PTA総会のときに園長も話しましたが、5月12日に年長組の子供たちが、主任の葉子先生のお家の田んぼで、田植えをさせてもらいました。4月に葉子先生から、「子供たちに田植えの経験をさせてやりたいのですが、子供たちを連れて行ってもいいですか?」と打診があり、「すごく良い経験になるから是非とも。でも、転んだりするから、着替えはしっかり準備しておいた方が良いよ」と伝えると、「そのつもりで行きます!!」と言うことで、幼稚園では初めての田植えの行事となりました。当日、子供たちが田んぼに着くと、全員、裸足になり、畦(あぜ)道に立って、葉子先生のご主人から、苗の植え方や田んぼでの歩き方を教えてもらっています。ご主人がわざわざ会社を休んで協力してくれているのです。おじいちゃんも田んぼに入って手伝ってくださっています。
子供たちは、早速、一握りの苗を持って田んぼに入って、昔のように、紐に等間隔で印が付けてあるところに、どんどん植えて行きます。予想以上に上手に植えています。騒ぐ子も転ぶ子も誰一人としていません。目を輝かせ、真剣そのものです。
次の日、Nちゃんのお母さんから幼稚園のパソコンに田植えのことでEメールが入りました。
お母さん:
「昨日させていただいた田植え、娘がすごく喜んでいました。『楽しかったことわすれたくないから』と、らくがき帳に、日記のようなものを、書いていました。初めてのことです。とても心に残ったのでしょう。幼稚園では、本当いろいろな経験をさせていただけますね。娘は、田植えをさせてもらってから、我が家ではたんぼ博士です。田の歩き方や苗の植え方を家族に説明し得意そうです。なにしろ、私もお兄ちゃんも未経験ですから。先日まで田と畑の区別もつかなかったのに、経験ってすごいですね。いろいろな、経験をさせていただき、感謝しています。」
返事:
「Nちゃんもとっても楽しそうで、田植えが終わって、体操服に着替えて、畦道に立って機械植を見せてもらっているときに、田んぼに落ちたのに、ベソもかかずに平気でいましたから、本当に楽しかったのではと思います。」
お母さん:
「田植えの時、そんなことがあったのですね。昨日、娘が言っていた意味がやっとわかりました。普段の娘であれば、泣いてしまいそうな場面です。泣かなかったと聞きうれしいです。」
こんなやり取りでした。そして、24日にはヒツジの毛刈りをしました。その二日後に、今度はN君の母さんから、お手紙を戴きました。長い文章でしたので、抜粋、要約してご紹介します。
「先日は羊の『クリームちゃん』の毛刈りに息子が参加させていただきました。午前中に家事を済ませ、昼食をとりながら何気なく新聞を見ておりましたら、『どう見ても、どこかで見たことのある顔だな~』と、始めはそのように思っている程度でしたが、『やっぱりこれは‥‥』と、家族の皆に確認をと、新聞を切り抜いて大事に机の上に置いていましたが、お迎えのとき、先生から息子であることを聞かされて、本当にびっくりしました。本人は、始めはあっけらかんとしておりましたが、後で記事を見せましたら、まるで自分ではない、もう一人の『ヒーロー』に思いっきり照れておりました。すごくうれしかったのでしょうね。その日、息子はニコニコ顔のまま就寝いたしました。吾が子が喜んでいるのを見て、私はとても幸せな気持になりました。そしてまた一つ素敵な思い出が出来、大変感謝しております。本当にありがとうございました。」
田植えと羊の毛刈りだけでも、直接経験した子供たちだけに留まらず、こんなにも、家族の方までいろいろな感動の波が広がっていることをうれしく思います。子供たちは直接経験することで、感じたり考えたり創造・想像したりする能力がはぐくまれ、感性豊かな子供へと成長してくれます。
