葉子えんちょうせんせいの部屋

どんぐりころころ(2020年度12月)

今年のカレンダーが、残すところあと1枚になりました。未だ収束の気配を見せない新型コロナウイルスとの共存で大変な状況のせいか、これまでの一年が長かったような短かったような…そんな言葉にならない気持ちで11枚目のカレンダーをめくりました。

幼稚園では、これまでの慎重な生活の中、中止にしたり見送ったりしてきた行事に遠足や園外保育があります。園外に行かなくても、幼稚園の環境の中で十分に楽しさや発見や感動を与えられる生活にしていく事を先生達で意識的に展開して来ました。しかし、幼稚園のバスに乗って友達や先生と“お出かけ”をして、園内では味わえない感動を与えてあげたいという想いはずっと先生達の中にありました。そしてやっと10月の終わりから1クラス毎で園外に出かける事ができるようになりました。

満3歳児組や年少組にとって初めての“お出かけ”の日の事です。「おはよう!今日はお出かけだね!」と声をかけると「おはようございます!」の弾んだ挨拶が返ってきました。支度をして、バスに乗り込む子供達の喜びの気持ちは最高潮です。三次の名所「尾関山」に向かいます。バスの窓から見える尾関山までの三次の街並みは、普段お家の人と一緒に見るそれとは違って見えていたかもしれません。尾関山はそれはそれは見事な紅葉でした。行く所行く所に子供達の大好きなドングリが落ちていて、なかなか前に進めないほどでした。「み~つけた!」「あった!!」「ぼうしをかぶったドングリだ!」と、小さなモミジのような手で一生懸命に拾っていました。そんな時、どこからか♪どんぐりころころどんぶりこ~♪と歌声が聞こえて来ました。それを聞いた子供達がまた歌います。それに乗せられ私も一緒に♪どんぐりころころどんぶりこ~、おいけにはまってさあたいへん……♪と歌います。2番の歌詞は曖昧なのか1番を繰り返し歌っていたので、私は、それに続いて2番の歌詞を歌ってあげました。♪どんぐりころころよろこんで しばらくいっしょにあそんだが やっぱりおやまがこいしいと ないてはドジョウをこまらせた~♪ 拾いながら進んで行くとさっき見つけた物より小さなドングリが落ちていました。「アッ!ちいさっ!かわいいよ、えんちょうせんせいみてみて!」とそのドングリを愛おしそうに手のひらにのせて見せてくれました。その小さなドングリを拾っていると、♪どんぐりころころどんぶりこ~、おいけにはまってさあたいへん……♪と小さな声で囁くように歌う声が聞こえて来ました。みんな同じように歌い始めました。小さなドングリに向ける子供達の気持ちが込められた歌い方でした。小さくて可愛い・もろい・弱い・大切 などを声の大きさで表現していたのだと思いました。それを聞いて何だかとても温かい気持ちになりました。その時の自分の気持ちと情景がピタッとはまる歌を自分の知っている数々の歌の中からチョイスし、つい口ずさむ子供達の感性に感動しました。アニメソングやリズム主張の強い流行歌を口にするのではなく、♪「どんぐりころころ」だった事が嬉しかったです。木から離れコロコロ転がってここに落ちているドングリを想像しながら大切に拾っていたでしょう。

童謡は、子供達のすぐ近くにある様々な事を歌詞と曲で子供達が歌うために作られた歌です。見逃してしまいがちな情景を歌詞にして、子供達の感性をくすぐります。ドングリ目線のものがたりに触れ、♪やっぱりおやまがこいしいとないてはドジョウをこまらせた~♪の部分では、自分の気持ちを重ねてお家を恋しがる気持ちに共感します。そして、それからのドングリの旅を想像させます。何でもないような物事に心を持たせ、子供達の心をそこに寄り添わせる事ができるのが童謡なのだと思います。

