お節料理(平成17年度)平成18年1月

例年、年末の我が家では、お節料理の準備をします。大抵のご家庭がそうされているはずです。ところが、私自身は、昨年12月の半ば頃から、今年はどうしようかなと悩んでいました。なんだか気忙しくて余裕が無く、料理屋さんで作っているのを注文して、それで済ませようかとも考えていました。ちょうどその頃、東京で仕事をしている次女からメールが入ってきました。「お父さんは、お正月の2日目頃から、『お節』を食べても食べても、なかなか無くならないと言っているよね。だったら、皆が好きなものを少しずつ作ろうよ。今、流行(はやり)の豆乳鍋もお父さんと一緒に作ってみたいし、餃子の作り方も教えて欲しい。『お節』を作らなかったらお父さんも年末はゆっくりできるよ。」と、いった内容でした。


今までの我が家でのお節料理は、子供と一緒にいる頃は、その文化の伝承の意味も込めて、女房が必ず作っていました。もう、娘達も大きくなったし、今までに、伝えることは伝えているし、たまにはお節料理の無いお正月も良いかと思うことにしました。
だんだんと年末が近づいてきました。私は、娘が言っていた豆乳鍋を食べたことが無いので、やはり、一度は作ってみておかないと娘に料理を教えられないと思って、豆乳と野菜と魚のアンコウの切り身を買ってきて、試しに作ってみました。豆乳についてはどんな味に仕上げて良いのか分からないので、鍋用のダシ入り豆乳を求めました。ダシが入っているので、豆乳を鍋に入れて煮立ったら、魚を入れ、野菜を入れて出来上がりです。すごく簡単にできて、意外と美味しく戴くことができました。豆乳鍋の味が分かったので、娘と作る時にはダシから採ろうと考えていました。「今年は『お節』を作らない」のだと、そんな心の準備をしていても、やはり、元旦にお屠蘇(とそ)を戴く時には、祝い肴の三種の数の子、黒豆、田作りを食べないといけないし、ブリやタコの刺身も食べたいし、それなしではお正月を迎えた気分にはなれないのではと思い始めた頃、友達から杵で突いたお餅を戴いたのです。やはり、「お正月は雑煮も食べなきゃ」と思い、結局、数の子やブリやタコ、ハマグリなどを少しばかり買い求めて、お節料理の準備も始めました。


雑煮の準備は毎年、女房がします。雑煮はその家、その家の味があるからです。家族みんなの共通の味の記憶があるので、私の雑煮の味ではお正月が始まらないのです。
大晦日の夜、娘が東京から帰ってきました。雑煮の準備は私が広島空港に娘を迎えに行っている間に女房がすでに済ませていました。家に帰ってくるなり、娘と私は二人で台所に立って豆乳鍋の準備を始めました。もちろん、ダシを採ることから始めました。試しに作った時の魚はアンコウでしたが、今度はブリの切り身を使いました。美味しく出来ましたが、夕食が終わった頃には除夜の鐘です。結局、年越しそばは夜中の2時過ぎに再び、娘とダシを採るところから始めました。


ここまで読まれて何かを感じ取られた方もいらっしゃると思いますが、娘と一緒に料理をしている姿は、「男子、厨房に入るべからず」の時代の人には、「何、やってんだよ」と思われるでしょうし、今の若い人の中には、「自分だってやってるよ」と思われた方もいらっしゃると思います。料理を苦痛に感じている人は、「旦那がしてくれるなんてうらやましい」と感じられたかもしれません。そんなことは別として、父親にとって、息子であれ、娘であれ、大きくなったら一緒に飲みに行くのが「楽しみだ」「憧れだ」と、思っているお父さんは多いのです。


そんな喜びを口には出さないで一人味わいながらの親子の料理教室でした。娘は正月4日の最終便の飛行機で東京に帰って行きましたが、その日の昼食を含めて,帰省してからのすべての食事は娘と一緒に作りました。1年のうち、ほんの僅かしか一緒にいることのできない娘との密度の濃い年末年始でした。


