誕生日(平成15年度)7月

昭和34年3月に卒業した私の中学時代のクラス会が、6月14日に鞆の浦の旅館でありました。世羅郡甲山町の山奥の中学校で、とっくの昔に統廃合で廃校となり、今ではその学舎は競走馬の畜舎となっています。そのときの同級生は73人で、卒業以来、オリンピックに合わせてクラス会をずっとしてきていました。4年に一回です。そして、50歳頃になるとアジア大会も加わってきて、2年に一回ずつ開催されるようになってきていました。3年前のオリンピックのときは淡路島でありましたが、私は幼稚園の父親参観日と重なって出席することが出来ませんでした。

ところが、昨年のアジア大会にはクラス会の案内がありません。今年の4月になって6月14日(土)に福山市の鞆の浦で開催する案内が来ました。クラス会に先立って神社に還暦のお参りをすることも書いてありました。そのために昨年のアジア大会に合わせて開催することをパスしたことも分かりました。行事予定表を見ると父親参観日の前の日でしたので出席することにしました。今回は33名の出席です。中学を卒業して以来何回もしているクラス会ですが、卒業して以来、初めて参加した者が二人いました。一人は男性で大阪に在住しています。神社で再会したときお互いがすぐに名前を呼び合いました。でも、中学時代、その子と遊んだ記憶が甦りません。すごく背が高いので、「大きくなったね」と言うと、中学校のときから背が高く、高い方から2番目だったと言います。名前も顔も覚えているのに、遊んでいるときの記憶が全然無いのです。そのことを話すと、自分は遊びもクラブも何もしない子だったと言います。それで私の記憶にも残っていないことは分かりました。


もう一人、初めてクラス会に参加した女性がいます。この子は、ずっと所在が分からないままでした。小学校4年のときに関西からやってきた子で、父親が建設会社に勤めていて、三川ダムの建設工事のため、家族で引っ越してきたのです。ところが、中学2年の夏休みが終わって二学期が始まってみると、その子はいませんでした。それ以来、ずっと所在が分からないままでした。


ところが、一昨年の秋のある日の夕方のことです。私のお袋から電話があり、「優子ちゃんが来たよ。旦那さんも一緒だった」と言うのです。そこにいるのかと訊くと、もう帰ったと言います。「住所や電話番号は?」と訊くと、「岐阜県に住んでいるとは言っていたけど、住所など何も聞いていない。でも、矢野温泉に泊まると言っていた」と言うので、数件ある旅館に電話してやっと見つける事が出来たのです。そして、女房と一緒にその温泉旅館に急いで尋ねて行きました。旅館につくと、彼女もロビーで待ち構えています。でも、最初は旅館の女将さんかと思ったのです。私の記憶の中には中学校のときのままの利発でかわいらしい顔しかありません。自分のことは棚に上げて、あまりにも歳をとっているので、一瞬、たじろいたのです。そして、部屋に入り、ご主人を紹介してもらって、いろいろと話に花が咲きました。聞いてみると、2年生の夏休みにお父さんの転勤が急に決まって、みんなには「さよなら」も言えないまま転校したことや、結婚して以来、秋になると友達のこととマツタケの美味しかったことを思い出して、そのことを主人に度々話していたら、主人が、いつかマツタケを食べに行こうと言ってくれていて、今日、やっと夢が実現したと言います。ところが、一緒に遊んでいた仲良しだった女の子の家を数件尋ねても、皆お嫁に行ってしまって、しかも代替わりしていて知った人がいなかった。あきらめて帰っていたら、あなたの家の前を通りかかって、あなたのお母さんが門の前の畑の草をとっていて、名前を伝えたら、私のこともいろいろと覚えてくれていてうれしかった。そんな話を一気に話してくれました。その子の仲良しだった女の子が吉舎に住んでいるので、すぐ呼び寄せ、旦那さんに送ってもらって、深夜までマツタケを味わう暇もなく語り続けました。彼女の主人も私の女房も、「45年ぶりに会ったのに、こんなに仲良しの友達でいられることがうらやましい」と言います。