私の義母が、孫をおんぶしながら童謡をよく歌ってくれていました。夏の畑で、きっと最近では幼稚園でもなかなか教える事のない『トマト』を歌ってくれていたのを思い出します。♪トマトってかわいいなまえだね うえからよんでもト・マ・ト したからよんでもト・マ・ト……トマトってなかなかおしゃれだね ちいさいときにはあおいふく おおきくなったらあかいふく♪ そこに生っているトマトがかわいい子供に見えてくるから不思議です。トマトに心を寄せる事が出来ます。

童謡には、そうした心を育てる大きな力があります。曲も素敵ですが、歌詞を噛みしめて歌うと目にしている物の現在より前の事、そしてその先の事を想像して楽しんだり悲しんだりおもしろがったり気にかけたりします。心が揺さぶられるのです。これを繰り返して行くうちに、心情豊かな人間性が培われるような気がします。

今は、情報化社会になり、こちら側が積極的にならなくても自然にいろいろな曲や歌が耳に飛び込んでくる世の中です。様々な音楽に出会い、それに触れる事によって感情が育ちます。私も、『懐かしの70年代ソング』等のような歌謡曲番組があると、その若かりし頃(笑)の悪事(笑)や家族や友達との思い出を重ねながらその時の感情が甦ります。流行歌などの楽曲は、放っておいても耳に入りますが、童謡やわらべ歌は、今や、教えてあげないと知るすべもない世の中になって来つつあるような気がしています。お父さんやお母さん、またはおじいちゃんやおばあちゃんが歌って聞かせてくれて受け継がれて来たこの童謡やわらべ歌で、私達は心を育ててもらいました。決して上手とは言えない母の歌声と童謡が重なって耳に残っています。このサイクルを崩してはもったいないです。何かを学ばせようとして、習い事等には急いでとびついてしまいがちですが、すぐ近くにこんなに素敵な心を育てる“教材”がある事を思い出してください。大好きな人の声で歌ってもらった童謡は、子供の心の財産になるような気がします。私達も昔から歌い継がれてきたたくさんの童謡やわらべ歌を幼稚園で歌っていきたいと思っています。

今日も、秋の童謡が保育室から聞こえて来ます。園庭では、はないちもんめの歌で子供達が遊んでいます。この子達が、日本の大切な心を育む歌を伝承してくれる大人になってくれたら嬉しいです。春には春を、夏には夏の、秋には秋を、冬には冬の、季節と生活を密着させた歌を歌い、その時々の心の中にある“情”という人間らしさを柔らかくほぐし、豊かな感性の種を植え育てて行きたいと思うのです。

先日、卒園児が可愛い男の子を出産しました。出産したばかりの写真をラインで送ってくれたその顔に、大仕事をし終えた母親としての強さと優しさを感じました。どうか、可愛い我が子にいつも優しい声でたくさんの歌を歌ってあげるお母さんになって欲しいと願っています。そして、赤ちゃんには、お母さんの歌を聴きながら心豊かに育っていく事を心から願っています。

育てたい力(2020年度11月)

衣替えとなり、久々に着た紺色のブレザーが小さくなっている年中・年長組の子供達…、入園式以来に袖を通した新入園児さんの少し大きめな制服姿…、どちらともとても新鮮に見えます。「良く似合うよ」と声を掛けられ、照れながらも嬉しそうに登園して来た衣替え初日の子供達が印象的でした。
さて、今年度は、新型コロナウイルスの影響で秋季大運動を開催する事が出来ませんでした。それに代わる活動として、“わんぱくチャレンジ週間”を企画しました。毎年行っていた形で出来なくても、何とかして子供達に運動会の経験をさせてあげたいと思い先生達で考えました。長い期間の中で身体をいっぱい動かしいろいろな事に挑戦しよう!そして、その姿を皆で応援したり認め合ったりする経験を楽しもう!という企画で、初めての試みとなりました。

