葉子えんちょうせんせいの部屋

おいしくなぁれ!チンカラホイ!─田植え(2025年5月30日)

心地よい春は、いつの間にか過ぎ、時折、夏を思わせるような日差しの中で汗をかきながら遊ぶ子供達。今や、地球温暖化もあり日本の四季が“二季化”するのでは?とも言われていますが、日本における生きるもの全ての生態系が壊される事なく、当たり前の季節が当たり前に廻って来る事を願うばかりです。

 今月の中旬、年長組の子供達が我が家の田んぼの一部で田植えを経験しました。今年で20回目になります。もともと、全く田植えの経験もなかった私が農家に嫁ぎ、田植えの作業の苦労をよそに、ただただ面白そうだったので、これを幼稚園の子供達に何とか経験させてやれないものだろうか?と家族に相談した事をきっかけに今は亡き義父に協力してもらい始めたものです。

 砂場や園庭にできた水たまりとは違う、田んぼのドロドロヌメヌメした感触や、広く歩いたり走ったりできる解放感。そして、そのまま手で柔らかい土壌に苗を植える楽しさを味合わせたかったのです。正直なところ“お米の大切さやありがたみを感じさせたい”とか“田植えの大変さを知り、食べ物を大切にする気持ちを育てたい”といったような目的は後付けだったかもしれません。とにかく、この水田の中に入って泥んこになって喜ぶ子供達の姿を想像すると実現させずにはいられなかったのです。そうして始まった三次中央幼稚園の田植え───。 

 今年も、子供達は我が家の田んぼの土壌が可愛い足跡で凸凹になるほど楽しんでいました。植える前には、私の主人から田んぼへの入り方や苗の話、植え方、おにぎりの話をしてもらい、いざ!田んぼの中へ!今まで味わった事のない感触に子供達はそろりそろりと無言で入って自分が植える場所まで歩きました。一握りの苗をもらい、植える本数だけ分け取って指先で挟むようにしてヌルヌルズボズボ~っと用心深く植えていました。慣れない事に真剣に向き合う子供達の姿は頼もしいやら可愛いやら面白いやら……でした。手がドロドロになる事がイヤな子は、苗の根っこではなく、先端を持って泥の中に…、勿論植えるのではなく泥の上に置くだけになってしまうので、苗は倒れてしまいます。その子が指で苗を挟んだ手を私が持って一緒に泥の中に植えると、要領がわかり、まんざらでもなかったようで、それからは自分で植えて行く事ができました。

さあ、一生懸命に植えた後は、田んぼの端まで泥んこになって競走です。それまでの慎重な顔つきは、緊張から解き放たれたような表情になり「キャーキャー」と大はしゃぎで走ります。泥に足をとられ転んだり尻もちをついたりして泥んこになっても、大人達も子供達も笑顔です。その様子を見て、泥んこ競走はさらにエスカレート!有明海の干潟に現れるムツゴロウのように這って楽しんでいました。カエルを捕まえたりもして、泥の感触を全身で味わっていました。

 この笑顔が見たかったのです!!この歓声を聞きたかったのです!!子供達の緊張した顔も真剣な顔も解放感に満ちた顔も、どの顔も楽しそうでした。ひとしきり楽しんだ後、自分達が植えた田んぼを見渡して子供達は、「チンカラホイ!のおまじないをかけておかないと!」と苗の成長を楽しみにしながら呪文を唱え帰って行きました。