その子の住所が分かったので、クラス会の案内状が届き、この度のクラス会に弾んでやってきてくれました。個人個人を見ると、みんなそれなりに歳をとっているのですが、一堂に集まると、不思議なことに、中学校のときのままの顔になります。宴会場に行くと、幹事も準備することを気がつかなかったと言う、赤いチャンチャンコを入り口で全員に渡してくれます。中学を卒業と同時に、大阪の工場に集団就職した女の子二人が自分たちで手縫いして持って来てくれていたのです。私の女房が、「あなたたちは同級生と言うより、いとこ同士が集まったようだ」と言うように、本当に仲良しで、思い遣やりの有るおさななじみです。


クラス会が終わってちょうど一週間後の20日、年中組の子供たちが事務室の窓越しに、「リジチョウせんせい」と呼んでいます。窓を覗くと、一斉に、「おたんじょうびおめでとう」と言ってくれます。「ありがとう。何歳になったか知っている?」と訊くと、「え~と、6‥」と言いかけたので、「そう、6歳になったよ」と言うと、「‥‥?」と、なんてリアクションをしていいのか困っています。


その日の夕方、先生たち全員が応接室にやってきて、花屋さんで作ってもらったと言うチャンチャンコをイメージしてアレンジした花束と色紙に職員全員の寄せ書きを持ってやって来てくれました。そして、一人一人が、自分のコメントを交えながら「おめでとう」と言ってくれます。今までは誰一人誕生日のことを言ってくれたことが無いのに、還暦の誕生日とはいえ、あまりにも優しいことを言ってくれるので、なんだか、もうすぐお迎えが来るのではと思ったほどでした。実は、2年前に撮った私の葬式用の写真がロッカーの上にケースに入れたまま置いてあります。主任にだけには、ここに有るからと伝えておいたものです。あまりにも優しい言葉を言ってくれるので、先生たち全員に披露しておきました。

おとうさん(平成15年度)6月

5月の3連休が終わった最初の登園日のことでした。幼稚園の中門のところで泣いている男の子の声が聞こえてきます。先生が一所懸命あやしている声も聞こえます。しばらくして、事務室の一樹先生も園庭に出て一緒になってあやしていますが、一向に泣き止みません。その泣き声を聞きながら、事務室の二階に有る理事長室で仕事をしていたのですが、ずっと泣き続けています。4月には、そんなに長く泣く子はいなかったのですが、今日は泣き続けています。どうしたのだろうと、とうとう、私も園庭に降りて行きました。見ると、先生に抱かれたまま泣いています。うめ組(年少)の男の子、Aくんです。

4月に入園したときから一度も泣いていない活発な子です。「どうして泣いているの?」と言って、手を差し伸べると、私に抱かれます。抱いたまま、園庭の奥の方に入っていきました。「あっちがいい、あっちがいい」と、泣きながら中門を指差します。「そう、あっちがいいの」と言いながら、もう一度、中門の方まで行くと、今度は、「お父さんがいい、お父さんがいい」と言って泣きます。「そう、お父さんがいいの」と言うと、「うん」と言って、また泣き始めます。「そうか、お父さんもお仕事がお休みだったから、お父さんといっぱい、いっぱい遊んだんだ」と言うと、首を縦に振ります。そしてまた、「お父さんがいい、お父さんがいい」と言うので、「昨日はこどもの日だったから、お父さんもお仕事が休みだったけど、今日はお父さんお仕事でお家にはいないよ」と言うと、「お家にいる、お家にいる。お父さんがいい、お父さんがいい」と泣きます。「ボクはバスで来ているの?」と訊くと、「バスで来ている」と言います。ちょうど、もも組(年中組)が遠足に出かけていたので、バスがありません。「ほら、バスが無いでしょ。バスが無いから帰れないよ」と言うと、「△△タクシーを呼べばいい」と言います。「でも、ボクお金が無いでしょ」と言うと、「タクシーが着いたらお父さんが払う」と言って、また、泣き始めます。「そう、Aくんはお父さん大好きなんだ。お父さん、いっぱい遊んでくれるもんね」と言いながら、今度はプール側の花壇の方に行って、「この花、何か知っている?」と訊くと、「チューリップ」と応えます。「あっ、これ何の花か知っている?」と訊くと、「知らん」と言います。「これ、サクランボだよ!! 花が終わったら、赤いサクランボがいっぱいなるんだよ」と言うと、「サクランボ大好き」と言います。その葉っぱにテントウ虫がいたので、「ほら見て見て、テントウ虫がいるよ」と言うと、「ほんとだ、テントウ虫だ」と、喜んでいます。