それを企画するまでに先ず、先生達で“運動会で何が育つのだろうか?”“運動会をする意味は何?”から考えてみました。子供達は、幼稚園での日常生活の中で走ったり跳んだりしてたくさん運動をしています。三次中央幼稚園の庭には、小川やお山、大きなアスレチック、鉄棒、子供達が掘り返して遊び込んだためにできたデコボコの園庭、そして、その園庭に植えられたたくさんの木々……これは幼稚園に居ながらにして自然の中で遊び込める、子供達にとっては幸せな環境だと思っています。小川の岸から岸へジャンプして渡ったり、裸足で水の冷たさを感じたり、滑らないように踏ん張ってお山を登ったり下ったり、高い所から飛び降りたり、また、デコボコした園庭で転ばないようによけたり跳び越えたりしながら走って追いかけっこをして遊びます。このように子供達は身体をいっぱいに使って夢中で遊びながら知らず知らずのうちに身体能力を高めています。身体が鍛えられているならばそれで十分ではないか。それをあえて“会”にする意味はどこにあるのだろうか?と、教育の原点に立ち返るつもりでその意味を探ってみました。

私達は、「子供達の健康な身体を育てる」それに加えて、「生きるために必要な力を育てたい」と思いながら保育をしています。“苦手だと思っている事も頑張る”“目標に向かって努力する”“みんなで力を合わせる事の楽しさや大切さを感じる”“ルールを守ろうとする”“友達や自分の力を認め合う”“最後まであきらめない”等々──これから先、自分を支え、生きる勇気とエネルギーの土台となる力です。運動会では、様々なルールを持たせた競技やひとりの力ではできない演技をします。日々のあそびにはない競技上のルールを意識的に守りながら、日々のあそびで習得した身体能力を発揮します。ルールを設けられた平等な舞台の中で、ある時は自信を持ち、ある時は苦手意識を克服できるよう導かれます。そして、みんなの応援によって向上心を持ち、勝敗を競うものであれば、悔しい気持ちを次へのバネにもできるように──。日常のあそびでは子供達の意識は“遊ぶ”がメインです。速く走ったり、すばしっこくタッチの手を避けたりする瞬発力よりも「鬼になった、ならない」の方に子供達の意識は向きます。それが“運動会”では、運動をしている事に意識が向き、運動する事を通して、どうしたら一つの目標を達成する事ができるかを子供達に考え学ばせる事が出来るのです。そうしてみると、運動会をこれまでの形にこだわるのではなく、「育てたい力」をどのような方法で育てるか……という事にこだわるべきだと思いました。そうして考えたのが“わんぱくチャレンジ週間”でした。

何かにチャレンジするという事は、自分の中にある様々なハードルを上げたり下げたりの調節をしながら自分の力を試します。みんなと一緒にすると、友達の力を見て励まし合ったり認め合ったりしながら共にハードルを乗り越えようと頑張ります。「できない」と諦めそうな自分を奮い立たせてくれます。それは、かけっこや競技だけに限らず、一本のバトンをチームで繫ぐリレーでも、集団の美をみせてくれる遊戯や鼓隊演奏での表現でも、同じように、チャレンジする事で日常のあそびから育つ力に加え、更なる力が心と身体に育ちます。みんなで一緒にチャレンジしながらも、自分の力にチャレンジするのです。例えば、年長組が行ったリレーでは、走る事が苦手でも、自分自身としてのチャレンジは“最後まで頑張って追い越されても走りきる。そして、次の友達にバトンを渡す事”チームのチャレンジとしては“みんなでカバーし合ったり励まし合ったりしながらトップを目指す事”です。年中組や年少組、また一番小さな満3歳児クラスも、一人ひとりの…あるいはチームとしての頑張りどころにチャレンジしました。その姿を園全体で目の当たりにし刺激し合いながら過ごす毎日だったように思います。特に“わんぱくチャレンジ週間”の二週間は、園内で、“運動会”さながらに、年中組の子供達が横断幕や万国旗を作ってグラウンド上に張ってくれました。万国旗はたった2本でしたが、みんなでがんばろー!!という気持ちをいっぱい込めて作られていて、それはそれは賑やかに美しく秋空に映えていました。隣の子供の城保育園からは、「がんばれー」と書かれた横断幕で応援してもらいました。