以前、この田植えを経験した子のお父さんが「車に乗せて走っていたら、“あっ!お父さん!ここにも田植えがしてある!あんな風に植えたんだよ!”“あっ!こっちの田んぼにも植えてある!”と、田んぼを眺めてはしゃいでいました。経験したら物の見方や感じ方が変わるんですねぇ。経験するって大切なんですね~」と言ってくださった事があります。先日の田植えの後も、たくさんの保護者の方から「家に帰ってから“楽しかった!また田んぼに入りたい!”って言っていました。」「出かけた時、田んぼを見ては“きれいに植えてあるねぇ”と今まで素通りするだけの景色もこんなにたくさん田んぼがあったんだと新しい発見だったようです」「ごはんを食べながら、田植えの話で盛り上がりました。」と、いろいろな話をしてくださったりおたよりをいただいたりしました。経験するという事で、当たり前に食べているご飯が、お米からご飯になるまでの事を知り、(へえ~そうだったんだ)と意識がそこに向きます。おいしいご飯を食べながら、自分が植えた苗の事やみんなで泥だらけになって走った田んぼの事を思い出したり、今頃、どれだけあの苗が大きくなっているだろうか?と考えたり、妙に美味しく感じたりするかもしれません。物の成り立ちやありがたみにも興味を持つようになるでしょう。初めは、面白そうだったから始めた幼稚園の田植えでしたが、子供達の食育や意識づけもできるような気がします。我が家の娘達は、この家業の大イベントをもう何年も見てきました。当たり前すぎて大人になってからは、田植えの見方も変ってきましたが、田植えと言えば、親戚にも手伝ってもらい、おにぎりやおやつ、時にはお弁当を持って田植えの様子をピクニックにでも来たかのように楽しんだものです。手植えをしたり、田植え機に乗せてもらったりスケッチブックを持って行って田植えの様子や働くおじいちゃんやお父さんの絵を描いたりもしていました。大人にとっては、大変な作業の仕事でも、子供達にとっては、いろいろと楽しめる経験なのです。農作業に携わるご家庭も少なくなってきて、子供達が実際に経験するチャンスもなかなかありません。この経験が、子供達の心の中に残るだけでも、食べる事への意識が変わるでしょう。

田植えが終わって、ひとりの男の子に「ごはんとパンどっちが好き?」と聞くと「う~ん、パン!」と容赦ない返事……(涙)。その屈託のない返しを受けて、次は、「ごはんが好き!」と言わせてみたい!と、秋の稲刈りに向けてすでに燃えている大人気ない私です。

幼稚園ってどうして楽しい?(2025年4月30日)

 2025年度、新しい春の始まりです。昨年度一年間で先生や友達と築き上げた関係をまた新たな出会いと共に環境を変え、緊張感の中、新生活がスタートしました。新入園児達は、初めて見る先生や知らない同年齢の子と出会う入園式でスタートしました。ずっとお家で一時も離れず家族に見守られながら過ごしていた生活から一転、「はじめまして」の人と「はじめてだらけ」の生活を経験します。不安でないはずがありません。振り返ったらいつも家族の視線が自分に注がれているのを感じながら安心してここまできたのですから……。このように、これまでに築いてきた関係や、ずっと家族に守られて安心できていた環境を変えてまで新しい生活をする事には、どんな意味があるのでしょうか?実はそこには大きな意味があるのです。

幼稚園で何を学ぶ?

 幼稚園は、小学校に入学する前の幼児のための教育機関と位置付けられています。子供達が最初に教育を受ける事ができる場所です。ただ、小学校以降に受ける教科的な学びではなく、人間性や心情の豊かな発育のために、一生涯を通じて生きて行く上で必要な様々な能力に刺激を与え、成長と共にその能力を磨く場所だと思っています。

  ・自分の思ったままに表現する

 例えば、入園までは、家庭の中で自分を中心に一日の生活が流れ、思い通りにならない事や我慢する事はそんなに多くなかったでしょうが、入園して一週間内で、ひとつのおもちゃを取り合って泣いたり機嫌を損ねたりする様子や、思い通りにならなかったら、「いや!」「だめ!」「あっちに行って!」「嫌い!」といきなりストレートに言って相手の反応も無視するといった様子があちらこちらで見られます。これは、当たり前の事です。こうした場面に出会う機会がそんなにあったわけではなかったのですから…。むしろ、自分の今の気持ちを言葉や態度で表現できる事は必要な事です。人との関わりがあればこそできる一つの学びなのです。

