葉子えんちょうせんせいの部屋
日の短さに季節の移り変わりを感じます。夜にはスズムシの鳴き声が夏の終わりを伝えてくれています。日中はまだ暑さが残りますが、それでも、日差しの強さは和らいで来ました。“読書の秋”“食欲の秋”“芸術の秋”等と言われるように、五感でこの秋を楽しみたいと思います。
気の利く子
ある日の降園時間の事、“おむかえルーム”で、その日も、私が子供達に絵本を読み聞かせながらお家の方のお迎えを待っていました。年少組の一人の女の子が、「園長先生!トイレに行ってくる!」と言ったので「荷物を置いて行っておいで。そろそろお母さんがお迎えに来られるからね」と返すと、急いでトイレに向かって行きました。少しすると、その子のお母さんが迎えに来られました。
私は、荷物を渡そうと見回しましたが、見当たりませんでした。すると、隣に座っていた同じ年少組の女の子が、「さっき、私が、テラスに持って行っておいたよ。もうすぐママが来ると思って……そしたらここに戻らなくても、すぐに帰れるかなぁと思って」と言いました。なんと、気の利く子だろう!と驚きました。
誰に頼まれたわけでもなく、自分でそう思ってした行動だったのです。この年齢で、そんな事を考えられるという事に感心しました。おかげでトイレに行っていた女の子は、すぐにママと帰る事が出来たのです。その子は、そんな気遣いがあったことにも気づかず、帰って行きました。
荷物を置いてくれた女の子も、感謝される事を期待もせず、テラスから帰って行く友達の背中をチラッと見るだけでした。こうしたらあの子がママの所へ直ぐに帰る事ができるだろうと想像して起こした行動でした。
僕にできる事
昼食後にはデリバリー弁当の空容器を各クラスのお当番さんや先生から頼まれた子供達が、職員室まで運んで来てくれます。何人かで、運んでいる様子を見ていると、お弁当箱を入れるケースの両サイドを持つ人と間を持つ人でちょっとした騒ぎの中、張り切って運んでくれます。その中に入り切れなかった子供達は、どうしてもそのケースが持ちたくて「ちょっと寄ってよ~」「私も持ちたい!」と騒いでいる中、一人の男の子が、その列から外れて前を歩き、テラスに落ちているゴミを拾ったり、「お弁当が通りま~す、横に寄ってくださ~い」と誘導していました。そして、最後は、お弁当ケースがスムーズに職員室に入るように、ドアを開けて、サポートしてくれていました。
そのケースを直接持って運んだ子供達は実に満足そうでしたが、後ろの方でニコニコ静かに微笑んでいるその男の子は、お手伝いをする子達のサポートができた事に満足そうでした。
往々にして、そんな主役達に脚光を浴びせてしまいがちですが、表舞台に立つ人が立派な姿や結果を出せるのは、その裏で、大きな仕事をしてくれる人の存在は欠かせません。縁の下の力持ちがいてくれるおかげで、主役達は、安心して自分の持つ力を発揮できるのです。
主役を支える裏方業
幼稚園では、明日から「わんぱくチャレンジ」を学年別に3日間行います。毎年、年少組と年中組の「わんぱくチャレンジ」では、年長組の子供達が、プログラム毎に自分より小さな子供達のサポート役になってくれます。かけっこのトラックにコーンを置く・走り込んでくる子をゴールテープで迎える・競技で使うグッズをトラック内に運ぶ・持つ・応援する・アナウンスでプログラムを紹介する…等、その日の主役の活躍を裏方となり支えるのです。その裏方さんの存在のおかげで、小さな学年の子供達は安心してプログラムに挑む事ができるのです。