その頃になると、もう泣いていません。今度は自分の方から、「砂場で遊ぶ」と言うので、道具庫を開けてやると、自分の気に入った道具を出して遊び始めました。しばらく、一人で遊んでいましたが、「やっぱしテントウ虫のところがいい」と言うので、また抱っこして連れて行きました。そして、そのまま動物園の方に行って、「そうだ、ウサギをお外に出しているんだよ」と、園舎の裏の草を食べさせていたところへ連れて行くと、それを見つけたAくんは、私の腕から滑り降りて、捕まえ始めました。何回か追っかけて、やっと掴みました。「Aくんすごい!! ウサギが抱けるんだ」と言うと、「うん」と言って、うれしそうに園庭に連れ出します。「ウサギを抱っこしているところを先生に見せてあげてごらん」と言うと、ウサギを抱いたまま保育室を覗き込んでいます。担任が出てきて、「Aくん、すごい!!」と言って勇気付けています。その様子を見ていた、まだ部屋に入りたくなく、いつも外で遊んでいる男の子二人と女の子一人が駆け寄ってきて、「ウサギを抱きたい!!」と言って、そのウサギを求めます。もちろん渡すはずがありません。「あっちにまだいるよ」と言って、ウサギを抱いたまま案内しています。他の子は逃げ回るウサギを捕まえることが出来ません。Aくんはウサギを抱いたまま、もう一羽捕まえようとします。一羽を抱えたまま前のめりの姿で捕まえようとすると、体勢がバランスを失って度々転びます。ひじとひざに擦り傷が出来ています。転ぶたびに痛い顔をしますが、泣くこともなくウサギを追いかけ、ついに捕まえて友達に渡しています。もう泣くのも止めて、元気いっぱいです。それにしても、「お父さんがいい、お父さんがいい」と泣くことをどのように理解していいのか戸惑います。お父さんがお子さんとしっかり関っているほほえましい様子は伝わってくるのですが、お母さんがどのような関りをされているのか見えてきません。でも、そのお子さんも心豊かに育っているので、お母さんとの関係もしっかり出来ているのだと思います。連休が終わる頃、入園した頃の緊張感もほぐれて、落ち着いた生活になりますが、集団生活ではわがままが通じなくなり、4月に頑張りすぎた疲れが出てくる頃でもあります。お父さんと連休の間の深い関りの中で心が癒され、お父さんの愛情をしっかりと受け止めることができたのでしょう。次の日、元気で遊んでいます。「Aくん、今日は泣かないの?」と訊くと、「朝、泣いた」と、すました顔をして言います。次の日も、「今日は泣かなかったでしょ?」と訊くと、「泣いた」と、にやけながら言っています。


5月25日の日曜日に、卒園児の20歳と18歳の姉弟が、家族で山口市から幼稚園を訪ねにやって来てくれました。幼稚園を卒園して以来初めて会うと言う三次にいる友達も一緒です。朝、幼稚園の動物の飼育に園庭に行くと、当時、弟の方の担任だった直子園長が、ちょうど、園内を案内しようとしているところでした。お姉ちゃんの方が、私を見るなり、「うれしい!! 園長先生(当時)に会えるとは思ってもいなかった」と喜んでくれています。もう、引退したと聞いていたので幼稚園にはいないと思っていたようです。「ようちえんのおもいで」のアルバムを片手に、いろいろな思い出話にふけました。お姉さんの方は、美穂先生の担任だったので、切迫早産の心配で入院している産婦人科にみんなで行って、泥遊びのネトネトした感覚やフィンガーペイントの匂いを今でも覚えていると、いっぱい、いっぱい話して帰りました。

こいのぼり(平成15年度)5月

入園式が終わった頃、園庭の木々が芽吹き始め、最初に花を付けたのが、陽光という種類のサクラの花でした。昨年植えたばかりの木ですが、少し赤みかかった花でとてもきれいに咲いてくれました。その次に咲いたのがコブシの花です。純白の薄い花弁で、私の一番好きな花です。子供たちの純粋な心と重なるからです。その次に咲いたのが利休梅という木で、小さな花ですがこれも純白で、とてもかわいい花です。ハナモモもピンクと白の混ざった花が咲いています。今、満開なのがピンクの八重桜と姫リンゴの白い花です。この姫リンゴの木には、秋になると、小さな真っ赤なリンゴがなります。そして、咲き初めなのがピンクの花ミズキです。もう少し先になると、ナンジャモンジャの木やヤマボウシの木が白い花を付けてくれます。そんな花木に囲まれて、子供たちの賑やかな声が園庭に響き渡ります。