  ・相手の気持ちを知る

 そして、少し大きくなると、相手の気持ちに気付きどうしたらいいのかを考えるようになります。人の話に耳を傾けたり、間に入ってくれる先生の指導を本気で聞こうとする気持ちになります。良い関係を築くためにいろいろと思いを巡らせます。徐々に、「貸してあげようか」「一緒に使おう」「ちょっと待ってね」と言いながら遊べるようになり、その時の楽しさを味わいます。自分と相手の思いを伝え合いながら、良い方法を探っていく…そのためには、喧嘩も必要、時には傷つく事も、傷つけてしまう事もあるかもしれません。そこを乗り越えた先には良い関係の深まりがあります。

  ・人として大切な学びを確立する

 もっと大きくなると、これまでに築いた人間関係を更に拡げ、新しい出会いの中で協力したり一つの事に夢中になって解決する姿勢が育ちます。それぞれの友達の個性を知り、分かり合いながら自分も周りの友達と共に成長していこうとします。「どうしてだろう?」「しりたい!」「こうしたらどうなる?」「これではだめか」「じゃあ、これならどうかな?」と心身共に意欲が掻き立てられる生活をする事で、“学びたい気持ち”“達成したい気持ち”の土台が作られていくのです。そのためには、悔しい思いも小さなケガもするでしょう。それらの痛い経験は、心を強くしてくれたり安全に身を守る方法を学ばせてくれたりします。

 幼稚園では、このように、時間をかけて“自然”と“仲間”と“寄り添ってくれる先生”と関わりながら、心と身体を使って自発的に遊ぶ事でたくさんの学びを得て行きます。あそびには、学べるチャンスがたくさんあります。集中力・想像力・社会性・判断力・チャレンジ精神等、教科書には書かれていない生きる上で必要な、そして大切な事が育ちます。ここは、夢中になって遊び、「生きる力」を学ぶ場所なのです。だからこそ楽しいのです。

ようこそ幼稚園へ!

 今日も、子供達が、元気に登園して来ます。中には、新しい環境にまだちょっぴり緊張して幼稚園にやって来る子、「ママがいい!」「パパ~!」と泣きながら先生の腕に抱かれて中に入って行く子、その姿を心配そうに見送られるご家族の方──毎年の光景が見られます。それでも、幼稚園で過ごしているうちに、笑顔で楽しめ「幼稚園って楽しい!」と思ってくれている表情に少しずつ変わってきました。

 最近は、年長組の子供達が、不安気にやって来る新入園児達を中門で待ち受けて、手をつないでお部屋まで連れて行ってくれるようになりました。「荷物を持ってあげようか?」「おいで」と手を引かれて自分の歩幅に合わせてもらってゆっくりと歩いて行くその子にとっては、自分を守ってくれる人が幼稚園にもたくさんいる事を知り、安心感につながっているはずです。年長組の子供達にとっては、小さい子のために何かができている事を実感し、労わりの気持ちや自尊心が芽生えます。異年齢との関わりもまた子供達を育ててくれます。様々な経験の一つひとつが、子供達を成長させてくれるはずです。

 真っ白だった体操服が泥んこになっていたり、靴を濡らして帰って来たり、膝小僧に絆創膏を貼ってもらっていたり、あるいは、友達と遊んだ事やケンカをした事を話したりするでしょう。それは、夢中になって学んでいる証だと思ってあげてください。幼稚園舎の屋上から、こいのぼりが元気に泳ぎながら、そんな子供達を見守ってくれています。

これからが楽しみな三次中央幼稚園の大切な子供達!ようこそ幼稚園へ!

