている姿をたびたび目にされることと思います。そのような、わが子の夢中になっている姿を、お母さんやお父さんはどのように感じて見ていらっしゃいますか。きっと、微笑ましい姿として見守っておられることと思います。そうなんです。「子供らしさ」の一番表れるのが、この「夢中」になっているときなのです。
それは、子供たちは「今」を生きているからこそ、「今」、一番興味を持っていることに夢中になって遊ぶのです。「今」を生きるということは、大人のように、このことをしたら将来役に立つとか得になるというような効果意識を持ちません。「今」、興味を持っていることだからこそ、そのこと自体が楽しいからこそ、夢中になってしているのです。子供たちの「純粋無垢」の姿は、この効果意識のない、楽しさの中に没頭している様子の中に表れ、私たち大人はその姿に子供らしさ、その子(自分)らしさを感じることが出来るのです。それが、子供の健康な姿なのです。
子供たちが何かに夢中になる根底には確かなる好奇心があります。その好奇心があるからこそ、いろいろなことに興味を示し、夢中になって遊ぶのです。その中でいろいろな発見や驚き、感動を味わう場面に度々出合い、喜びとなります。また、逆に困難やトラブルにも遭遇します。しかし、自ら興味を持ってしていることですから、困難や挫折感をも乗り越え、自分で問題を解決していきます。遊びをもっとおもしろくしていくには、もっと知りたくなり、探索したり確かめたりします。科学する心や意欲につながるのです。遊びをより楽しくするため、友達との関わり方にも磨きが入ってきます。思いやりやいたわりの気持ちと共に仲間意識が育まれ、社会性が発達してきます。子供の「遊び」が大切ということはここにあるのです。
これを書いている今も、子供たちは小川に入って水遊びに夢中になって遊んでいます。牛乳パックや発砲スチロ-ルで船を作って浮かべて遊んでいる子もいます。木陰でかたいかたい泥団子を賢明に作ってる子や、砂場やアスレチックで遊んでいる子もいます。葉っぱや砂を使ってままごとをしている子もいれば、ミミズや虫探しに賢明になっている子もいます。幼稚園に遊びに来た育児サ-クルの小さい子の手を引いて一緒に遊んでやっている子もいます。花壇の花に水をやっている子や動物に餌をやっている子もいます。子供たちは、幼稚園という環境の中で、それぞれが、自分の興味に合った遊びを思い思いにしています。この自分に合った思い思いの遊びこそが、自分の意志で、自分で判断し、友達と関わりを持ちながらしている自発活動なのです。この自発活動こそが、子供自身の主体的な生活を送るために重要な役割を果たすのです。
子供たちは、成長と共に自立していかなければなりません。何時も大人から指示されたり命令され、「させられている」生活からは、子供の主体的な生活は生まれてきません。子供に「任せる」時間と余裕を持ちたいものです。
ところが、わが子となるとどうしても急いでしまいがちです。「早く出来るように」、「早く覚えるように」と、何でも「早く早く」、あるいは「先に先に」と教えこんだり習わせたりしようとする姿も見られます。このことは、子供が好奇心や興味を抱く前に教えてしまったり習わせたりしますから、感動や喜びを伴いません。逆に、嫌いになってしまい、肝心なときになって拒否反応すら示します。大切なことは、子供が好奇心や興味を持って夢中になれる環境(自然、仲間、地域社会、家庭、絵本等々)と、その時間と空間を保証してやることです。それは、親自身が子育てに余裕を持ち、広い心で見守り、子供のしていることを楽しむことです。そうしていると、興味を持って来たときをうまく捕らえることも出来るし、知りたがっていることを考えさせたり、少しだけ教えることにより、もっともっと興味を深めることになります。
この幼児期に、様々の経験、自ら関わる具体的で直接的な経験こそが、子供の自己教育力の基礎と主体的生活の能力基盤を培うのです。幼児期の子供の生活の在り様が、これからの育ちの中で、とても重要な役割を果たすのです。
1998年6月7日 4:58 PM |