幼稚園の園庭には木々が茂り、小川が流れ、トンネルのある小山や動物園、アスレチック遊具と豊かな生活体験が出来るようにと工夫した環境となっていますが、もう一つ、私の長年の念願であった「自然観察園」が完成しました。昨年の春から、我が家の裏山を、ショベルカーを借りて、自分で操作して造成し、いろいろな木を植えたりしていましたが、5月に入って、畑を作り、芝生を敷きました。広場には大きな石のテーブルもあります。子供たちがただ観察するだけではなく、実際に、自分の手で自ら木の実を採ったり食べたり出来るようにと、実のなる木もたくさん植えました。もちろん、花木も植えて花も楽しめるようにもしました。まだ苗木がほとんどなのですが、クリとカキと秋グミは、すでに実がなる大きさになっています。植えたものは、カキ、クリ、ナツメ、ビワ、秋グミ、ビックリグミ、ユズ、イチジク、プルーン、アケビ、サクランボ、マルメロ、タラノキ、大きなドングリがなるトチノキ、サクラ、アメリカハナミズキ、コブシ、エゴノキ、ナンジャモンジャノキ、ヤマボウシ、夏ツバキ等々です。カブトムシも生息するよう樹皮の堆肥も積んでいます。畑にはトウモロコシ、ウリ、イチゴ、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン等を植えました。
子供たちが、自分で実をもいで食べる姿やウグイスの泣き声を聞きながら、芝生の上でお弁当を食べている姿を想像しながら、一生懸命植えました。「自然は偉大な教師である。」が、この幼稚園の守り続けている理念でもあるのです。私自身、自然観察園を作っている間、とても楽しく幸せでした。
2004年6月1日 5:36 PM |
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新学期が始まって3週間が過ぎました。今年はなぜか、期待(?)に反して泣く子がいないので、理事長の出番がありません。毎年のように一人や二人は泣く子がいて、その子を抱っこしたりお話をしたりして、元気が出てきたら担任に返すのですが、今年は誰一人いません。私自身、最初の子供たちと個別に深い関わりを持てるチャンスなのですが、それも出来ず、一人寂しく過ごした4月でした。
保育室を回ってみると、もうすっかり落ち着いた生活をしています。入園した頃の子供たちは、お部屋に入るだけでも大変だったのに、今では、ちゃんと椅子に座って、先生の話をおとなしく聞いています。
今年は、ことのほか春が早くやってきました。例年なら、今頃、子供たちを楽しませてくれる木々の花はもうすっかり散っています。
園庭にある小川のメダカも気持よさそうにスイスイと泳いでいます。
今朝(4/28)、我が家の裏山でウグイスが、けたたましくと、言っていいぐらい元気な声で、「ホー、ホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と、手の届きそうなところで、何回も鳴きます。小さな体なのに感心するぐらいすごい声量があります。ヤマガラの夫婦が巣箱の中に出たり入ったりしています。ウグイスやヤマガラも春の季節なのです。
同じ日、年長組の子供たちは春を求めてレンゲ畑に行っています。のどかな春の空気をいっぱい吸って、楽しいレンゲ摘みです。
5月からは一日保育になります。今度は時間がゆったりと取れますので、先生たちは、園外保育や遠足にと、春の自然を求めて、楽しい園生活を過ごさせてやりたいと計画を立てています。
話は変わって、先日、園長が「理事長先生、卒園児のK・Y君を覚えていますか?」と訊くので、「もう、中学生か高校生になっている十日市中学校の近くの子?」と言うと、園長は「まだ小学5年生です」と言います。同じ苗字です。名前は覚えているけれど思い出そうとしても顔が浮かんできません。
「その子が入園したときずっと泣いていてお部屋に入れず、理事長先生が関わってくださって、取材に来ていた学研の保育専門誌『ラポム』にそのときの様子が載った子ですよ」と、教えてくれた途端、その子の顔もお母さんの顔も甦りました。園長がその子のお母さんとショッピングセンターでばったり会って、「今、本人がすごく悩んでいることがあるせいか、時々、幼稚園の時のことを思い出しては、幼稚園に行ってみたいと言っています」と、話されていたと言うのです。「是非ともおいでと伝えるように」と話しておきました。嬉しいことがあったり悩んだり、人生の岐路に立ったとき等々、何かあると幼稚園のことを思い出して、卒園児が大人になっても訪ねてきてくれることの喜びは、私や先生たちにとっても感慨深いものがあります。
今、これを書いている時、6年生になる女の子3人が幼稚園に遊びに来てくれました。いきなり、「誰か分かる?」と訊くので、顔をじっくり見ると、幼稚園のときの面影が残っています。二人の名前はすぐに思い出しました。日高りまちゃんと吉川知佐ちゃんです。もう一人の子は、顔はしっかりと覚えているのですが、名前が出てきません。なかなか思い出せないでいると、「川原佐央里です」と教えてくれます。「そうだ、佐央里ちゃんだ」と言うと、園庭の方を見て、「おっ!! 変ってる。幼稚園で遊んでいい?」と訊くので、「いいよ」と言うと、園庭の中に勢いよく走って入って行きました。