 今年度も『葉子えんちょうせんせいの部屋』で毎月お付き合いいただき、保護者の皆様と共に「育てる」「育む」とは何か?を考え合うきっかけとなればと思いながら書かせていただきます。読んでいただく事で更にお子さんの事を愛おしく感じてもらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します。

先生の背中はぼくらの指定席(2025年2月28日)

保育室から聞こえてくる子供達の歌声……こうして部屋の外にこぼれて来る四季折々の歌をその都度その都度いろいろな思いをはせながらこの一年聞いてきました。いよいよ年度末。友達との別れを惜しむ歌や進級・進学に向けてエールを送り合う歌を聞きながら、子供達や先生達の気持ちを想像して胸を熱くしています。

先生の「おはよう!」

 毎朝、私は、園バスや車、あるいは徒歩で登園して来る子供達を先生達と一緒に門の前で迎えたり車の誘導をしたりしながらその様子を見守っています。子供達は、いろいろな表情で幼稚園にやって来ます。年度末ともなれば、どの子もみんな年度初めの4月頃とは違い、先生達が手を差し伸べなくても、「おはようございます!」と元気に挨拶をして走るように自分の保育室に向かって行きます。なかなか「おはよう」と言えなかった子供達も、いつの間にか笑顔で元気良く挨拶ができるようになりました。お家の人と離れられず涙を流していた子も、緊張の面持ちであっても気持ちを切り替えて、お家の人に「行ってきます」と言って園庭を真っ直ぐ歩いてお部屋に向かえるようになりました。門から幼稚園に入って行くこの短い時間の中でも、一人ひとりの成長がうかがえるシーンにたくさん出会えるのです。

「ママがいい!」からの…「ばいば~い!」

 そんな中、幼稚園で一番小さな満3歳児クラス(さつき組)の子供達は、まだその日の気分や朝起きて幼稚園に着くまでのリズムのちょっとした崩れに影響を受けて、機嫌よく登園出来ない時があります。「どうしたの?」と聞いても言葉にならないその子なりのわけがあるのでしょうが、保護者の方から聞く特別な事情がなければ、あえてその子に深く聞く事もしません。そんな気分になる時は誰だってあるからです。その日も、さつき組の女の子がお母さんからなかなか離れられずにいました。「さて、今日はブロックするのかな?」「早く行ってあそぼう!」と誘っても、お母さんの足元をくるくる回ってお母さんから離れようとしません。「ママがいい。ママがいい。」の一点張りです。そんな時、園庭の中ほどから「○○ちゃ~ん、早く来て~!」と言う先生の声。振り向くと担任の先生が背中向けにしゃがんで呼んでいました。(おんぶしてあげるからおいで~)と誘ってくれたのでした。それに気づいた女の子は急にお母さんから離れ、走って「みちこせんせ~い!」と、その先生の所へ向かって行きました。おんぶされた女の子は、先生の背中からママに「バイバーイ」できました。

 その先生は、幼いさつき組の子供達の機嫌がよくない時には、おんぶをしている場面をよく見ます。喧嘩したり寂しくなったりして泣いている時、自分の思い通りにならなくてプンプン怒っている時、聞き分けのない事を言って駄々をこねている時……。先生の背中に乗っかると、途端に気持ちが鎮まるから不思議です。先ず、落ち着かないと先生の話にも、友達の思いにも心を向ける気になってくれません。背中に居る間に自分なりにその時の気持ちに決着をつけて、気持ち取り直して再びしたい事に臨んだり、友達と遊べたりする場合もあります。

おんぶは人数制限あり、時間制限あり、スピード制限あり、だけどその時は、他の友達の手の届かない自分だけの居場所になります。先生の背中は、悩める子供達の指定席なのです。その時のスペシャルシートです。

大きくなったって、やっぱり……

 「重たいから自分で歩いてよ!」「もう、大きくなったんだから抱っこできないよ」───つい言っていませんか?子供達は、大きくなっても、自分の安全地帯をお父さんやお母さん、時におじいちゃんおばあちゃんに膝の上や腕の中や背中に求めています。大好きな人と身体が密着できている事で安心感や幸福感が得られると思うのです。叱ってしまった後、言い聞かせたい事がある時、悩みを聞いてあげたい時、褒めてあげたい時等、子供が不安な状態や溢れるほどの感情に子供だけでは受け止めきれない時には、惜し気もなく「ここにおいで」と、膝、胸、腕、背中を差し出してあげてみてください。