そんな時を過ごしていた元旦のお昼前に、私のことを本当の祖父(おじいさん)と思ってくれている小学校2年生の女の子が鹿児島から「広島のジィジ、明けましておめでとう」と、電話をかけてきてくれました。「おめでとう。お正月どうしている?」と訊くと、「お正月ってすごく楽しい!!」と言います。何のことだろうと思って訊ね直すと、「○○ホテルでご馳走をいっぱい食べて、その後、××ランドに行っていっぱい遊んで来たの。すごく楽しかったよ」と言うので、だんだんと様子が飲み込めてきました。お節料理をホテルがバイキング形式でしていて、朝早く、そのホテルに行って家族で食事をしてきたことが分かりました。
その女の子が、「ジィジは、今、何しているの?」と訊いてきました。夜が遅かったので遅い朝食となったのですが、お屠蘇を戴いた後、雑煮を食べている時でしたので、「今ね、皆でお雑煮を食べているんだよ」と伝えました。するとその子が「お雑煮って、なぁに?」と訊きます。慌てて、「お雑煮ってね、お餅をお汁の中に入れて食べるんだよ」と、説明すると、「美味しそう!」と言います。それ以上は言えませんでしたが、雑煮を食べたことが無いのだと想像がつきました。そのことを女房に話すと、「今の若い人の多くはそうなんだよ」と言います。


確かに、お節料理は手間がかかり面倒くさいし、今の食生活から言うと、口に合わないのかもしれません。でも、雑煮すら知らないで育っていることには、大好きな友達の家族のことだけに、余計に衝撃でした。
「お節」は、元旦や五節句(正月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)などの祝日に作る料理で、長い間引き継がれてきた日本の伝統文化です。その根底には、家族の無事を願いながら自然に対する畏敬の念と感謝の心が脈々と息づいています。日本の伝統文化が日本の学校教育や家庭教育で失われつつある昨今、今一度、考え直してみる必要があるのではないでしょうか

思いやりの心(平成17年度12月)

12月4日(日)は幼稚園の音楽発表会です。
もうすぐです。そこで私は、先週の木曜日に、ホールに行って子供達の踊りや合奏の練習をしている様子を見てきました。ホールでの合奏の練習が始まって、まだ、一週間余りですので、まだまだ曲にはなっていないだろうと思いながらホールに入ってみると、なんと、年中、年長組の、どのクラスもちゃんと曲になって演奏しています。年少組の踊りも、なんとか形が見えてきています。みんな、ニコニコ顔です。先生達も子供達の表現や態度をそのまま受け止めて、先生自身も楽しんで指導している様子が伝わってきます。いい雰囲気です。


園庭に出てみると、寒さなんかヘッチャラと言わんばかりに、サッカーに夢中になって遊んでいます。先ほどまでホールで演奏していた年中組のクラスです。合奏の練習を終えたその他のクラスの子も、ウサギを抱いている子や、ヤギや羊に野菜をやっている子、泥団子を作ったり砂場で遊んだりしている子、冒険広場のアスレチックや小山で遊んでいる子と、子供達自身の緩急(緩やかなことと厳しいこと)の生活が、子供達の心に自らメリハリをつけています。
次の日、園庭を歩いていると、女の子数人が私のところに寄ってきて、「理事長先生、思いやりの気持ちを教えてくれてありがとう。」と言うので、一瞬、何のことだろうと戸惑っていると、もう一人の子が、「靴のことを教えてくれてありがとう。」と言うので、何のことか理解ができたことがありました。


何かと言うと、8月の終わりのころ、広島大学を会場として幼稚園・保育園の先生達を対象としたセミナーで、「幼児の育ちを考える」というシンポジウムがあったとき、私が司会役を務めました。私が「躾や基本的生活習慣」のことに触れたときの話です。スプーンを使ってスープをすくうとき、私が子供のころに習ってきた洋食の食べ方のマナーは、スプーンを自分の反対の外側の方に向けて押しながらすくう方法でした。それは、自分の服やズボンにスープがかからないためだと教えられていました。ところが、同じヨーロッパでも、国によって違うのです。国によっては、スプーンを自分の方に向けてすくうのです。その理由は、外側にすくうと相手側の方に飛び散ってしまう可能性があるからです。相手に対する思いやりの心のマナーです。