何人かで別れてサポートするので、その中でもリーダー役が出てきたり役割を先生に代わって友達に教えてあげたりする様子がみられます。頼もしい限りです。初めは、自分が何をして、それがどんな意味を持ち、どんな成果につながるのか──誰のために、どう役に立っているのか、わからないまま、与えられた役をこなしていくばかりでしたが、先生から具体的にその意味を説明してもらい実際に動いてみると、自分の裏方としての役割の必要性や、そのおかげでプログラムが楽しく進んでいく事を実感できると、張り切って裏方の役割を頑張ってくれるようになってきました。アナウンス役の子供達は、実況中継をしたり、ゴール手前では、「もうすぐゴールだよ!がんばって~!」と選手を励まし、転んでしまった時にはその場を見て「転んでも最後まで走って凄いよ~!」と気持ちのサポートをしてくれたりするようになりました。これらのサポートがあるおかげで、その日の主役であるちびっこ選手達は、より一層輝けるのです。その事を実感できた時に裏方の醍醐味と達成感を味わえるのです。
誰かのために、自分にできる事はないか?自分は今どう動き、言葉を発したらいいか?そうしたら、どうなるのか?を自分なりに状況を見て、考えて想像をして行動に移す──。ただ、指示を受けて言われた通りに動くのではなく、思慮深く動ける人は誰からも信頼を受けます。裏方の役割には、そんな魅力があるような気がします。こう考えると、俗にいう“お節介”も“出しゃばり”も、ある意味、気を利かせる行動の一つなのかもしれませんね。
気を利かせて行動する姿の中に思いやりの気持ちが育まれている事を感じます。頼もしい可愛い裏方さんなのです。
一つの事を成し遂げるためにそこに集う力のどれもが、欠かせない大切な力である事を 全ての子供達に光をあてて讃えたい気持ちでいっぱいです。
2025年10月27日 12:11 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
「記録的な暑さ」「危険な暑さ」──この夏、何度この言葉を耳にしたことでしょう。まだまだ厳しい暑さが続きそうですが、先生や友達に会える事を楽しみに登園してくる子供達の気持ちが新学期への原動力になるよう、2学期も、暑さ対策をとりながら、元気に過ごしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
「先生に会いたい!」──幼稚園がずっと心のなかに
8月中旬の夕方、7年前に卒園した姉弟とそのお母さんが幼稚園を訪ねて来られました。今年の春、お父さんの転勤により広島市内に引っ越しをし、連絡もしないままだったので、ちょうど三次に来た機会に会ってご挨拶をしたいという事でした。その姉の担任だった美穂先生は、ちょうど研修に出かけていて留守でした。次いつ三次に来られるか分からないという事だったので、思い切って美穂先生に連絡を取ってみました。すると「今、○○まで帰っているんですが、待っていてもらえますか?会いたいです!」と即答してくれました。
先生の帰りを待つ間、姉弟は懐かしい先生と思い出話をし、当時大好きだったアスレチックや滑り台で大はしゃぎ。「やっぱり幼稚園は楽しい!!」と笑顔いっぱいで遊んでいました。その様子を見守りながらお母さんが目を潤ませ話してくださいました。「卒園してからもいろいろな事がありましたが、何とかここまで成長させてもらいました。本当にここが、私達家族にとって原点になっているような気がします。子供達もずっと“行きたい!行きたい!”と言っていたんです。今日は急に来てしまってごめんなさい。」───
やがて、美穂先生が園庭に走って戻って来てくれました。「お~い!こんにちは~!!」と言って思わず抱き合っていました。久々の対面にみんな大喜びです。話したい事がたくさんあって会話は止まりません。当時の小さな出来事や気持ちの揺れも覚えていて、一生懸命話してくれました。お姉ちゃんは「私大きくなったらここで仕事した~い!」「だから、先生達もずっとこの幼稚園にいてよ!」と笑顔で言ってくれました。「美穂先生や他の先生達は大丈夫だけど、早く帰って来ないと園長先生は年をとって動けなくなってるかもしれないよ」と、私が冗談を言うと、「だめだめ!座っててもいいから居てよ!」と大笑い。それから、先生達との別れを惜しむように、何度も手を振りながら帰って行きました。