この経験を通して「そうだ!この頑張る気持ちが凄い事なんだ!」「僕の力も私の力も、輝かせる事ができるんだ!」と、実感できる経験にしてあげたかったのです。その実感が、これからずっと子供達の心に「生きる力」として宿り続けて欲しいと願っています。

“わんぱくチャレンジ週間”が終わった翌週、園庭から、年長組が演奏した鼓隊の曲が流れて来ました。見てみると、年少組の子供達が空き箱や段ボール箱で太鼓やシンバルや指揮棒を作って鼓隊演奏(?)をしていました。年長組のお姉ちゃんお兄ちゃんがしていた入場や演技、そして退場までの流れ全てを真似ていたのです。そして、よく見ると、総指揮をしているのは年長組の子でした。どちらの顔も得意そうです。マイクを通して聞こえる年長組の子供達の声──「次はリレーですよ~並んで!」いろいろな色のカラー帽子を被った子供達が集まって来ました。学年入り混じってのリレーが始まりました。走るのは、学年対抗でも男女対抗でもクラス対抗でもなく、走る事にチャレンジしたいと思って集まった子供達で、並べたり人数調整や実況アナウンスをしてくれたりしたのは年長組の子供達でした。お兄ちゃん達に憧れて新たな目標をもった小さな学年の子供達……憧れてもらった事に自信を持ち、さらに幼稚園のリーダーとしての自覚が芽生えた子供達……。みんなみんなとても頼もしく輝いて見えました。

どうやら、“わんぱくチャレンジ週間”が子供達の中に育てた事は、私達が狙った以上だったようです。あっぱれ!あっぱれ!子供達!

※この時の様子は三次中央幼稚園のホームページのブログでも見ていただけます。併せてご覧ください。

雨ふりギャング(2020年度10月)

台風10号が過ぎ去った数日後、雨降りの朝の事です。私はいつものように中門で子供達を迎えていました。通常なら小さな門の方を開けて迎えるのですが、その日は雨降りだったため傘をさして登園する子も多いので、大きな門を開けて広くして迎えていました。少しずつ子供達が「おはようございます!」と元気にやって来ます。そのうち雨が大降りになり、迎える私も登園してくる子供達も送るお父さんやお母さんも大騒ぎです。しばらくすると小降りになりました。それからは、少し晴れ間ものぞいてきて暑ささえ感じられるようになりました。さっきまで、誰もいなかった園庭に少しずつ子供達が保育室から出て来ました。雨が止むのを「待っていました!」とばかりに、ある子は小川の方へ向かって走って行きます。ザリガニや魚やカエル、虫を見つけに集まるのです。またある子は、いつも水溜まりができる場所に向かいます。長靴を履いて水あそびをするのです。年長組の子供達は小川の近くの木の枝に手を伸ばしてつかみ、揺すって雨粒を散らしながら「雨だ~!」と言って歓声をあげています。飛び散る雨水に濡れながら喜んでいます。いつもの朝の光景に戻って来たな……と思っていた矢先、またまた雨が……。その時、園舎の方から小さな子供達が傘をさしてやって来ました。満3歳児の子供達です。先生も一緒に出て来て。みんなで傘をさして中門の所に集まって来ました。次々に登園して来る友達に「おはよう!おはよう!」と声をかけてくれていました。ちょっとした“あいさつ運動”でした。可愛い生徒会(笑)達のその姿を見て何人もの保護者の方が「可愛い!」と声をかけてくださいました。そんなさつき組の様子に触発されてか、他の学年の子供達も傘をさして園庭に出て来ました。子供達の表情はいつもにも増して生き生きとして見えます。

そればかりではなく、いつもならお母さんに抱っこされてやって来る子供も、お母さんが持ってくれている傘を取り自分でさして意気揚々と中門を入って行く子もいて驚きました。長靴や傘を私に「みて!みて!○○ちゃんと同じなんだよ」「この傘、ここから見えるんだよ」「ここにリボンが付いてるの」と言って見せてくれます。ウキウキの様子でした。部屋に入っても、相変わらず満3歳児の子供達はテラスで傘を持って遊んでいました。私がそこを通ろうとすると先生が「アッ!園長先生だ!隠れろ~!」と大きな声で言いました。すると、子供達はみんな傘をさして集まりしゃがみ込んでじっとしているのです。見つかり過ぎる(笑)その可愛いかくれんぼに笑ってしまいました。