今年の春休みにも卒園児がやってきてくれました。その1週間前に、次のメールが飛び込んできました。
『いきなりメールで失礼します。私は安田女子大学に所属する伊藤朱里といいます。かつて中央幼稚園に通わせていただきました。
早速なのですが、今、四年生で就職も決まり、その研修として子どもさんの写真を色々と撮らせて頂いています。ちなみに写真館に勤める事になっています。是非中央幼稚園に通う子どもさんの写真を撮らせていただきたくメールいたしました。私が中央幼稚園に通わせていただいた当時、ホントに楽しくて、良い経験をたくさんさせていただきました。
その経験上から、今、中央幼稚園に通うお子さんも絶対に素晴らしいお子さん達がいらっしゃると思うので、是非そのお子さん達の一瞬を撮らせていただけないでしょうか。
お電話を差し上げようとおもったのですが、ちょうど土曜日ということでメールを送らせていただきました。また月曜午前にお電話を差し上げようと考えています。いきなりで失礼しました。 伊藤 朱里 』
春休みに入って早速、カメラを背負って幼稚園を訪ねてきてくれました。すっかり大人になっています。写真をやりたくなって、大阪の写真館に就職を決め、今、その写真館の新入社員研修の最中で、「子供の顔」をテーマに写真を撮るようにと、カメラ1台を与えられて、幼稚園にやってきてくれたのです。プレイルームの子供たちの写真を撮ったあと、いろいろと思い出話を語ることが出来ました。
上の写真は伊藤朱里さんが送ってきてくれた写真の中の一枚です。
今年もまた、子供たちとの深い関わりを持ちたいと思っています
2004年5月1日 5:00 PM |
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この冬は例年になく12月、1月とたくさんの雪が降りましたが、一番寒いはずの2月は、初旬に少し降っただけで、暖かい日が続きました。その2月初旬の暖かい日に我が家の裏山にキツネが時々やってきてはひなたぼっこをしながら昼寝をしているのです。キツネは夜に餌を探して歩くので朝はほとんど穴の中で寝ているのだと思いますが、日当たりのよい日にはこのようにひなたぼっこをしに草むらにやってきているのです。
以前、秋ごろに同じ場所に時々現れていたオスのキツネの毛は、とてもきれいでつやつやして金色に輝き、しっぽを立てると、その上側は腰の付け根から先っぽまで白い筋が入っていて、とても格好がいいのです。ところが春から夏にかけてはその美しさが薄らいでこげ茶色になってきます。キツネは冬に恋をするのです。そのためこの時期になると、オスはとてもつやつやした毛色に変わるのです。
昼寝をしているキツネを双眼鏡で覗いてみてもつややかな美しい毛色は見ることは出来ません。おそらく、妊娠中のメスだと思われます。しかも、すぐ近くのカシの木の下がホコラになっていて、春にはキツネの子供が5,6匹じゃれあっているのも見ることが出来ます。耳が少し長く立っているだけでほとんど犬の子と変わらなくとてもかわいいのです。日本のキツネは赤ギツネと呼ばれ毛色がそろってこげ茶色をしているので、その色合いをキツネ色と言われるのです。
これで思い出したのが、ずっと以前の昭和42、3年ころの冬、夜遅く松江から三次に帰っているときのことです。当時、国道54号線は舗装もされていなくて、車に出会うと離合場所で待機しなければならないほどの細い山道でしたが、上根峠のトンネルを越えて上布野に入ったときに、山すその少し高いところにある田んぼの石垣のあぜに、キツネがしっぽを立ててライトに照らされてこちらを振り向いているのです。なんと、白ギツネではないですか。「ドキッ!」として車をとめてよく見ようとしましたが、そのまま走って山の中に入ってしまいました。しっぽを立ててこちらを振り向いたときの美しい凛々とした白ギツネの勇姿は今でもはっきりと私の脳裏に焼き付いています
。
そのキツネも夜中になると、人里に出ては鶏をさらって逃げたり、畑の瓜やとうもろこしや栗を採って食べたりしますが、農家の人も朝起きて気がつくのですから手の施しようがありません。