懐かしい写真
夏休み中、ひとりの大学生から「ボランティア実習に来たい」と連絡がありました。名前を聞くと、なんと卒園児!「ぜひ!来てください」と快く受け入れ、プレイルームで二日間の実習を行いました。初日に顔を見た瞬間、当時の面影がはっきりと残っていて、その成長ぶりに思わず感動しました。幼稚園の先生になるために頑張っている事も嬉しく思いました。子供達と過ごしながら、幼稚園の先生の仕事に触れ、大変さも楽しさも、そして、これから必要な学びについても自分なりに吸収していたようです。
そして、最終日、職員室に挨拶に来た彼女に、当時担任だった芽似先生が声をかけ、幼稚園時代の写真を探し出して見せていました。「え~っ!嬉しい!」と彼女は思わず涙をこぼし、懐かしさに浸りながらしばらく先生と写真を見て語り合っていました。当時も今も変わらず自分を応援してもらえている事を感じたでしょう。きっと、来年度の本実習に来てくれる彼女の最高の励ましになったに違いありません。
「またおいで。いつでもおいで」
幼稚園には、卒園児や転園した子供達が、ふとしたきっかけで訪ねて来てくれます。結婚、出産、就職など、人生の節目に顔を見せてくれる事もあります。時には、子供が成長して親元を離れた後、お父さんやお母さんだけで来てくださる事もあります。また、自分の子供を幼稚園に入園させてくれている子もたくさんいます。
先生達は、この幼稚園を離れていく子供達やご家族に「またいつでもおいでね。遊びに来てね」と言って送り出します。それは、社交辞令ではなく、純粋な思いです。これから会えなくなるあなたの為に私達ができる事、それは、あなたが会いたいと望んでくれる時に顔を見て話ができる……それで、喜んだり元気をもらったり、しあわせな気持ちになってくれれば私達幼稚園の存在の意味が続いていくと思うからです。在園している間だけではなく、私達は、その後もずっと子供達とそのご家族の幸せを気にかけていたいと思っています。
私達は、子供達が将来、素敵な大人へ成長していくための力を育んでいます。幼稚園にいる間にその結果が出るわけではありません。どんな大人になっていくのかを見たいし知りたいのです。だからこそ「またおいで」と言って送り出すのです。
研修会での再会
7月の終わり、先生数名で二日間の研修会に参加しました。大きな研修会だったので、参加者名簿が記載された冊子が配られました。最終日に、ひとりの若い先生が「すみません、三次中央幼稚園の先生ですよね?私、卒園児なんです!名簿にお名前があったので、昨日からずっと探していました。」と、駆け寄って来てくれました。彼女を知る先生達は驚き、会えた事に感動していました。
聞けば、今年が1年目で仕事に慣れるために奮闘しているとの事。別れ際に「いい先生になってね!また幼稚園においで」と声をかけると「はい!私、頑張ります!会えて良かったです!」──その力強い言葉に頼もしさを感じました。
2025年9月2日 5:10 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
バラって…アジサイって知らなかった