私達大人は天気予報で「明日は雨」と聞くと「あ~ぁ、雨か」と少しがっかりします。「明日は暑く(寒く)なるでしょう」と聞くと「あ~ぁ、明日も暑くて(寒くて)大変だ」と変に覚悟を決めてしぶしぶ過ごします。天気で左右される仕事を持つ人は、その逆の捉え方があるかもしれませんが、日常だけを考えたら概ね持つ雨のイメージや晴れのイメージは一緒ではないでしょうか?でも、子供達は、雨降りでも暑さの中でも寒さのなかでも、きっとそれはそれで楽しみ方を知っているのだと思います。家の中でも外でも、いろいろな物をあそびに使い楽しめる方法を何となくわかっているようです。 “そうならそうで、こうしよう”とか“そうならば、こんな事ができる”と、ポジティブにその環境を捉える事ができる子供達は生き生きとしてたくましいです。大人がネガティブなイメージをつくってしまっているのかもしれません。

そんな事を考えている時、車の中で聴いた朝のあるラジオ放送の一言がその時の事と結びつきました。※ ギブソンの“アフォ―ダンス理論”というものです。『アフォ―ダンス──“環境が人間に与える意味”』……例えば、子供達はそれまでの経験から、そこに傘があれば“雨でも外を歩ける”。また、長靴があれば“水たまりに入っても大丈夫”。そしてまた、雨上がりには木々を濡らし小川の水は増え、魚やカエル等の生き物みんなが動き出す──そう認識しています。そして、これらの環境から見出した価値観で「おもしろい!」「楽しい!」とまっしぐらにそこに向かい遊び出すのです。自分の置かれた環境や状況を受け、いろいろな心の動きや行動に結びつけるのです。そのラジオ放送を私は運転しながらぼんやり聴いていたので、明確には理解できていないかもしれませんが、それまでの経験により、人間が様々な物事に対して抱いた価値観を自分の行動や発言に結び付けていく事を『アフォ―ダンスの理論』なのだと私なりに解釈しました。


子供達が感じる前に大人の価値観で物事を誘導するのではなく、子供達が今ある環境の中で……先入観無しで価値観をもち行動に移す事は、世界を広げる事にも繋がります。“雨なら雨で…”“暑ければ暑さの中で…”“寒くても寒さの中で…”と、どんな状況の中でも楽しく過ごせるのです。何度もこのような気持ちを味わう経験を重ねると、物の考え方にも広がりがあり、少しの困難や悲しみ苦しみにも発想転換しながら正面から向き合える大人になっていくような気がします。

幼い頃にいかにたくさんの種類の環境と出会わせてあげる事ができるかで、子供達のものの考え方や生きていく方法や力に結びついていくかが問われるのではないかと思います。季節と共に、おもむきを変える園庭にはそうした様々な子供達の心をくすぐる環境があります。大人にとってはうっとおしく感じられる天気も子供達にとっては楽しく遊ぶための格好の条件になるのです。そして、“おもしろい”と思えばそこにある物が皆楽しい物に見えてくる……“嬉しい”という感情を持っていれば、周りの景色までもが素敵に見えたりありがたく思えたりする……その環境が子供達に何かの意味を与える──そう思って、子供達の素直に感じた心を大切にしていかなければならないのだろうと思います。

雨ふりのギャング達は、将来のたのもしい金のたまごです。木の枝を揺すって遊ぶ“びしょぬれギャング”も、素手でつぶれそうなほどカエルや虫をつかむ“残虐ギャング”も、お気に入りの傘と長靴でわざわざ水たまりを歩く“可愛いギャング”も、みんな世界と考え方を広げるための大切な環境との出会いをしているのです。今のうち……純粋な目で、心でいろいろな物を見渡せる幼い子供のうちに、たくさんの環境に出会わせてあげたいものです。
※ジェームズ・ギブソン(知覚心理学者)