同じような意味で、靴箱の話をしました。靴箱に靴を入れるとき、私自身は、つま先が外側に向くように入れます。それは、つま先を奥にして入れると、靴の中が丸見えになり、相手に舞台裏を見せているようでいい気持ちを与えません。下着を見せているようなものです。私の子供時代の躾はそうでした。ところが、現在の学校の靴箱を見るとほとんどといっていいくらい、つま先を奥に向けて入れています。これはこれで理由があることを話しました。自分にとって合理的なのです。靴を出し入れするのに向きを変えなくてもいいから、スムーズにできます。合理主義なのです。特に戦後の教育からこのようになってきました。今では、つま先を外に向けて靴箱に入れているのは、私立の女子校ぐらいでしか見ることができません。


その時のシンポジウムで、なぜこのような話をしたかというと、同じ躾でも真反対のことがあるということを伝えたかったからです。一方は合理性を優先した対処の仕方で、もう一方は、相手に対する思いやりの気持ちを優先したやり方であり、そのどちらを指導するかは、その家庭や園の教育方針であることを話しました。


そのことを話して2ヶ月余りたって、その研修会に参加されていたある幼稚園に出かけて行ったとき、靴箱に入れてあるシューズの向きがつま先を手前に向けてありました。私の話を聞いて、思いやりの心を優先する方法を選ばれたのです。
そんなことがあって、我が園の靴箱を見ると、つま先を奥に入れているではありませんか。何時からこうなっていたのか、意識しないで過ごしていたので見過ごしていました。最近では、学校で、つま先を奥に入れる方法の習慣で育ってきた先生達がほとんどですから、先生が入れ替わるに連れて、いつの間にかそうなっていたのです。


そこで改めて、私が広島大学での研修会で話した内容を先生達に伝えて、合理性を優先する方法か思いやりの心を優先する方法か、どちらを選ぶのかを投げかけておいたのです。先生達は、早速、話し合いを持って、つま先を外側に向ける思いやりの心を優先する方法を選択してくれました。次の日、先生達は、各クラスでそれぞれ子供達に伝えてくれて、子供達は、その日の内に靴箱に入っている靴を、つま先を外側になるよう向き変えてくれていました。子供達はそのことを、「教えてくれてありがとう」と言っていたのです。


ところが当日、幼稚園でそんなことがあったとはついぞ知らない、プレイルーム(別棟の預かり保育の部屋)担任の先生達が、幼稚園の保育が終わって、プレイルームに「ただいま」と、子供達が帰ってきたとき、「思いやりの心、思いやりの心」と言いながら、靴箱につま先を外側に向けて靴を入れている様子を見て感動しているのです。今日、先生達から教えてもらったのだという事情が、やっと飲み込めたプレイルームの先生が言うのには、保育室の前にある靴箱では、先生から話を聞いたばかりなので、みんなできたかもしれないが、別な場所に帰ってきてまでもちゃんとできていることに改めて感動したというのです。そのうえ、その日の夕方、プレイルームに久しぶりにお迎えに来られたおじいちゃんが、「門を入ってから、お迎えに来られているお母さん達が、わしと出会うたびに、『こんにちは』と挨拶してくれる。この幼稚園のお母さん達は、よう挨拶してくれるの~」と言ってくださったことと合わせて、その感動を伝えたくて、職員室にいる園長や主任のところに、内線電話をしてきたのです。子供達もお母さん達も、お互いに、すてきな関係で育っていらしていることを嬉しく思います

お寺(平成17年度11月)

10月1日に三次市西酒屋町にある浄土真宗本願寺派の源光寺で、《門信徒の集い・トーク&ライブ2005「一期一会」3》と言う集いがありました。私の家は禅宗の臨済宗ですので宗派は違いますが、その集いのトークショーで子育てについて何か話をして欲しいと言うご住職からの依頼がありました。今までの私のお寺へのイメージから言うと、宗派によっては呼び方が違いますが、住職さんや和尚さんが門信徒や檀家の人達に法話や説教をしてくださると言う思いが強くありましたので、講師の依頼があったとき、一瞬、戸惑いましたが、幼稚園の保護者でもあるし、私自身、2年前から東酒屋町に居を構えたこともあって、地域の方々へのご挨拶代わりと思い、快くお引き受けしました。そのトークの内容は、『お爺さん お婆さん そして貴方も出番ですよ! ~子育て・孫育てを語りましょう~』と言うテーマで、ご住職さんとの対談と言う形で、一部と二部とに分けて行われました。