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近年の物質文明の豊かさは、子育て意識やその方法にも大きな変化をもたらしているような気がしてなりません。食生活もそうです。インスタント食品(カップ麺等)や缶ジュ-ス(炭酸飲料等)を毎日のように食べたり飲んだりしている中学生や高校生たちの心身をむしばんでいるという研究報告等をみる度に身の毛がよだつ思いがします。
すぐにイライラしたり、親や他人に「むかつく」と言ったり、友達をいじめたり、すぐに暴力をふるうのも、食生活に大きな原因があるという報告です。それのみならず、体力もなく、疲れやすく、すぐに倒れたり、朝なかなか起きれない状態が続くのです。このことは集中力や意欲も欠如し、脳の発達にも大きく影響しているものと思えます。また、炭酸飲料のとりすぎは、骨からカルシウムが放出され、骨折しやすくなっており、子供ですら骨そしょう症の状態にあるというのです。
このような子供が増えているということはどこから来ているのでしょう。成長過程の生活の中で様々な要因が考えられますが、そのもっとも根底となる原因は、幼児期からの家庭での食生活にあるように思われます。それは、いとも簡単に親が子供に買い与えているという現実です。お腹が空いたといえばカップ麺やスナック菓子で間に合わせたり、のどが渇けば缶ジュ-スを飲ますということが日常生活の中で頻繁に見られるのではないかと思います。
食生活の在り様は、発達途中にある子供たちには、その成長に様々な影響を与えます。このことに注意を払って子育てされている家庭では、簡単にインスタント食品や炭酸飲料の缶ジュ-ス、スナック菓子等を出来るだけ控えたり与えないようにされていますが、安易に手に入り、便利なだけに、強く意識していないとついつい与えやすいものなのです。
これとは逆に、きちんとした食生活の中で育った子供は、心身ともに健全に育つであろうということにもなります。
今の若い子の中に、味噌汁が嫌いだという人がかなりいるような気がします。味噌汁が体によいとか悪いとかいうのではなく、嫌いな子は、幼少の時から口にすることが少なかったのです。逆に、朝食は、ごはんと味噌汁がないと食べた気がしないという人もいます。それぞれ、家での食生活の影響です。
子供の食べ物の好き嫌いは、離乳食が始まった頃から始まります。1、2歳頃に口にしていたものやその味は、将来の味覚を決定づけると思われます。偏食する子供がたくさんいますが、好きなものだけ与えていて、食べさせる工夫や努力が足りなかったのかもしれません。
家庭での食生活の在り様は、子供が健全に育つために、とても重要な役割を果たしているのです。ぜいたくなものでなくても、1品ひと品、心のこもった料理は、つくった人の愛を感じさせ、おいしく食べることが出来て、家族の団らんもはずみ、絆も深まります。
「料理は愛である。」という言葉をたびたび耳にします。まさにその通りで、料理をしている方の気持ちは、相手側に「いかにおいしくたべさせようか」、「栄養になるものを」、「元気に育つように」とか、常に考えてつくっています。家庭では、お母さんがつくるにしても、お父さんがつくるにしても、あるいは、おばあちゃんにつくってもらっているとしても、家族みんなに対しての愛なのです。愛があるからこそ、つくる方も料理が楽しいのです。
そのような家庭では、「おいしい」という言葉も素直に出るし、「いただきます。」、「ごちそうさま。」も、ごく自然に出ているのではないでしょうか。
このように、愛情一杯の食生活のある家庭では、安易に、インスタント食品や、買ってきた惣菜をそのまま食卓に出すようなことはなく、たとえ忙しいときでも、なにかの心配りがあるはずです。子供のおやつにしても、買ってきたものを袋ごと渡すのと、お皿に盛ってやるのとでは子供の親への愛の感じ方はずいぶんと違うはずです。
親や家族の愛をしっかり受けて育った子供は、相手に対する思いやりやいたわりの気持ちもしっかりと育まれ、健全な子供にと成長してくれます。このような愛をしっかりと受けて育つことは、情緒の安定につながり、意欲や知能の発達にも大きな役割を果たすのです。
食生活が子育ての基本でもあるのです
1998年5月7日 4:25 PM |