誰に”ありがとう”?何に”ありがとう”?(2020年度9月)

夏の厳しい暑さの中、2学期が始まりました。まだまだ、幼稚園の庭の木々にはセミがたくさん鳴いています。今年は、新型コロナウイルスの影響を受け、休園していた期間があったため夏休みを短縮しました。その分、幼稚園での夏のあそびをたっぷりと経験させてあげられたのではないかと思います。太陽と水と土と木々に囲まれて遊ぶ子供達の生き生きとした姿が、とてもたくましく感じます。

夏休みの間、プレイルームの子供達は毎日元気に幼稚園へやって来ました。

外でもたくさん遊びますが、暑さが厳しい時間帯は室内でいろいろな事をして遊びます。そんなある日、年長組の子供達が職員室に「この紙をたくさんコピーしてください。」と言って、書いて遊べるプリントの原本用紙を持って来ました。プレイルームの今田直子先生から頼まれたおつかいでした。私が受け取りコピーをして渡すと、喜んでプレイルームの部屋に帰って行きました。その日の夕方、私がテラスを歩いているとある女の子が「園長先生!今日はコピーをしてくれてありがとう!」と言ってくれたのです。私も忘れているくらいの事でしたが、ちゃんと私を見て(そうだ!あの時のお礼をいわなくっちゃ!)と思い出して言ってくれたのでしょう。私は嬉しくて、「“ありがとう”って言ってくれてありがとう。」と言いました。

それから、数日後の夜、プレイルームの子供達に小物入れを作らせたいのでチラシを家から持って来て欲しいと直子先生から連絡があったので、翌日たくさん持って行きました。子供達はチラシでいろいろなものを作って遊び、一生懸命に作った小物入れもちゃんとできていました。そしてその日もまた、子供達が私に「園長先生、チラシをたくさん持って来てくれてありがとう!私、上手に作れるようになったんだよ!折り紙だと小さくて出来ないけど、チラシは大きいから何でも入れられる小物入れができたよ。」と説明付きでお礼を言ってくれました。きっと、先生から「園長先生にお礼を言おうね。」と促されたからでしょう。しかも、具体的に何がありがたかったのか、どうしてありがたい気持ちになったのかを子供達が自分で感じるように話をしてもらったからなのだと思います。子供が人から何かをもらった時、すぐに「あら!ありがとうは?」と子供に言っていませんか?そうすると子供は「ありがとう」と言います。でも、それはもらった事に反応して…またはお母さんの「ありがとうは?」の言葉に反応して言った言葉で、気持ちがそこにどれだけ入っているかは???です。例えば、お誕生日におじいちゃんおばあちゃんからプレゼントをもらったら、「おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたの誕生日を覚えてくださっていたんだね。そして、あなたの喜びそうな物を一生懸命に考えてくださったね。嬉しいね。きっと、あなたの事を大切に思ってくださっているんだね。ありがたいね。お礼を言おうね。」と声をかけてあげると、プレゼントをくれたおじいちゃんおばあちゃんからどんなに自分は愛されているか、自分の事を思って選んでくれたその時の気持ちにスポットを当てて考える事ができ、心からの「ありがとう」が言えるのではないでしょうか?ただ、もらった事だけにスポットを当てるのではなく、何に“ありがとう”なのか、どうして“ありがとう”なのかを感じる事ができるように言葉をかけてあげてください。