そこでの話の内容についてはここでは触れませんが、本堂もいっぱいで廊下まで立って、多くのお爺さんお婆さんから若いお母さん達も聴いてくださいました。その対談のときに、住職さんから幼稚園を運営してきて、「一番嬉しいことはどんなときですか」と言う問いかけがありました。そこで私はいろいろあるけれど、「子供が夢中になってしっかり遊びこんでいる様子を見る時と、卒園児が大人になってからも訪ねて来てくれる時。」と言うようなことを、具体的な出来事を紹介しながら話をしました。


そして第一部が終わり、第二部のトークが始まる間は控え室で次の出番を待っていました。しばらくすると、住職さんのお子さんで、小学校2年生の卒園児の清道(せいどう)君と幼稚園年中児の清賀(さやか)ちゃんが挨拶にやってきてくれました。最初に清道君が正座して両手を着いて、「今日は大変お世話になります。」と丁寧に挨拶をしてくれます。それに続いて、清賀ちゃんが、ちょこんと座って、「お世話になります。」とペコンと頭を下げました。するとお兄ちゃんが、「ちゃんと座って、両手を着いて挨拶をしなさい。」と言って妹にやり直しをさせます。そうして改めて丁寧に挨拶をしてくれました。


さすがお寺のお子さんだとほほえましく思いながら感心していました。そう言えば、そのように正座をして挨拶してくれる子供には、最近、出会っていないことに気付きました。もっとも、畳のある家で子供達に出会っていないだけかもしれませんが、それでもやはり、正座して挨拶する子供はかなり少なくなっているだろうと言うことは想像に難しくはありません。お寺ですから、大抵、畳が敷いてあります。住職さんとその家族の大人の方は、お寺にお参りに来られた方やお客さんがいらっしゃると、いつも正座して両手を着いて挨拶をされているはずです。そのお子さん達は、そこでの日常の生活の中で毎日その姿を見ています。その子達のお父さんやお母さん、お爺ちゃんやお婆ちゃんや、周りの大人の姿を見て育っています。私のところに来て正座して両手を着いて挨拶をしてくれたのも、ごく自然にできるようになっているのだと思いました。あるいは、お婆ちゃんから言われてそうしたのかもしれません。そのどちらであっても、毎日の生活の中で獲得していくマナーは、突然に言われてもできません。周りの大人の姿を見ながら、ときには教えてもらいながら身に付いていくものなのです。家庭での躾(しつけ)は大人の生活の在り様でもあるのです。


そんなことを思っているところへ、今度は高校生が、「失礼します。」と言って入ってきました。卒園児の里佳ちゃんです。やはり正座をして挨拶します。彼女の家は南畑敷です。家からお寺まで距離があり、遠くから来ているので、「門信徒なの?」と訊くと、「門信徒ではないけど、小学生の頃から毎月このお寺で開催される『ルンビニ子ども会』に来ていて、毎年のサマースクールにも参加していました。今日はこのライブの準備の手伝いに来ました。」と言います。高校でのサークル活動で紙芝居を子供達に読んでやるため、保育園や幼稚園を回っていると言います。三次中央幼稚園にも私の留守の時、来てくれたと話してくれました。幼稚園の時は一番背の低かった里佳ちゃんですが、すっかり大きくなっています。「何年生になったの」と訊くと、高校3年生だと言います。「じゃあ、進路はどう考えているの」と続けて訊くと、「広島の短大を受験して幼児教育を専攻する予定です。」と言います。嬉しいではないですか。やはり、卒園児の成長を見ることはとても嬉しいものです。第二部が始まるまでの楽しい一時を過ごすことができました。それと同時に、このお寺で、地域の子供達が勉強したり山登りをしたりしながら、それらの活動を通じて、何か見えない偉大なもの(サムシング グレート)を信じる畏敬の念を培っておられることに大変ありがたく敬意を表したい気持ちです。


大きな言い方をすれば、私達は自然の偉大なる宇宙の摂理の許(元)で生かされています。その自然の偉大なる宇宙の摂理に対して、信じる心と感謝する心を持ち合わすことができる人になれたら、どんなに心豊かな生活ができるでしょう。「もったいない」、「ありがたい」「おかげさまで」と言う日本の心の文化を伝えていきたいものです。