『キツネは人をだます』と昔から言われていますが、農作物をキツネに取られないように対策をとってもたびたび被害に遭い、キツネ知恵に負けてしまうから、このように言われだしたのでしょう。
私も子供のころ、身近な人がキツネにだまされたと言うことを聞いたことを覚えています。それは、私も知っている近所のおじいさんが、夜、会合からの帰り道キツネにだまされて、道の横に流れている溝(農水路)を道と思わされて、その溝をずっと歩いて帰ってきたと評判になったのです。村の大人の人も私の母もそう信じて真剣に話して聞かせてくれるのです。今考えると、そのおじいさんが痴呆になってわけのわからないことをしたのか、子供が一人で夜道を歩いてはいけない教えだったのか定かではありません。
そのキツネもお稲荷様として祭られています。“正一稲荷台明神”と言うのですが、もともと倉稲御魂(ウカノミタマ)という農業の神様をお祭りしたものです。キツネの知恵を崇(あが)めたのかもしれません。
キツネの観察を楽しんでいるころ、2月20日のことですが、朝、新聞を取りに玄関に出てみると、なんと、「ホー、ホケキョケキョ」と、ウグイスの鳴き声がするではありませんか。耳を疑っていると、もう一度、「ホー、ホケキョケキョ」と鳴きます。「ウソ! こんな冬に鳴くはずはない」と思いながら部屋に入って、女房に、「いま、ウグイスらしいのが鳴いていた」と告げると、「さっき、ニュースでもやっていた。1ヶ月早いんだって」と言います。「やっぱり!」。あまりにも早い時期なので、もしかして、似たような鳴き方をする小鳥でもいるのではと思うほど早い時期なのです。ウグイスらしいと言ったのは、この時期に鳴くなんて本当に信じられなかったからなのです。女房も、「そんな時期の違いがわかるなんてお父さんもすごいね」と感心しています。22日にも鳴いていました。
すぐに東京にいる娘(次女)にメールを入れました。その返事です。
『へーぇ。うぐいすかぁ。やっぱりちょっとでも山があったりすると自然ってがらっと変わるんだね。もう、ちゃんと「ホー、ホケキョ」って鳴けてた? たまに、まだちゃんと鳴けなくて「ケキョケキョケキョケキョ」(←全然ダメ)とか「ホー、ホケケキョ」(←オシい!)とか鳴いてる子いるよね。私はこの「ホー、ホケケキョ」って子が好きだったなー。本人はすっごい堂々と鳴いてるんだけど、「おいおい、ちょっと違うぞー」ってツッコミ入れたくなる感じが・・。どこで聞いたのか忘れちゃったけど。』
娘もお父さんに似たのか、自然を感じる感性が育ってくれています。
今年はどうも春のやってくるのが早い感じがしていますが、お子様と一緒に野原や川原を散歩してみてください。野草やネコヤナギにフキノトウ、ツクシ等々の春の息吹を発見できます。その驚きや感動を共に感じることで、子供の感性を豊かにはぐくんでくれます。
日和のよい日に、さあ、「春を見つけに!」散歩です。
2004年3月4日 11:29 AM |
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先月は巣箱のことを書きました。
その後、子供の城保育園の子供たちも先生と一緒に4箱ほど作って園庭の木に取り付けています。幼稚園の年長組の子供たちも14箱作る予定でいます。
始業式の日、子供たちに、たっちゃんが持ってきてくれた巣箱を園庭のイチョウの木に取り付けたことを話しました。マイクを持って、「その巣箱に小鳥が巣を作って、卵を産んで、赤ちゃん〔雛〕が生まれるかもしれないよ」と話し終った途端、小鳥のさえずりがマイクを通して聞こえてきます。「え~、もう小鳥が飛んできたよ」と、すかさず直子園長が子供たちに言うと、子供たちは一斉に立ち上がり、窓の外を見て小鳥の姿を探しています。
先生たちは、誰かが私の話に合わせて、鳥のさえずりのテープを流したかと思ったみたいですが、本当にタイミングよく小鳥がさえずり始めたのです。誰も演出したのではありません。偶然にさえずり始めたのです。何が起きたかというと、実は、私の携帯電話の呼び出し音が「小鳥のさえずり」なのです。マナーにするのを忘れて、胸のポケットにその電話を入れていたのですが、偶然にも、話し終った突端、呼び出し音が鳴ったのです。子供たちはそんなことなど知る由もありませんから、強烈な印象として残ったようです。始業式が終わって園庭で巣箱や小鳥を必死で探していました。