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お母さん、お父さん、子育てを楽しんでいますか。「とんでもない、もう大変」とおっしゃる方もおられれば、「毎日がとっても楽しい」と思われている方、「どう育てていいのかわからず、一人悩んでいる」と言われる方等、様々と思います。でも、子育てがどんなに苦労でも、やはり「子育てが楽しい」と思って育てることができたら、どんなにか幸せなことでしょう。
では、子育てはどうして大変と思ったり悩んだりするのでしょう。
身近なことから考えてみましょう。「朝早く起きてお弁当を作るのが大変」、「毎日どろんこになって帰るから洗濯が大変」、「部屋はオモチャで散らかしたままなので片付けや掃除が大変」、「兄弟喧嘩をいつもするから治めるのに大変」、「いたずらばかりするので叱るのに大変」等々、少し考えただけでも大変なことがいっぱいあるのだと感心してしまいます。でも、こんなに大変、大変と思っていたら、子育てなんて楽しくないですよね。
「お弁当が大変」と思っていらっしゃるお母(父)さん、お弁当を作るときに、我が子が幼稚園でお弁当を食べている姿を思い浮かべてみてください。友達に囲まれて、お母(父)さんが作ってくれたお弁当に、温もりを感じながら、とっても嬉しそうな顔をして食べている我が子の姿が浮かんできませんか。それだけで、お弁当作りがとても楽しくなりますよ。毎日の洗濯が大変と思っていらっしゃる方、どろんこになって帰ってきた子どもを喜んで迎えてやってください。もし、友達と遊べない子供でしたら服も汚れませんよ。何をして遊んだのだろうと想像してみてください。友達と元気いっぱいに遊んでいる姿が浮かんできます。そう思ったら洗濯も楽しいですよ。
掃除や片付けをするのが大変と思っていらっしゃる方、子供と一緒にしてみてください。子供は喜んでしますよ。親子の連帯感を感じて、とっても幸せな気分になります。兄弟(姉妹)喧嘩でイライラされているお母さん、喧嘩をしながら社会性を培っているのだと思ってみてください。子供って喧嘩をしながら成長するのだと大きな気持ちで見れますよ。いたずらばかりすると思っていらっしゃる方、大人からはいたずらと思えても、子供は好奇心や知恵をいっぱい働かせているのです。動いたりおしゃべりする人形やオモチャの中はどうなっているのだろうと思ったら中を見たくなるのです。壊してしまっても、我が子が科学していると思ったら、知恵が付いてきているのだと、いたずらも楽しみになりますよ。
何でもこんな風に思えたら、子育てがとっても楽しみになります。子育ての悩みもうんと軽減されます。
子育ての悩みとなる一番の原因は、他の子とついつい比較してしまうことにあるように思います。「〇〇くんは、もう、こんなことができる」、「〇〇ちゃんは、こんなことも習っている」と気になってしまいます。そうすると、うちの子はみんなより遅れているのではないだろうかとか、我が子にも早く習わせなければと焦ってしまいます。
人間生まれたときからみな違います。顔はもちろんのこと、生まれたときの体重や身長も違えば、お乳の飲み方や量もみな違います。何か月かして、人見知りをして恥ずかしがる子や泣く子もいます。そうかと思えば、ニコニコしている子もいます。12か月で歩くようになる子もいれば14か月で歩きはじめる子もいます。
幼児では、運動機能も情緒面でも個人差がとても大きくなります。行動の素早い子もいれば、おっとりとした子もいます。優しくておとなしい子もいれば、少々荒っぽくても積極的な子もいます。同じ血筋から生まれた兄弟姉妹でさえ、体格や性格もみな違います。みんな違うから、興味も違い、個性も違うのです。 そうなんです。みんな違うのが当たり前なのです。みんな違うからこそ、その子その子の良さや素晴らしさがあるのです。他の子と違うからこそ我が子なのです。人間、みな違うからこそ、成長の仕方も違えば、興味や好みも違います。だからこそ、一人ひとりに価値があり、その子その子の魅力があるのです。
そう思ったら、他の子と比較して悩むことなどいりません。我が子は我が子。お父さんとお母さんが愛し合ってできた子です。そんな素敵な子と一緒に食事する幸せは、毎日の食事を作るのが大変と思っていらっしゃる方も、料理がとても楽しくなります。
自分の思い一つで、子育てがとても楽しくなります。
1998年3月8日 4:37 PM |
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