昨年の秋、我が家に新しく小さな庭を設けました。あまり手のかからない数本の高木と花を業者さんに植え込んでいただきました。少しずつ根付く様子を見て毎日楽しんでいます。5月の連休頃、いろいろな花につぼみがついているのを見つけ、ますます嬉しくなっていました。そんなある日、私と主人で移植したナンテンの木の下に、バラの木の芽が出ていたのに気付きました。以前植えられていた近くにバラの木があったので、きっと土と一緒に運ばれて来たのだろうと思うと、健気で愛おしくて、これからの成長を見守って大切に育てようと思っていました。嬉しかったので、主人に「ナンテンの木の下にバラの芽が出てるよ。大きくなるのが楽しみ!」と話しました。それから、毎日、バラは元気かな?と見ていました。そんなある日!なんと!そのバラがなくなっていたのです。エッ!なんで?昨日まであったのに!と、不思議に思って主人に言うと、「ん?さっき草とりしたよ。」と言うのです。「草?…草なんてあったっけ?」と私が言うと、「ん?もしかして、俺が抜いた草はバラだったん?」ガーン!!!「バラがある事,言ったじゃーん
」あんなに成長を楽しみにしていたのに…と思い、正直カッチーンと来ました。「ごめんごめん、他の草と一緒にゴミ箱に捨てた。あれがバラだなんて思わなかったから……。」と言うので、直ぐにゴミ箱の中を探しました。少ししおれたバラにしばらく水を吸わせ、涼しくなってから再び元の場所に植えてやりました。主人はあれから責任を感じたようで毎日こっそりとバラの様子を見ているようです。ちょっと私も大人気なかったかな?と反省。
そして、先日の夕食中、主人が、「庭に水色の花が咲いたね。丸い花。東側には白い花も咲いてたよ。」と話し始めました。「ん?アジサイの事?」と聞き返すと、「あぁ、あれがアジサイかぁ~」と言うのです。以前の庭には、大きな大きなアジサイの木が家の周りに何本も植えられていて、この時期になると、見事な花を咲かせて楽しませてくれていました。「え~っ!!アジサイ……って知らなかったの?玄関前のも東側のも同じア・ジ・サ・イ!!」と言うと、「そんなの思った事もなかった。以前の庭にはいつの間にか花が咲いていて、それが当たり前すぎて興味が向かなかった…」と…。「私もそんなに花の名前をたくさん知っているわけではないけど、アジサイくらいわかるじゃ~ん」と追い打ちをかけてしまいました。今、時季的にアジサイの話題がテレビや新聞で報道されています。それを見て、「あぁ~、なるほど、家のはまだ小さいけれど、あれと一緒だ。あれとこれが一緒って今ならわかる!」と言うのです。
どうやら、主人の生活の中においては、花や植物のウエイトが低いようです。
工具の名前なんて知らない
「おーい!ちょっと、工具箱の中から、モンキーレンチ持って来て!」と主人の声、DIYの作業中、手が離せないからと私に頼んだのです。「ん?モンキーレンチ?モンキー?…これっぽい」──たくさんの工具の中から、いちかばちか主人の元へ届けました。「これ?」主人は情けなさそうに苦笑い「これ違う」「レンチ…わからないかぁ~」と結局自分で取りに来る。主人は器用で、自分で手掛けて物を修理したり作ったりするのが好きで、それに必要な工具や機械をたくさん揃えています。そんな中から、私が言われてすぐにわかる物はそんなにありません。実際にあまり使う事がなく、関心もないからです。
私にとって、私の生活においては、工具のウエイトは低いのです。
人は皆、育った場所や働く社会や環境の違う世界でそれぞれに知恵や感性を生かしながら生活しています。価値観、興味、必要度の違い等で、知っている事、知らない事、みんなあるでしょう。しかし、自分が知らなかった事を知れた時、「知らなかったから仕方ない」ではなく、そこから興味を持ってみる事が、知識を広げるチャンスになります。こんなおもしろいものが…便利な物が…あるいは美しい物があったのだと関心を持てば、視野が広がり、自分の生きる世界が少し拡大されるような気がします。