話は変わって、10月中旬に入って静岡県のある幼稚園の啓介先生(37歳)という男の先生が、1週間ほど、この三次中央幼稚園に研修に来られました。幼稚園の後継者の方が毎年3、4名ほど県外研修ということで、静岡県私立幼稚園協会から推薦を受けた幼稚園に派遣されているというのです。子供達は、久々の男先生とあって大喜びで、「啓介先生、啓介先生」と、瞬く間に仲良しになっていました。子供達が降園した後は、私はもちろんですが、園長や主任、先生達もいろいろと幼児教育の本質や在り方を、いっぱい、いっぱい伝えようと、気持ちよく関わって受け入れてくれました。彼が三次中央幼稚園の幼児教育に対する考えと教育方法をどこまで理解してどのように感じて帰られたかは、彼が将来、幼稚園の園長として、子供の育ちに対してどのような願いを持ち、どのような教育方法を実践されていくかによって表れてくるのではないかと思います。
「啓介先生、頑張れ!」と、三次からエールを送り続けます

老いと親(平成17年度10月)

9月23日、秋分の日の運動会は、開会して間なしの頃、10分くらいの間、雨が降りましたが、その後は好天に恵まれ、無事、終了することができました。子供達が楽しそうに活動している姿は、保護者の方はもちろんですが、おじいちゃんやおばあちゃん、ご近所の方々の心をずいぶんと癒してくれたのではないかと思っています。いつも、スピーカーの大きな音や声で迷惑をかけているはずのご近所の方々が観に来て下さることも嬉しいかぎりですが、ましてや、その人達が子供達から元気がもらえるとさえ言ってくださって、こんなにありがたいことはないと感謝しています。


幼稚園の子供達は、時々、老人ホームへ慰問にでかけますが、子供達のかわいい姿は、お年寄りの一番の喜びとなり、子供達から元気をもらうことができると、いつも心待ちにしていてくださいます。おじいちゃんおばあちゃんの顔が一度に明るくなり、嬉しくて涙を流しながら子供達の手を握って離さないおじいちゃんおばあちゃんの姿もあります。
私にも年老いた両親がいます。父が大正3年生まれの91歳、母が大正7年生まれの87歳です。それも、田舎での二人暮らしです。長男、長女は東京住まいで、私が三次です。ずっと寂しい思いをさせていることがいつも気がかりでいます。


三人とも親孝行をしたい気持ちはあるものの、それぞれの仕事や家庭の事情で両親だけの二人暮らしを余儀なくさせています。
一方、親は親で、子供達が一緒に住もうと声をかけても、長年過ごしたこの家が一番良いと言って腰を上げてくれません。
そういうことで、二人が元気でいる間は、それはそれで良いかと思いながら過ごしていましたが、4ヶ月前、父親が脳梗塞で倒れ、急遽、入院しました。おかげ様で元気にはなったものの、右手と右足が不自由になり、車椅子の生活となりました。子供達が自分達の家に来るように誘っても、子供達の家に行くと迷惑をかけるからと動こうとしません。自分達が若いときには祖父母や両親を一生懸命世話をしてきたのに、自分達が老いてきたら子供達に迷惑をかけまいと気遣っています。


田舎の昔の家ですから、そのままでは車椅子の生活はできません。止むを得ず、退院することを少し伸ばしてもらい、10月早々から改装することになりました。
ところが、大正時代に生まれ育った人達は、本来、一番多感で希望に満ちた青春時代を、大東亜(太平洋)戦争で出兵したり留守家族を必死で守ってきたり、また、広島、長崎への米軍による原子爆弾投下による被爆、敗戦を経験して、日本中、生活が困窮した凄惨(せいさん)な時代を過ごし、その後も必死で働き、今の日本を築き上げてきた世代なのです。そのうえ、大家族で両親や祖父母の世話をし、敗戦後、都会から親戚を頼ってきた人達をも受け入れ、子供を育て学校にやり、本当に人一倍の苦労を、身をもって体験してきた世代です。