3人きょうだいの長子である私は、いつもお姉ちゃんとしてしっかりしていなければいけないと思いながら過ごしていたように思います。抱っこもおんぶも、妹や弟が優先でした。それは極々当たり前の事だと思っていました。小学校2年生の頃、母から頼まれたおつかいが上手くできずに、なかなか帰って来ない私を心配して迎えに来てくれた母の胸に飛び込んで泣きじゃくった事、その後、帰り道は母におぶってもらって慰めてもらった事、その時の母のぬくもりは、大人になった今でも忘れられません。素直に甘えて素直に泣けた事、私のためだけに手を広げて不安でたまらなかった気持ちを受け止めてもらい、背中に揺られて安心できた事を思い出します。

幼稚園では、先生がおんぶしてくれたり、ぎゅっと繋いでくれた手や「おいで~」と迎えてくれる声、ムギュ~と抱きしめてくれる両腕、絵本を読んでもらうお膝の中で、子供達は安心を得てくれていたと思います。そんな指定席を基地にして子供達は、これまでのびのびといろいろな経験を積んできました。

これから子供達は、今、出会っている人達と離れ、新しい場所で新しく人と出会うために新たに歩み始めます。どんな事があっても、帰り着く場所はお父さんお母さんなのです。心の基地がある事で、子供達は安心して世界を広げる事ができるのだと思います。

断捨離で気づかされた事(2025年1月31日)

新しい年を迎え、一カ月が過ぎました。“1月は行く 2月は逃げる 3月は去る”とはよく言ったものです。この3学期は進級・進学前の大切な3カ月です。慌ただしさの中にあっても、この言葉に流されず一日一日を大切に過ごしたいものですね。

12月にも書いたように、昨年末から大掛かりな家の片づけを始めました。少しずつ片付いてきた我が家──それでも、捨てるに捨てられない、だからといって置いておく場所もない、行き場のないかわいそうな物がまだまだ溢れかえっています。結婚する前の私の思い出の写真や日記、衣装ケースの中にしまったままでいつかは着るかも…と思って数年経っている洋服等はこの際思い切ってリサイクルや処分をする事にしました。

 ずっととっておいても、結局、将来、片づけに困るのは娘達だから…、今のうちに自分達で処分しなくちゃいけないと、主人と一緒にいろいろな物を分別しています。私が結婚する時に両親が準備してくれた物で一度も使っていない物が出て来て使っていなかった事が悔やまれたり申し訳なかったりして、胸が痛みましたが心を鬼にして処分しました。その次に頭を抱えている物、それは、写真です。自分の幼い頃の写真や娘達の生まれた時から今までの物が数えきれないほどありました。アルバムにしている物もあれば、忙しさを理由にバラバラのまま箱詰めにしていた写真もあり、とても大切な物なのに、それは到底大切にしているとは言えない状態でした。お正月に家族でその写真を見てある程度処分する事にしました。

 

カメラ越しの娘

幼稚園や小学校の行事での写真を見ていると、その時の事がはっきり思い出され、娘達は、「この時、こうだったよねぇ~。」「〇〇ちゃんを追い越して一番になった。観覧席から凄い声援が聞こえてめっちゃ嬉しかった事を思い出すわぁ!」等と、よみがえったその時の感動を語り合っていました。すると主人が「そうだったっけ?お父さんは、あまり覚えていないなぁ。」とボソっと言いました。「エーッ!お父さんが写真撮ってたのに?!」と娘達は不思議そうでした。主人は、「だって、撮り逃してはいけないと、カメラで追いかけるのが必死だったから……。」───カメラのファインダーからしか見れなかった主人には、レンズ越しに追いかける娘達の姿は、たくさんの友達とリレーをしている娘が感じていた周りの声援や風や空の色等、その時にしか一緒に感じる事のできない躍動的な全体の風景を共有できていなかった事があらためてわかりました。