子供達の中にも、虫や魚の事なら何でも知っていて、たくさん教えてくれる子がいます。興味があるから、どんどん自分で調べたり、お父さんやお母さんに話を聴いたり尋ねたりして、知識をどんどん深めていきます。幼稚園の園庭でもいろいろな物を捕まえてはその生態を説明してくれるのです。でも、歌やダンスはそんなに好きではなく、目の輝きも少し違います。好きな事、苦手な事、みんなそれぞれあるでしょう。得意とする事がなにかあれば、それが自信となり自己肯定感にもつながるので、しっかり伸ばしてあげたらいいと思います。しかし、人が社会に順応して生きて行くためには、知らない事や興味のない事をそのままにせず、基礎知識をバランス良く得ておくことは必要な気がします。それは、あれもこれも学ばせるという事ではなく、いろいろな事に関心や興味を持てる子、好奇心を持って心を動かせる子に育てる事だと思うのです。心ときめく刺激的な生活、あそびのある環境の中にいる事こそが、子供達のバランスのとれた学びの基礎を培うのではないかと思います。「なるほど」「楽しい!」「おもしろい」「きれい!」「かわいい!」「すご~い!」と思える事にたくさん出会える生活が子供達には必要なのです。
この年になっても知らない事がいっぱい!───まだ間に合いますかね? きっと、間に合いますよね。
2025年7月8日 6:05 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:えんちょう先生
心地よい春は、いつの間にか過ぎ、時折、夏を思わせるような日差しの中で汗をかきながら遊ぶ子供達。今や、地球温暖化もあり日本の四季が“二季化”するのでは?とも言われていますが、日本における生きるもの全ての生態系が壊される事なく、当たり前の季節が当たり前に廻って来る事を願うばかりです。
今月の中旬、年長組の子供達が我が家の田んぼの一部で田植えを経験しました。今年で20回目になります。もともと、全く田植えの経験もなかった私が農家に嫁ぎ、田植えの作業の苦労をよそに、ただただ面白そうだったので、これを幼稚園の子供達に何とか経験させてやれないものだろうか?と家族に相談した事をきっかけに今は亡き義父に協力してもらい始めたものです。
砂場や園庭にできた水たまりとは違う、田んぼのドロドロヌメヌメした感触や、広く歩いたり走ったりできる解放感。そして、そのまま手で柔らかい土壌に苗を植える楽しさを味合わせたかったのです。正直なところ“お米の大切さやありがたみを感じさせたい”とか“田植えの大変さを知り、食べ物を大切にする気持ちを育てたい”といったような目的は後付けだったかもしれません。とにかく、この水田の中に入って泥んこになって喜ぶ子供達の姿を想像すると実現させずにはいられなかったのです。そうして始まった三次中央幼稚園の田植え───。
今年も、子供達は我が家の田んぼの土壌が可愛い足跡で凸凹になるほど楽しんでいました。植える前には、私の主人から田んぼへの入り方や苗の話、植え方、おにぎりの話をしてもらい、いざ!田んぼの中へ!今まで味わった事のない感触に子供達はそろりそろりと無言で入って自分が植える場所まで歩きました。一握りの苗をもらい、植える本数だけ分け取って指先で挟むようにしてヌルヌルズボズボ~っと用心深く植えていました。慣れない事に真剣に向き合う子供達の姿は頼もしいやら可愛いやら面白いやら……でした。手がドロドロになる事がイヤな子は、苗の根っこではなく、先端を持って泥の中に…、勿論植えるのではなく泥の上に置くだけになってしまうので、苗は倒れてしまいます。その子が指で苗を挟んだ手を私が持って一緒に泥の中に植えると、要領がわかり、まんざらでもなかったようで、それからは自分で植えて行く事ができました。
さあ、一生懸命に植えた後は、田んぼの端まで泥んこになって競走です。それまでの慎重な顔つきは、緊張から解き放たれたような表情になり「キャーキャー」と大はしゃぎで走ります。泥に足をとられ転んだり尻もちをついたりして泥んこになっても、大人達も子供達も笑顔です。その様子を見て、泥んこ競走はさらにエスカレート!有明海の干潟に現れるムツゴロウのように這って楽しんでいました。カエルを捕まえたりもして、泥の感触を全身で味わっていました。