そのため、ほんの少しの贅沢もできず、常に、「もったいない、もったいない」という生活をしています。そういうことで、いざ家を改装しようとすると、それを壊したらダメ、捨てたらダメとなかなか改装の話が進みません。しかも、自分達はもうすぐ死ぬのだから、もったいなくてお金をかけたくないとまで言います。少しでも子供達にお金を残してやりたいと思っているのです。もうすでに、還暦を迎えた子供達に対してなのです。「老いては子に従え」という言葉があるように、とにかく子供の言う通りに改装をするようにと説得を続けて、やっと、工事の依頼までこぎ着けることができました。


自分自身、なかなか親孝行ができないでいることを恥ずかしく思いながら過ごしていますが、「親思う心に勝る親心」と言うように、年老いてもまだ子供達のことを心配してくれています。
別な意味で親のことを一番心配してくれるのは、たいていの場合、孫たちです。親が子育てをしているときは責任もあり、精神的な余裕もなく必死ですし、子供に対して厳しく接しなければならないことも多くあります。ところが、孫がかわいくてしようがないおじいちゃんおばあちゃんは無条件でかわいがります。おじいちゃんおばあちゃんからの愛情を一身に受けて育った孫が大人に成長した頃は、自分をかわいがってくれたおじいちゃんおばあちゃんはすっかり年老いています。そのため、一番、お年寄りのことを心配しているのが孫なのです。


私の実家は、もう建て替えないかぎり、孫達が住むのにはほとんど満足を感じる建物ではないのです。両親が他界したら取り壊すしかないような建物です。私自身、誰も住む人がいなくなったら取り壊すしかないと思っていました。庭の松の木も剪定を怠ると一度に松葉が茂り、見るに絶えない姿になってしまいます。今年もそのままにはしておけないので、松の剪定をしてきましたが、庭木は常に管理していないと、すぐに荒れてしまいます。年老いた母も、私が松の木の剪定をしている姿を見て申し訳ないと思っているようで、母はその松の木を切り倒そうと考えていましたが、かわいがって育った孫で兄の息子である私の甥坊がしきりに反対します。子供の頃、夏休みや冬休みになるといつも泊まりに来ていた甥坊にとっては祖父母と過ごした日々のことや心を癒してくれた庭の樹木や古い家、周りの自然が、甥坊の心の中にしっかりと焼き付いているようです。その甥棒は、すでに社会人となり東京に住んでいますが、空き家になっても時々泊まりに来ると言っています。


いずれにしても、若い人達も、いずれ、年老いていきます。80歳、90歳と聞くと、若い人たちは、自分はまだまだ先と実感がありません。ところが年老いてみると、人生ってそんなに長いものではありません。すぐにやってきます。先日、田舎に帰ってきたとき、その集落の家のほとんどが世代交代していて、子供の頃のおじいさんおばあさんは誰一人いなくなっていて、友達もすっかりおじいちゃんおばあちゃんになっていました。一日一日を大切にしながら、しっかりと生きていきたいものです。

子供の育ち(平成17年度9月)

長い夏休みが終わりました。子供達の「夏の経験」はどのようなものだったのでしょう。きっと、田舎に泊まりに行ったり、海や山へ行ったりと夏の自然を満喫したのではないかと思います。
夏休みに入ってすぐの、年長組の三瓶山での合宿保育が終わった後、幼稚園の先生達の夏休み中の生活は、園内研修をしたり、あちこちで開催された研修会に積極的に参加したりして自己を高めてくれました。


私自身もお盆休み以外は、県内の公立保育所の中堅保育士研修会や公立、私立幼稚園の研修会等の講師として招かれ、あちこちで講演してきましたが、幼稚園にいるときはその原稿の作成で気忙しい夏休みでした。


そんな中、8月5日に放課後児童クラブの子供達52名(小学1~2年生)と児童クラブの先生達と一緒に吾妻山に登りました。実を言うと、昨年も一緒に吾妻山に行ったのですが、運動不足が続いていた私は、足のふくらはぎがすぐに痛くなり、登り口でリタイアしてしまいました。ところが、今年は、途中、休み休みでしたが、頂上まで登りきることができたのです。なぜ登りきることができたかと言うと、実は、昨年から犬を飼っていて、毎日、犬と一緒に40~50分ぐらい散歩をしていたからなのです。