 

思い出作りのための悲しい努力

そして、家族旅行の写真。幼かった娘達を連れていろんな所へ出かけていきました。その度にカメラやビデオを準備して(……そんな時代です。最近はスマホですよね)、それもまた楽しいと思っていました。なかなかカメラの方を見てくれなくて「こっちみてみて!こっちだよ~」とシャッターチャンスを狙いながら、行く所行く所で、思い出をカメラにおさめようと一生懸命だった事を思い出します。少し大きくなってからは、「写真撮ろう」と言うと「え~っ!またぁ~??」と、その度に足を止められてカメラの方を見ないといけないのが面倒臭そうに不機嫌な反応を見せるようになりました。

 

心のレンズで…

今、それらの写真を見返してみれば、思い出作りのためにと形に残す事しか考えていなかった親心でしたが、時間が経ってみるともっと一緒に子供達が興味を持った場所に興味のままに足を運び、楽しめば良かったと思うのです。写真を撮る事に時間を使い、子供達のしたい事や行きたい場所に向かう興味に足止めを喰わせていた事、その時の写真を撮る事が大変だった思い出よりも、もっと楽しい事ができたのではないかと思います。そして、今……思い出の写真の山……。娘達は、この親の努力(笑)に感謝してくれてはいますが、これらの写真やアルバムをまたいつ開いて見てくれるでしょうか?この先、そうそうないと思われます。それよりも、あの時こうだったよね~、ああだったよね~、と、写真には写っていない思い出……形ではない自分達の心のレンズで見た物や感じた空気、その一瞬一瞬を見て聞いて触れて家族で共有できる方が心の中に強く残る大切な財産になっていくのではないかと思うのです。

 断捨離をしながら、あらためて自分自身の……あるいは、家族の残したい本当の思い出や財産は何なのか?という事を考えてしまいました。

まだまだ可愛いさかりのお子さんを、撮らずにはいられない親心──、今はスマホ片手に手軽にきれいな画像が撮れます。データで残しておけるので、記録があふれかえる事もありません。良き時代です。でも、時々は、スマホ越しではなく、その時の我が子を取り巻くいろいろな物全てを感じ、その瞬間に一緒に声を出して笑ったり、泣いたり、叫んだりして、ご家族みんなで感動と思い出を共有してみるのも良いかもしれません。写真を撮る事に追われてその時の感動を逃してしまわないように、“記録”よりも“記憶”に残る思い出にしたい!

 あっ!💦 これ、写真撮り過ぎて、整理しきれずにいる今の私の後悔からの反省でもあるんですけどね。

難しい事って実は面白い(2024年11月29日)

2024年のカレンダーも残すところあと一枚になりました。街では、クリスマスムードが盛り上がり、年賀状やお節、福袋の話題……日々忙しくしている者にしてみれば、気持ちがそこにまで追い付かずせかされているようで、慌ただしさに拍車がかかります。

娘達の言葉

そんな中、終活(笑)ではありませんが、我が家の物置と化している部屋を片付ける事にしました。ずっと何とかしなければと思いつつ手つかずになっていた部屋は、思い出の品や書物等、仕分けて収納していたつもりがこの有様…と思われるほど溢れかえっていました。

その中で一番場所を占めていたのは、娘達の思い出の品でした。誕生から今までの撮り溜めたアルバム、うぶ着から幼稚園で作った作品や絵、小学校から大学までのカバンや制服、それを家族で懐かしみながら処分や整理をしました。幼稚園から小学校くらいまでのノートは可愛いばかりです。そして、中学校から大学までのノートを見て「よく頑張って勉強したんだね。(成績に反映されていたかどうかは別として)難しそう」と言うと、娘は「今見たらしんどくなるわぁ。でも、こういう数学の問題、何だか面白かった。たった一問をすごく長い時間一生懸命に考えて、最後に解けた時はすごく気持ちよかったなぁ。何とも言えないヤッターって気持ち!得意じゃあないけど、面白かった。」とまじまじとそのノートをめくりながら話していました。それを聞きながら、椅子に片膝立てて姿勢悪く机に座り、鉛筆片手に教科書とにらめっこしているその頃の娘の姿を思い出していました。一番勉強が楽しいと思えていた時だったようです。