この笑顔が見たかったのです!!この歓声を聞きたかったのです!!子供達の緊張した顔も真剣な顔も解放感に満ちた顔も、どの顔も楽しそうでした。ひとしきり楽しんだ後、自分達が植えた田んぼを見渡して子供達は、「チンカラホイ!のおまじないをかけておかないと!」と苗の成長を楽しみにしながら呪文を唱え帰って行きました。
以前、この田植えを経験した子のお父さんが「車に乗せて走っていたら、“あっ!お父さん!ここにも田植えがしてある!あんな風に植えたんだよ!”“あっ!こっちの田んぼにも植えてある!”と、田んぼを眺めてはしゃいでいました。経験したら物の見方や感じ方が変わるんですねぇ。経験するって大切なんですね~」と言ってくださった事があります。先日の田植えの後も、たくさんの保護者の方から「家に帰ってから“楽しかった!また田んぼに入りたい!”って言っていました。」「出かけた時、田んぼを見ては“きれいに植えてあるねぇ”と今まで素通りするだけの景色もこんなにたくさん田んぼがあったんだと新しい発見だったようです」「ごはんを食べながら、田植えの話で盛り上がりました。」と、いろいろな話をしてくださったりおたよりをいただいたりしました。経験するという事で、当たり前に食べているご飯が、お米からご飯になるまでの事を知り、(へえ~そうだったんだ)と意識がそこに向きます。おいしいご飯を食べながら、自分が植えた苗の事やみんなで泥だらけになって走った田んぼの事を思い出したり、今頃、どれだけあの苗が大きくなっているだろうか?と考えたり、妙に美味しく感じたりするかもしれません。物の成り立ちやありがたみにも興味を持つようになるでしょう。初めは、面白そうだったから始めた幼稚園の田植えでしたが、子供達の食育や意識づけもできるような気がします。我が家の娘達は、この家業の大イベントをもう何年も見てきました。当たり前すぎて大人になってからは、田植えの見方も変ってきましたが、田植えと言えば、親戚にも手伝ってもらい、おにぎりやおやつ、時にはお弁当を持って田植えの様子をピクニックにでも来たかのように楽しんだものです。手植えをしたり、田植え機に乗せてもらったりスケッチブックを持って行って田植えの様子や働くおじいちゃんやお父さんの絵を描いたりもしていました。大人にとっては、大変な作業の仕事でも、子供達にとっては、いろいろと楽しめる経験なのです。農作業に携わるご家庭も少なくなってきて、子供達が実際に経験するチャンスもなかなかありません。この経験が、子供達の心の中に残るだけでも、食べる事への意識が変わるでしょう。
田植えが終わって、ひとりの男の子に「ごはんとパンどっちが好き?」と聞くと「う~ん、パン!」と容赦ない返事……(涙)。その屈託のない返しを受けて、次は、「ごはんが好き!」と言わせてみたい!と、秋の稲刈りに向けてすでに燃えている大人気ない私です。
2025年6月19日 6:12 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
2025年度、新しい春の始まりです。昨年度一年間で先生や友達と築き上げた関係をまた新たな出会いと共に環境を変え、緊張感の中、新生活がスタートしました。新入園児達は、初めて見る先生や知らない同年齢の子と出会う入園式でスタートしました。ずっとお家で一時も離れず家族に見守られながら過ごしていた生活から一転、「はじめまして」の人と「はじめてだらけ」の生活を経験します。不安でないはずがありません。振り返ったらいつも家族の視線が自分に注がれているのを感じながら安心してここまできたのですから……。このように、これまでに築いてきた関係や、ずっと家族に守られて安心できていた環境を変えてまで新しい生活をする事には、どんな意味があるのでしょうか?実はそこには大きな意味があるのです。
幼稚園で何を学ぶ?