 先日の夕方、幼稚園で怪我をしてしまった子がいて、保護者の方に連絡後私が病院に連れて行きました。診察室で処置を待っていると、お母さんが駆けつけてくださいました。私は申し訳なかった気持ちで原因を話し謝罪しました。すると「いえいえ、こちらこそ申し訳ないです。」と言ってくださりただただ恐縮しました。その時に、お母さんが処置待ちのその子に「○○ちゃん、園長先生にお礼言おうね。本当にご丁寧に連れて来てくださって。はさみを使う時には切れる方は向こう向きになるように持たないといけなかったね。先生、本当にごめんなさい。ご心配をおかけして……。お忙しいのに、遅くまで一緒にいてくださってありがとうございます。○○ちゃん、園長先生にありがとうだね。」と、何度も話してくださいました。○○ちゃんは処置が終わり、病院を出る時に「園長先生、ありがとうございました。」としっかり言ってくれました。お母さんは、その子が感謝する人、感謝する事をきちんとわかるようにスポットをあてて話しておられました。申し訳なかったのはこちら側でしたのに…。

 また、私がトイレづまりを直していたある日、トイレにやってきた男の子が、「あのね、ここが壊れてるんだと思うんよ。直る?むずかしい?」と私の傍でずっと気にしてくれていました。しばらくしてやっと水が抜け「やった!直ったよ。○○君、教えてくれてありがとうね。ずっといてくれてありがとうね。心配してくれてありがとう。園長先生、嬉しかったよ。」と言うと「直してくれてありがとう。もう使えるの?ありがとう!」と一言残して行きました。向うへ行きながら「トイレ、直ったよ~。園長先生が直してくれたよ~!!」と大きな声で友達に教えてあげていました。私から彼に“何にありがとうと言いたかったのか”を……また彼からも私に“何にありがとうなのか”を心から言ってくれた事が伝わって来てとても嬉しかったし、直してあげて良かった!と思えました。

 子供達の中には、「ありがとう」「どういたしまして」あるいは「ごめんね」「いいよ」の反射的なやり取りがよく聞かれます。事が収まればそれでいいというのではなく、本当に感謝した気持ちや詫びたい気持ちを、相手の心に届くように伝えるためには、何に心打たれたかを明確にして話してあげる事が大切です。そして、それを繰り返していくうちに、人の優しさや苦しさに自分から気が付いて自然に声をかける事のできる人になるような気がするのです。

 この夏、84歳の父を亡くしました。父の最期、息をひきとるその時まで一生懸命に耳元で伝えた事…「ありがとう」…いろいろ考えてもその言葉以外に思い浮かばなかったし、一番伝えたかった事でした。(育ててくれてありがとう。叱ってくれてありがとう。褒めてくれてありがとう。助けてくれてありがとう。どんな事でも一緒に喜んでくれてありがとう。一緒に悩んでくれてありがとう。楽しませてくれてありがとう。そして、頑張って怪我や病気と闘ってくれてありがとう。)──

何に“ありがとう”なのかをあげればきりがありませんが、「(その全てに)お父さんありがとうね。」心からそう言っておくりました。

さじ加減(2020年度8月)

新年度が始まって4カ月、新型コロナウイルス感染拡大防止のための自粛期間や休園期間があり、みんな不安な4カ月だったかもしれません。しかし、その期間を経ての今の子供達に目を向けると、それぞれに皆自分を発揮して生き生きと園生活を楽しんでいる姿が頼もしくもあり可愛くもあります。今年度は、夏休みを短縮し8月7日に1学期の終業式を行います。“この1学期間、みんな元気でいてくれて良かった”と思う気持ちでいっぱいです。

さて、この1学期間、私は毎日中門で登降園する子供達を迎えています。「えんちょうせんせい!おはようございます!」「さようなら!またあしたもくるよ!」という元気な声に私の方が元気パワーをもらっています。でも、みんながみんなそんな調子で登園してくるかと言えば、そうではありません。通常保育になってからそうは言ってもまだ2カ月しかたっていないのですから、新年度の波にすぐに乗れた子もいればまだ乗り切れていない子がいても当たり前だと思っています。そんな中、毎日絶対にお母さんと一緒でないと保育室に向かえない年少組のある男の子がいました。しかも、制服のボタンが難しいからといつも体操服での登園でした。その子は満3歳児クラスから幼稚園に通っています。去年1年間もお母さんと一緒に保育室まで行っていました。年少組さんになったので、そろそろ頑張ってくれるかな?と思い、時々「今日は、園長先生が一緒に行ってあげよう!」と言って誘っていましたが、「お母さんと一緒がいい」とお母さんの手を離しません。でも保育室に一旦入れば、友達とも遊べて楽しく過ごせているのです。