“難しさ”を通して“本気”を引き出す

「難しい」と思う事を何とか乗り越える時、そこには、「本気」の気持ちで向き合う姿があります。時には時間を忘れたり周りが見えなくなってしまったりするほど夢中になります。何とか成果や答えを導き出そうと知恵や心身をフルに使って「本気」を出します。そうして、「わかった!」「できた!」「勝った!」という最高の喜びを得るのです。その喜びは、次の意欲に繋がります。難しい事にでも臆病にならず「ちょっとやってみよう。できるかもしれない。」という気持ちで向き合えるようになります。あの時頑張ってできた!という自分の力を信じてその次に味わったその時の喜びや達成感に出会うために「本気」出せるのです。

子供達は、まだ生まれて数年しか経っていません。これから出会うほとんどの事は初めてです。初めて見たり経験したりする事に興味津々です。そこの入り口は様々なカタチがあると思います。他者からの影響・“どうして?”という疑問からの追求・好きな事等…。それが難しい事であればあるほど、本気出して結果を自ら見出し喜びを得る───これが面白くてたまらないのです。

「本気」の先に……

今、まさに幼稚園の子供達は、友達や先生と一緒に「メロディーチャレンジ」という目標に向かって「本気」を出しています。初めて触れるいろいろな楽器と曲に出会い、ステージに立ち演奏したり踊ったりします。保護者の皆様においでいただくその日までには、いろいろな道のりがあった事は想像していただけると思います。はじめは、メロディーはわかっていても、うまく楽器で演奏できなくて、「もうしない。できないもん」と言ったりする子もいました。それでも、今では楽しくみんなで同じステージに立ち、演奏したり踊ったりします。そこには、大きな目標を掲げつつ、ひとり一人が自分の中での目標を持ちチャレンジする経験をし、「がんばったらちょっとだけできた!わかった!」という喜びを味わう経験を積み重ねてきた“本気”があるのです。

打楽器をしている男の子に「こうしたらもっと良い音が出るよ」と手を添えようとしたら、「わかってるってば!」と教えてもらう事を拒んでいました。でも、他の友達が先生に教えてもらってどんどん良い音がでるようになっていくのを見て、彼も自分も良い音にしたいと思ったのでしょう。「ねえ、園長先生、僕の音はこれで良かった?」と教わる気持ちになってきました。「うん!良くなったよ!その調子!」とオッケーサインをすると、「おもしろくなってきた!」と言うようになってきました。また、木琴のパートをしている子達は、主旋律だけでなく、それにハモりのメロディーも覚えて2本のマレットで音色を奏でます。きれいな音を出すのはとても難しいのです。でも、何度も何度も根気よく先生の指導を受けます。バス通園のある男の子が朝バスの中で先生に、「僕、今日楽しみなんだぁ。」と言ったので「何かあるの?」と先生が聞き返すと「ホールでの練習!僕、早く明日にならないかなぁと思って夜も眠れなかったんだぁ~」と言ったそうです。難しい事を一生懸命本気になって頑張ると、それは次の楽しみにつながる事を彼は実感していました。本番、子供達の誇らしげな姿や楽しそうな表情、音色は、そんな楽しさや喜びの努力の末に獲得した子供達の勲章です。

「難しい事は実はおもしろい」──それを知った子ども達はチャレンジする事への快感と共に学ぶ力を身につけていくはずです。

そんな子供達の姿を毎日見ながら一緒に過ごせている先生達もまた、楽しくてたまらないのです。