まだ、小鳥が住み着いた気配はありませんが、子供たちは、幼稚園に飛んでくる小鳥を見つけては、「巣箱があるよ!!」と小鳥に向かって言っています。たっちゃんが持ってきてくれた巣箱がきっかけで、野鳥に対する興味をしっかりと持ってきたようです。
実は、子供ばかりではありません。私も自宅の裏山に巣箱をかけてから、毎日のように、双眼鏡を片手に、窓から小鳥が来ているのを楽しみに見ているのですが、冬の今は、コガラやヤマガラ(シジュウガラ科)やジョウビタキ(ヒタキ科ツグミ亜科)、モズ(モズ科)がよくやってきます。ジョウビタキのオスは、単独で行動し、縄張りを持っていますので、ガラス窓に映った自分の姿に向かって、時々飛びかかっています。他のオスと間違えて追い払おうとしているのです。ガラス窓に強く当たるので、ガラスに白い汁がたくさん付き、血さえ付いていることもあります。
そのように、朝は日課のように野鳥が来るのを楽しみに見ていますが、草むらにホオジロ(ホオジロ科)が十数羽来ていると思って肉眼で眺めていたのですが、双眼鏡を覗いてみると、なんと、今までに見たことのない小鳥なのです。あわててカメラを取り出し、写真に撮りましたが、私のカメラの望遠レンズでは虫のように小さくしか写りません。
どんな姿かと言うと、背中はスズメやホオジロと同じような茶褐色なのですが、頭には大きな冠が付いていてオスは黒と黄色の顔(眉班)をしているのです。メスも同じようなのですが、オスほど色の区分がはっきりとしてはいません。もしや、大発見かと思い、本屋さんに飛んで行き、野鳥の本を買ってきました。早速、調べてみると、ミヤマホオジロ(ホオジロ科)と言う鳥で、冬鳥として渡来してくるとあります。しかも、探鳥入門者には憧れの鳥とあります。
ミヤマホオジロ(オス)
ミヤマホオジロ(メス)
子供のころに見たことのある鳥はほとんど名前を覚えていますが、双眼鏡で小鳥を覗くことはしたことがなく、この、今まで見たことのない鳥の発見は、なんだか、興奮とともに探鳥の世界に入っていく予感がしています。同時に、この歳になっても、小鳥の発見で感動できる自分に喜びを持ちながら、明日もまた双眼鏡を覗こうと朝早く起きる楽しみが増えました。
子供はいろいろなことへの興味を抱きながら育ちますが、その興味の拡大はその子の育ちの中での環境が大きく作用します。昆虫に興味を持つ子は、昆虫と出会う環境が有っただろうし、お父さんも昆虫に興味を持っていて、その影響で自分も興味を持つようになったということもあるでしょう。小鳥に対してもそうですし、魚や花や野草等の植物に対する興味、あるいは夜空の星に興味を持つこともあるでしょう。その環境の中での様々な出会いは、驚きとともに、好奇心を抱かせ興味へとつながっていきます。
たかが虫や小鳥とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、この、好奇心や感動をたくさんたくさん経験するほど、勉強に対する興味や関心につながるのです。感動や好奇心を抱くことのできる、そういう環境との出会いをしっかり持たせてやってください。
2004年2月1日 5:20 PM |
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12月半ば過ぎ、事務室の窓側から元気のいい男の子の声が聞こえます。「この巣箱を理事長先生に渡してください」と、事務の一樹先生に手渡しました。そのうえ、「わかりましたか」と、念を押しています。それも、その言い方が担任にそっくりなのです。
その巣箱というのは、4月1日にスタートする新生三次市の合併を記念して、観光協会から有料で配布されているものなのですが、自分たちでビスを使って組立てるようになっていて、その子のお父さんと一緒に組立てた巣箱を、幼稚園の園庭に取り付けてほしいということも伝えています。