4月10日の入園式が済み、新入園児も元気に登園し始めてくれました。それでも、今年も泣く子が数人いました。そういう時は、園長や主任、プレイルームの先生たちが抱っこしたりおんぶしたりして、あやしながら、幼稚園に慣れ親しむようクラスの補助に入ります。


その中に数日泣いていた、うめ組(年少)のクラスの女の子を、門の前で子供たちを受け入れのため待ち構えている、主任の葉子先生が両手を広げ、お母さんから受け取り、毎日、かわいい、かわいいと思いながら抱っこしていました。何日か経って泣かなくなった頃、登園してきたその子の手を引いて、「この先生の名前覚えてくれている?」と訊くと、「オバチャン」と応えます。葉子先生があわてて、「ちがう、ちがう、葉子先生というんだよ」と言うと、キョトンとして葉子先生を見上げています。その子にとっては自分の担任が先生で、門の前で抱っこしてくれる人はオバチャンだったのです。


2週間も過ぎると、新入園児もすっかり落ち着いてきました。そんな中、お迎えで来られたおばあちゃんが心配されて、お家に帰ったらお母さんと孫とで話し合わなければと言われます。
何があったのかと思いながら話を聞くと、おばあちゃんがお迎えに来られて一緒に部屋を出られた後、お孫さん(年少の女の子)が園庭で遊ぶのを見守られていました。そして、アスレチック広場のトリデのネットを登って上まであがりました。ところが、いざ降りようとすると、怖くて降りられなくて泣き出したのです。おばあちゃんは、孫が落ちたらいけないと、孫が降りるのを助けながら、やっとのことで降ろされたそうなのです。お家に帰ったら話し合わなければと言われた意味が分かりました。高い所に上がらないようお孫さんにお母さんから話してもらうと言うことでした。


おばあちゃんの心配はもうひとつありました。幼稚園には高く登る所がたくさんあり、今のようなとき幼稚園ではどうされるのですかと訊かれるので、もちろん、先生が一緒に遊んでいるので、おばあちゃんがされたように、助けながら降ろしてやりますと話しましたが、「落ちたりしないのですか」と心配そうです。


子供たちは少々怖いところは真剣に挑戦していますから、ほとんど落ちたりはしません。かえって、なんでもない安全と思われるところの方が、ぶつかったり転んだりして怪我をすることの方が多いのです。子供は自分の能力よりちょっとだけ難しいことに挑戦して、いろいろな能力を付けながら成長します。そして、本当の危険から身を守る能力を身に付けるのです。アスレチック広場の遊具も難しいことに挑戦できるように仕組んであるのです。そのことも説明しました。


おばあちゃんと話をしている間、その女の子はウンテイに登っては飛び降りています。「ほら、一番上まで行かないで、自分の飛び降りられるところまでしか登っていないでしょ。子供は自分の能力をちゃんと知っているのですよ。小川を飛び越えるのも、自分の能力で飛び越えるところを選んで飛び越えます。もし、危ないからと心配しすぎて、何もさせなかったら、本当の危険なときに命取りになります」と言うようなことを話しました。


おばあちゃんは、「いろいろ話してくださってありがとう」と言われて、お孫さんの手を引いて帰られましが、目に入れても痛くないかわいいお孫さんです。どこまで理解して戴いたかは不安ですが、きっと、お孫さんがだんだんといろいろなことが出来るようになるに連れて、胸をなでおろしてもらえるものと思っています。


4月は午前中で保育が終わりますが、5月からは午後も保育がありますから、遊ぶ時間もしっかりとることができます。この頃から、子供たちの活動が活発になり、友達とのかかわりも多くなり、幼稚園生活の楽しさも深まってきます。