幼稚園は、小学校に入学する前の幼児のための教育機関と位置付けられています。子供達が最初に教育を受ける事ができる場所です。ただ、小学校以降に受ける教科的な学びではなく、人間性や心情の豊かな発育のために、一生涯を通じて生きて行く上で必要な様々な能力に刺激を与え、成長と共にその能力を磨く場所だと思っています。
・自分の思ったままに表現する
例えば、入園までは、家庭の中で自分を中心に一日の生活が流れ、思い通りにならない事や我慢する事はそんなに多くなかったでしょうが、入園して一週間内で、ひとつのおもちゃを取り合って泣いたり機嫌を損ねたりする様子や、思い通りにならなかったら、「いや!」「だめ!」「あっちに行って!」「嫌い!」といきなりストレートに言って相手の反応も無視するといった様子があちらこちらで見られます。これは、当たり前の事です。こうした場面に出会う機会がそんなにあったわけではなかったのですから…。むしろ、自分の今の気持ちを言葉や態度で表現できる事は必要な事です。人との関わりがあればこそできる一つの学びなのです。
・相手の気持ちを知る
そして、少し大きくなると、相手の気持ちに気付きどうしたらいいのかを考えるようになります。人の話に耳を傾けたり、間に入ってくれる先生の指導を本気で聞こうとする気持ちになります。良い関係を築くためにいろいろと思いを巡らせます。徐々に、「貸してあげようか」「一緒に使おう」「ちょっと待ってね」と言いながら遊べるようになり、その時の楽しさを味わいます。自分と相手の思いを伝え合いながら、良い方法を探っていく…そのためには、喧嘩も必要、時には傷つく事も、傷つけてしまう事もあるかもしれません。そこを乗り越えた先には良い関係の深まりがあります。
・人として大切な学びを確立する
もっと大きくなると、これまでに築いた人間関係を更に拡げ、新しい出会いの中で協力したり一つの事に夢中になって解決する姿勢が育ちます。それぞれの友達の個性を知り、分かり合いながら自分も周りの友達と共に成長していこうとします。「どうしてだろう?」「しりたい!」「こうしたらどうなる?」「これではだめか」「じゃあ、これならどうかな?」と心身共に意欲が掻き立てられる生活をする事で、“学びたい気持ち”“達成したい気持ち”の土台が作られていくのです。そのためには、悔しい思いも小さなケガもするでしょう。それらの痛い経験は、心を強くしてくれたり安全に身を守る方法を学ばせてくれたりします。
幼稚園では、このように、時間をかけて“自然”と“仲間”と“寄り添ってくれる先生”と関わりながら、心と身体を使って自発的に遊ぶ事でたくさんの学びを得て行きます。あそびには、学べるチャンスがたくさんあります。集中力・想像力・社会性・判断力・チャレンジ精神等、教科書には書かれていない生きる上で必要な、そして大切な事が育ちます。ここは、夢中になって遊び、「生きる力」を学ぶ場所なのです。だからこそ楽しいのです。
ようこそ幼稚園へ!
今日も、子供達が、元気に登園して来ます。中には、新しい環境にまだちょっぴり緊張して幼稚園にやって来る子、「ママがいい!」「パパ~!」と泣きながら先生の腕に抱かれて中に入って行く子、その姿を心配そうに見送られるご家族の方──毎年の光景が見られます。それでも、幼稚園で過ごしているうちに、笑顔で楽しめ「幼稚園って楽しい!」と思ってくれている表情に少しずつ変わってきました。
最近は、年長組の子供達が、不安気にやって来る新入園児達を中門で待ち受けて、手をつないでお部屋まで連れて行ってくれるようになりました。「荷物を持ってあげようか?」「おいで」と手を引かれて自分の歩幅に合わせてもらってゆっくりと歩いて行くその子にとっては、自分を守ってくれる人が幼稚園にもたくさんいる事を知り、安心感につながっているはずです。年長組の子供達にとっては、小さい子のために何かができている事を実感し、労わりの気持ちや自尊心が芽生えます。異年齢との関わりもまた子供達を育ててくれます。様々な経験の一つひとつが、子供達を成長させてくれるはずです。
真っ白だった体操服が泥んこになっていたり、靴を濡らして帰って来たり、膝小僧に絆創膏を貼ってもらっていたり、あるいは、友達と遊んだ事やケンカをした事を話したりするでしょう。それは、夢中になって学んでいる証だと思ってあげてください。幼稚園舎の屋上から、こいのぼりが元気に泳ぎながら、そんな子供達を見守ってくれています。
これからが楽しみな三次中央幼稚園の大切な子供達!ようこそ幼稚園へ!
今年度も『葉子えんちょうせんせいの部屋』で毎月お付き合いいただき、保護者の皆様と共に「育てる」「育む」とは何か?を考え合うきっかけとなればと思いながら書かせていただきます。読んでいただく事で更にお子さんの事を愛おしく感じてもらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します。
2025年4月30日 5:27 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:えんちょう先生
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