そんなある日、私はその子のクラスで昼食を食べました。その男の子と一緒のテーブルに座り、様子を伺いながら少し話しかけてみました。「○○君は、いつも、きれいにお弁当を食べるんだね。えらいな~。だって、さつき組(満3歳児)さんで、いろんな事ができるようになってググ~ンとお兄ちゃんになったんだもんね。」と言うと「うん。」とゆっくりうなずいてくれました。私の話を聞いてくれそうだったので、その子にだけ聞こえるような小さな声で「アッ!そうそう!○○君、制服のボタンがちょっとだけ難しい?」と聞くと「うん。」と周りを気にしながら答えてくれました。「そうよね。ちょっと穴からボタンを引っ張るのって難しいんだよね~。でもね、できなかったら、先生か誰かに“してください”って言ったらいいよ。園長先生だって手伝ってあげるから、どうってことないよ。平気!平気!」と言いました。「うん。」と言ってくれました。その時の顔には、ちょっと彼なりの決心がみえたような気がしました。そして、次の日、私はその子がやって来るのを楽しみに中門に立っていました。すると、車から降りて来る彼は制服を着ていたのです。「今日は自分で頑張って制服を着て来ました!」と言うお母さんの嬉しそうな声と少しはにかむ彼の得意気な顔が印象的でした。

同じように、一人で中門から入っていけない子供がいれば、様子を見て先生達は今のその子に合った言葉で声かけをします。また、トイレに行けない子にも、友達と上手く関係づくりができない子にも、いたずらが過ぎて注意が必要な子にも、どんな時でも先生達はタイミングと言葉や言い方や表情を考えてアプローチします。“その子に合った”という事が大切です。この子にはこのぐらい…この子ならこんなふうに…この子にはあの子よりもう少したくさんの……と、考えます。先生達のその技(?)にいつも「さすが!凄い!」と思わされます。これはまさに『さじ加減』なのです。料理をする時、ベテラン母さん(父さん)になると、味つけにいちいち計量カップやスプーンで調味料を計らないのではないですか?思う味になるように、経験で量を加減されると思います。このさじ加減を誤ると、濃い過ぎたり薄過ぎたり…悩めば悩むほどとんでもない味になったりします。先生達は、集団の中にいる子供達の事を一番よく知っている人で、巧みな『さじ加減』で子供達に成功体験をさせる事により自信を高めそれからの様々な結果に繋がるように導きます。この時もさじ加減やタイミングを間違えると、その子のプレッシャーになったり逆に自信を失わせたりしてしまう事もあります。だから、「どうってことない、平気平気」と簡単そうに言った言葉であっても、実は慎重に考えての『さじ加減』なのです。簡単そうに言ってあげる事で、“本当は制服を着て自分で荷物を持ってひとりで歩いてお部屋に行ってみたい”というその子の中に潜んでいる“意欲”を楽な気持ちにして引き出してあげるのです。

兄弟姉妹で性質が違っていたら、同じ事をしてもその叱り方や導き方を変えている事がありませんか?辛めにしたり甘めに言ったりまたほんの少し薄めたり違う薬味を入れてみたり……『さじ加減』です。その子達それぞれに親が願い求める方向は同じでも、そこに行きつくまでの方法にはこの『さじ加減』が必要だと思います。誰彼無しに同じように言って同じ結果が出るわけではないのです。そのためには、一人ひとりの事を良く知り、よく観てよく理解をしている事が大切です。この1学期を通して、自分が自分らしく発揮できる園生活を送ることにより、先生と子供達一人ひとりの関係が築かれて来ています。そこには、先生達の巧みな『さじ加減』があるのです。

今年は短い夏休みですが、それでもお子さんと一緒に過ごす時間は普段より多くなるでしょう。無意識に『さじ加減』──されているはずです。その『さじ加減』……丁度良いかな?