幼稚園舎の屋上にはこいのぼりが風を受けて元気に泳いでいます。日本では、端午(たんご)の節句に男の子の成長を祝って、かぶとや武者人形を飾ったり、こいのぼりを前庭に立てたりする風習となっています。
「鯉の滝登り」という言葉があります。中国の黄河上流の竜門という滝を登りきった鯉は竜になって天に登ったという伝説から、人が立身出世の道を激しい勢いで進むことのたとえとして使われています。(→登竜門) このようなことから、端午の節句にはこいのぼりをあげる風習が出来たのでしょう。戦後は5月5日のこどもの日と変わりました。


一方、3月3日の上巳(じょうし)の節句は、ひな祭りで、女の子のいる家ではひな壇にひな人形を飾り、ひし餅や白酒、桃の花などを備える祭りです。これも、女の子の成長を祝い幸せを願う風習です。
私たちは、このようにわが子の成長を喜び、幸せを願われている大切なお子様をお預かりしています。一人ひとりをしっかりと受け止め、望ましい発達が見られるよう、その子その子の特性をしっかりと伸ばしてやりたいと思います

還暦(平成14年度)平成15年3月

今年私は、とうとう還暦を迎えてしまいました。とうとうと言う意味は、自分の親が還暦を迎えたときや若いときの知った人達が還暦を迎えられたときの印象が、それなりに、おじいさんやおばあさんに見えていたからです。自分がその年になっても、まだまだ若いし、気分も年をとった感じが一向に湧いてこないのに、60歳は確実にやってきました。平均寿命が延びているので、ほとんどの人は自分が還暦を迎えるのがうそのような感じを抱くのでしょう。


しかし、若い人から見たらやっぱりおじいさんやおばあさんに見えるに違いありません。幼稚園を開園したときは27歳でしたから、33年経過したことになります。長いようで短い33年間でした。最初の卒園児が38歳ですから還暦を迎えるのも無理はないと思います。


還暦を迎えても、何か決心するような、特別の感情は抱きませんでしたが、それよりも、40歳を迎えるときの方がすごく焦った記憶があります。40歳になる1ヶ月前頃に、「あ~、もうすぐ40歳になるんだ」と何気なく思ったのです。24歳で東京から三次に帰ってきて、16年が経っていました。振り返ると、あっという間の16年間でした。


そこまではよかったのですが、この、「あっという間の16年間」を、40歳に足してみたら、56歳です。当時は、55歳定年が主流でしたから、あっという間に、その歳になるんだと思ったとたん、焦る感情が湧いてきたのです。その訳は何かというと、自分の人生が見えてくるからなのです。自分の人生はこのままで終わるんだという気持ちが湧いてきたのです。


若いときは、いろいろな夢を持ちます。あの夢もこの夢もと思っていても、あっという間に定年の歳になることに気付いたとき、何かをしなければという焦りの感情が出てきたのです。もちろん、「幼稚園」というすばらしい仕事に恵まれて、子供たちと共に過ごす生活はこの上ない幸福感で満ち溢れています。それでも、何かしなければという焦る感情と、その焦りに押しつぶされようとしたとき、気がつけば、1ヶ月間、飲み歩いていました。そして飲み飽きて、40歳の誕生日を迎えたとき、「よし、やろう」と、子どもの館保育園を作る決心をしたのです。また、昨年は還暦を前にした59歳で、子供の城保育園を開園しました。いろいろなことを考えても、子どもたちの世界の中からは抜け出すことはできません。私にとっては、「天性の仕事」と喜びを持っているからです。


ところが同じように、60という歳に、この、あっという間の33年を足すと、あっという間に93歳です。この頃まで生きているかどうか分からない歳になります。そうかといって、今は歳をとることの不安や焦りはありません。今では、その歳、その歳の年齢に応じた生き方と喜びを持って生きようと思っているからです。


ご存知のように、昨年3月で、幼稚園の園長を引退しました。今は、幼稚園、保育園の先生たちが、特に、新しい園長や主任がしっかりと力をつけてくれて、たとえ、私がいなくなっても、自分の作った幼稚園や保育園が、永久に栄えて欲しいと思うし、そこに通う子供たちがすばらしい幼稚園や保育園に出会うことができたと思ってくれる園であって欲しいと願っています。
何か、今にでも死にそうな書き方になってしまいましたが、若い時から、私に、万が一のことがあっても、後がちゃんとやって行けるようにと、いろいろな仕事を先生や職員に任せてきましたから、結果として、それぞれの教職員が、しっかりと力を付け伸びてきてくれています。自分の仕事に喜びと生きがいを抱いてくれていると思います。
このようなことが、還暦を迎えての感想でした。