その巣箱には製作者名も記入するようになっていて、ちゃんと名前が書いてあるので、実の愛称を書きますが、年長組の「たっちゃん」が持ってきたのです。すぐにでも取り付けてやりたかったのですが、すごく忙しくしていた時なので、その時間も取れないでいました。そのうち冬休みに入りましたが、幸いにもたっちゃんは預かり保育(延長保育)のプレイルームを利用しているので、本人はまだ幼稚園に来ています。ずっと気にして過ごしていたのですが、プレイルームも休みに入る1日前の26日にやっと時間がとれたので、たっちゃんを誘って、園庭のイチョウの木にハシゴをかけて、「小鳥が巣をしてくれるといいね」と言いながら、巣箱の入り口を東側に向けて、たっちゃんと一緒に取り付けました。入り口を東に向けて取り付けないと、なかなか住み着いてくれないという記憶があったからなのですが、早起きの小鳥は、太陽の昇る東向きがいいのだと納得しています。
実は私も、その合併記念の巣箱を20箱も購入しています。忙しくて、まだ2箱しか組立ててはいないのですが、お正月に家の裏山に取り付けました。落ち着いたら、残りの巣箱を組立てて、園庭の木々に取り付けようと思っています。
昔のことですが、私が小学生の頃、自分で巣箱を作って、山に行き、木に取り付けていたことがあります。それは、自然を守るとか、小鳥を労わるとか高尚なものではありません。自分で飼いたかったからなのです。
山に巣箱をかけて、時々、様子を見に行きます。木陰に隠れてじっとしていると、「ヤマガラ」が出入りしています。「やった!巣をしている!」と大喜びです。そのヤマガラが巣箱から飛び立つのを確認して、木に登って巣箱のふたを開けてみると、ヤマガラのヒナが6羽生まれています。ヒナは恐れるように顔をそろえて縮こまっています。まだ産毛だけです。まだ、あまりにも小さすぎるので、ふたを閉めてそのままにしておきます。何日かして行ってみると、すっかり羽も生えそろい、近いうちに巣立ちそうな様子です。そのヒナを取り出し、かごに入れて家に持って帰るのです。
家には縦長のヤマガラ用の鳥かごがあります。そのヒナを鳥かごに入れて誰もいない部屋に置き、鳥かごに布をかぶせて暗くして静かに置いておきます。しばらくすると、小鳥が落ち着いてきます。その間に、キナ粉とホウレン草ですり餌を作って、それを箸の先に付けて口の中に入れてやります。最初は無理矢理に押し込みますが、慣れてくると、箸の先のえさを見ただけでも「チイー、チイ」と一斉に口を開けます。成長すると、オノミ(種)を与えます。それをくわえて、止まり木に止まり、足に挟んで口先でコツコツとたたいて中の実を取り出して食べます。ヤマガラの鳥かごには出窓がついています。その出窓に小さな餌入れを糸でぶら下げておくと、ヤマガラはくちばしと足を使ってその糸を手繰(たぐり)り上げ、餌をついばみます。
昔は街頭で、鳥かごの外側に赤い小さな鳥居とお宮を作って、ヤマガラにおみくじを引かす商売をしている人がいましたが、今は見る由もありません。たっちゃんの持ってきてくれた巣箱のおかげで、このようなことを思い出したのです。今は、野鳥を捕ったり飼育したりすることは禁止されていますので、許可なしには飼育できません。ヤマガラがせっかく巣箱の中でヒナを育てているのを持ち帰るのですから、かわいそうなことをしたものです。ましてや、飼っているうちにいつかは死にます。しかしながら、私にとってはとても楽しい経験だったのです。その楽しい経験の思い出と、大人になってから、かわいそうなことをしたと思う気持ちとが相まって、小鳥や小動物に対する思いやりや労わりの気持ちもはぐくまれてきたように思います。
こんなこともありました。「十姉妹」を十数羽飼っているときのことですが、大きなきれいな貝殻を二枚見つけました。これを見て水入れと餌入れにちょうど良いと思いつき、水とアワやヒエを入れて鳥かごのなかに置いておきました。次の日、鳥かごのところに行ってみると、なんと、全部、死んでいるではないですか!原因は、その貝殻についていた塩分が悪かったのです。ショックでした。
子供たちは虫や昆虫を取って遊ぶことが大好きです。小鳥や犬を飼うことも大好きです。当然のことながら、自分の捕まえたものやかわいがっているものが、いずれは死んでしまいます。喜びや悲しみにも直面します。そのような心の葛藤が、子供の心をはぐくみ、命の尊さを知り、労わりの気持ちやその子の人格としての穏やかさも備わってくるのです。
日本昆虫学会の会長も言っていました。昆虫は子供が捕って死なす以上に繁殖力を持っているから、しっかり捕まえて遊びなさいと。
自然を破壊しているのは、農薬や排水や排煙、開発なのです・・・
2004年1月1日 5:06 PM |
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