吾妻山の登山道で、列の一番最後を皆から遅れながら一人歩いていましたら、その途中、登山をあきらめて下山を始めた子供達と出会いました。その子達が、私のお茶の入ったペットボトルを見つけるなり、「お茶をください!」と言って、争うように飲みます。登り始めるときは、水筒にいっぱいお茶を入れていたはずなのに、降りて来ている子供達全員の水筒が空っぽになっているのです。当日は、吾妻山も猛暑に襲われていたので、確かに暑かったのですが、登山を始めて下山するまでの、水筒のお茶の、量の配分ができていなくて、後の事も考えず、登る途中でお茶を飲み干していたのです。私のお茶を飲んだ後は、途中脱落しそうだった子供達も励まし合いながら、最後まで一緒に登りきることができたのです。


それでも、頂上に着いた多くの子供達が水を欲しがっています。登る途中、山水が染み出ていた水溜りを見つけていた私は、その事を子供達に話して、もう一度励ましながら、山水の出ているところまでたどり着きました。子供達にとって、そのときの山水のおいしさは格別だったようで、水を飲んだ後も、水筒に水をいっぱい入れて下山していきました。


今年の夏休みも、新潟県や福島県、鳥取県、岡山県、広島市等から幼稚園の理事長、園長、教諭の先生達60名くらいが、入れ替わり幼稚園の視察に来られました。その接待にも追われましたが、先生達も来園者の方々の応対をしっかりとこなしてくれました。9月、10月は県内の公立保育所の所長さんや保育士さん達がたくさん来園されます。


夏休みの間の幼稚園には、「プレイルーム」の子供達が毎日登園してきてくれていました。以前は、夏休みの園庭はとても静かでしたが、「プレイルーム」の建物ができた平成3年度からは、夏休みでも子供達の歓声を聞くことができるようになりました。
今では、子供の城保育園の子供達と放課後児童クラブの児童達も時間差で遊ぶので、朝から夕方まで子供達の声でにぎやかな園庭となっています。絵本を借りに来られたりプールを利用されたりと、親子で来られる姿も、毎日、見ることができました。


プレイルームの子供達を見ていると、年少児から年長児まで異年齢で一緒になり、しっかりと遊び込んでいます。虫捕り用の網を手に持ってセミを捕っている年少や年中の子達、網がなくても手のひらで捕れるようになった年長の子達。年長児に憧れたり、年少、年中児を思いやったりしている姿に、セミ捕りだけを見ていても、子供の育ちの確かさを見ることができます。そこには、まさに、子供集団(ワンパク集団)が息づいていました。


来園者からのお礼状にも、「伊達学園のすばらしい環境、園庭の動物達、何よりも子供達の生き生きとした姿に、改めて幼児教育の大切さを感じました。」とありました。来園者の共通の感想が、子供達が、「嬉々としている」、「輝いている」、「生き生きしている」と言うものでした。
この幼稚園の子供達の姿を、そのように感じていただけることは、とても嬉しく、子供達の育ちが正しく培われている証でもあると喜んでいます。


しかし、正直に申しますと、私は本来、子供は生き生きとしていて好奇心に目を輝かせているものと思っています。実際、そうでなければなりません。ところが、この幼稚園に視察に来られた方々の感想で、どなたも、「この幼稚園の子は生き生きしていて目が輝いている。」と言われます。
以前にも、福島県のある市から20名近くの理事長・園長先生達が視察に来られたことがありました。そのときも、「この幼稚園の子は目が輝いている。」と、同じような感想を言われたことがあります。
そこで私は、「え~、子供っていつも輝いているのではないのですか。」と訊き直すと、「いや、輝きが違う。」と言われます。


そのとき視察に来られた幼稚園の先生達によくよく聞いてみると、その幼稚園では、ワークブックのような教材を使って、「お勉強(?)」を中心にしていると言われるのです。
子供達が疲れているのです。「子供は遊びが仕事」、「遊びの天才」と昔から言われていますが、心から遊び込むことのできる生活が保障されていないのだと思いました。


子供達が、自然と関わり、友達と関わったりしながら、好奇心いっぱいに嬉々として遊ぶ姿に子供の生き様を見ることができます。様々なことへの興味や関心、意欲や忍耐、悔しさからくる心の葛藤、達成感や満足感からくる幸せ感が、人間力となり、生きていく力となるのです