この「つぶやき」を書いている日も、保育室を回ってみました。4月に入園・進級して1年が経とうとしています。年少のうめ組の子供たちも自分のお弁当をかばんの中から出して、机に並べ、箸を持ってこぼさないように食べています。どのお弁当も、お母さんの愛情が伝わってきてうれしく感じました。「美味しい?」と聞くと。子供たちはニッコリとしてうなずいてくれます。4月に入園した頃の光景が余計に思い出されたのでした。年中のもも組に行くと、おひな様の製作をはじめていました。みんなハサミをちゃんと使いこなし、ノリもベタベタに付けすぎないようにして、きっちりと貼り付けています。その中に、3月いっぱいで転園する男の子がいて、しっかりと抱きしめてやろうとしましたが、担任が、「本人にはまだ言ってないそうです」と言うので、抱きしめることをあきらめ、その子のポケットからコインが出たり、その子が私の手を拭くとタバコが出たりする手品をしてやりました。


年長のさくら組に行くと、本当に大きくなったことを感じます。友達同士の会話を聞いていても、しっかりとした人間関係ができていて、本当に仲好しです。「もうすぐ、小学校だね」と言うと、「それを言わないで」と、隣の友達を抱きしめます。「そうなんだ。毎日楽しそうに過ごしているけれど、卒園したら友達と別れわかれになることの悲しみや辛さをしっかりと受け止め、そのことを、口にも出さず、今の一時、一時を、一日一日を大事に過ごしているんだ」と気付いたとき、悪いことを言ってしまったと、済まない気持ちになってしまいました。


担任が気を利かして、「ね~、理事長先生の手品をしっかり見ておこう」と、子供たちに声をかけてくれます。子供たちに、何の手品が見たい?」と聞くと、「見たことのない違うやつをやって!!」と言います。でも、「理事長先生は今までした分しかできないよ」と言うと、「じゃ~、耳から出るのをやって」、「お尻からでるのをやって」と催促してくれます。私のできる手品のほとんどを見せてやりました。
最後に満3歳クラス、さつき組に行きました。担任が、「もうすぐ、うめ組になるんだよね」と言うと、「ブ~」と言います。何を言っても楽しいばかりの「さつき」組の子供たちです。

目玉焼き(平成14年度)平成15年2月

1月27日の雨の日、3歳未満児クラスのさつき組の子供たち5人が、ホットケーキを焼いて、「じじちょう(理事長)先生も食べてください」と、自分たちで焼いたホットケーキを事務室に持ってきてくれていました。ホットケーキの上にはバナナやイチゴがのせてあって、とてもかわいらしく出来ていました。先生と一緒に作った楽しい様子が目に浮かぶようでした。そのホットケーキを食べた後、さつき組に行って、とても美味しかったことを話して、「ありがとう」と言いました。すると、「目玉焼きもしたよ」と言います。すかさず担任が、「そう、すごいんです。焼くことよりも玉子を割るほうがおもしろくて、何個でも割ろうとして、止めるのに大変だったんです」と言います。


「そうなんだよ。つい先日、モネちゃんモカちゃんも、カモの玉子で同じことをしたんだよ。そのときも、焼くよりも割ることのほうをしたくて、結局、3個ずつ割らして、目玉焼きを作ったんだよ」と担任に話すと、「え~、カモの玉子で目玉焼きしたんだって!」と、子供たちに伝えます。「そうだよ、今度はみんなにもカモの玉子を持ってきてあげるから、また、目玉焼きをしようね」と約束をして部屋を出ました。


実は、2歳児のモネ(萌音)ちゃんと4歳児のモカ(萌歌)ちゃんは、先日の参観日に来てもらった講師の上白石孝子先生のお子さんで、1月の「つぶやき」で書いた『孫』に出てくる二人の女の子です。参観日の前日、その子たちと幼稚園の園庭で遊んでいるときに、カモの小屋に玉子があるのを見つけて、「玉子がある!」と喜んでいるので、「そう、この玉子からカモの赤ちゃんが生まれたんだよ」と話してやりました。


家に帰って、早速、冷蔵庫に保管してあるカモの玉子を取り出してやりました。「これもカモの玉子だよ。目玉焼きにして食べると、とても美味しいんだよ。目玉焼きをつくろう!割ってごらん」と言うと、「割る!! 割る!!」と言って、大喜びで割り始めます。しかし、カモの玉子の殻は結構硬いので、なかなかうまくは割れません。割れ目を入れるのを子供の手を持って一緒に割ります。でも、手伝うことに満足しない二人は、「もう1個」と要求します。もう1個ずつ渡して、今度は自分たちだけで割ろうとしますが、「グシャ」となってつぶれます。それも不満で、「もう1個」と言って、それぞれ3個目を割ります。今度はなんとか一人で割ることが出来ました。「さ~、今度は目玉焼きにしよう!」と、台所に連れて行き、フライパンで目玉焼きを一緒にしました。自分たちで作った目玉焼きです。おなかいっぱいになるまで食べたのでした。


さつき組の子供たちは、次の日、大根やネギを採りに、担任の家のおじいちゃんが作っている畑に行きました。私もその様子を見たいので、すでにバスで出かけた子供たちの後を追って行きました。畑に着くと、子供たちは「うんとこしょ!どっこいしょ!」とダイコンやカブを抜いています。カブは丸いのですぐ抜けますが、ダイコンは長いので力いっぱい引いても抜けません。何度も「うんとこしょ!どっこいしょ!」と引いても抜けないので、先生と一緒に葉っぱを持って引き抜きます。「やった~、抜けた!」と大喜びです。きっと、絵本の「おおきなかぶ」の、『それでも なかなか ぬけません』のフレーズを想像し、その重さを実感しながら抜いたことでしょう。子供たちは、抜いたダイコンを手押し車に乗せて、おじいちゃんのところまで運んで、「洗ってください」と、おじいちゃんに手伝ってもらいながら一緒に洗いました。


担任が、「明日はたこ焼きをするからネギを採りに行こう」と声をかけて、今度はネギ採りが始まりました。ネギを子供たちの手に持てるだけ引きちぎっています。それを運ぶ途中に白菜が育っていて、一把ずつワラで縛ってあり、外側の葉っぱは寒さで変色しています。担任が、「これ、何か分かる?」と聞くと、「白菜みたい」と言うので、担任は、「○○ちゃん、すごい!白菜が分かるんだ」、「じゃあ、これは?」とホウレン草を指差すと、「葉っぱ」と言って私たちを喜ばせてくれています。子供たちは、収穫したダイコンとネギに、もらったニンジンとキュウリを一緒のかごに入れ、幼稚園に持ち帰りました。


早速、子供たちは担任と一緒に、ダイコンとキュウリとニンジンを細切りにして、マヨネーズとケチャップをつけて、お弁当のときに一緒に食べ始めました。ほとんどの子が嫌いなはずのニンジンや生のダイコンを、子供たちは、お母さんの作ってくれた弁当のふたを開けるのも忘れて、夢中になって食べています。自分たちが野菜を採ってきて作ったという気持ちがそうさせているのです。
そして、明日、さつき組のクラスが、たこ焼きをするというので、たまたま、親戚からもらったばかりのタコがあったので、私は、たこ焼き用にと小さく切って担任に渡しておきました。


好奇心いっぱいの幼児期の子供たちは、なんでも自分でしたがります。台所で大好きなお母さんのしていることを自分もしたいと言います。忙しくされているお母さんには足手まといになることが度々です。こぼしたり壊したりして大変なことになると、ついつい拒否してしまいがちです。しかし、せっかく子供がしたがっているときの対応を間違えると、大きくなった頃には手伝いさえもしなくなります。忙しいときには、「今日はがまんしてね。明日、一緒に目玉焼きを作ろう」というような対応の仕方をしてやると、とても楽しみに待ってくれます。


このように子供たちは、さまざまなことを、直接、体験することでいろいろなことを感じ取り理解を深め、その楽しさが喜びとなり、満足感はまた次の意欲を持つようになります。お母さんやお父さんと一緒にすることが親の愛情を感じながらですから、なお更です。ここまで書いた時、さつき組の子供たちから、「たこ焼きが出来ましたが雪がいっぱい有って持って行かれません」と、事務室に電話があり、事務の人がもらいに行って、私のところに持ってきてくれました。『美味しい!!』。早速、子供たちの部屋に行って「すごく美味しかったよ」と喜びを伝えました。