すでに、4月の園だよりでお知らせしましたように、私、伊達正浩は3月31日で園長を辞任し、4月1日に今田直子主任教諭が新園長に就任しました。
今田直子新園長が、園長として最初に園児の前に立ったのは4月8日の始業式で、保護者の皆様への最初のデビューは、入園式での「園長式辞」でした。新たに就任した田房葉子主任教諭の司会で始まった入園式でしたが、「園長式辞」と、司会の声がかかると、少しの間(ま)ができました。すると、事情をご存知でない新入園児の保護者の方は、来賓席側にいた私の様子を一斉に見られます。すでに知ってらっしゃる保護者の方は、職員側に座っている直子先生の方に視線が向きます。その様子を確認するかのように、新園長は、おもむろに立ち上がって、舞台に上がり、演台の前に立ちます。そして、式辞を述べるのですが、すでに、園長の風格すら漂わせて、堂々と挨拶をしてくれました。
私自身は、27歳で幼稚園を創立して、10年間は理事長として、その後、昭和56年からの21年間は園長としてやってきましたので、式が始まる前は、何か感慨が有って、心にこみ上げるものが有るかとも思っていましたが、役が人を育てると言われるように、新米園長が堂々と式辞を述べてくれたことで、「直子先生を園長にしてよかった」とうれしく感じながら、安堵していました。世代交代ができたことで、次なる発展と教育の深まりを予感しながら、心をなでおろすことができたのです。今までも、ほとんどのことを任せてやらせていましたので、しっかりとやってくれると思います。
実は、この「えんちょうのつぶやき」も引退しようと、3月のつぶやきのときは、「最後のつぶやき」という題で、年度末の最後と園長としての最後を、気付かれないように、懸けての題名にしていたのです。ところが、今田直子主任教諭が園長を引き受けてくれるときに、『「園長のつぶやき」は続けてください。保護者の皆さんがとても楽しみにされているのですから』と、木に登らされて、今しばらく続けることにしました。
ところが、前園長が書くのなら、「園長のつぶやき」では、都合が悪くなってきました。「理事長のつぶやき」と言うのでは、何かピッタリときません。まだ決まっていないのです。ここでパソコンのテンキーをたたくのを止めて考えました。新しく入った事務の智佳先生が、「まさひろせんせい」と呼んでくれているので、「まさひろせんせいのつぶやき」にしようか、いや、白髪がいっぱい出てきたので、「白髪せんせいのつぶやき」にしようかとも考えていますが、まだ決まりません。先生たちに任せることにして、次に進みます。
話はさかのぼって、前日、卒園式を済ませて、3月20日の年少のうめ組と年中のもも組の子供たちの、終業式の日のことです。その中に、卒園式を済ましたものの、プレイルームで預かり保育を受けている、年長のさくら組の子供たち10数人も、後ろの方に座って終業式の様子を見ています。
進行役の先生が、「うめ組さん」と呼びかけると、「ハーイ」と、元気な返事が返ってきます。「もも組さん」と呼ぶと、同じように「ハーイ」と、返事が返ってきます。そして、「さくら組さん」と呼ぶと、「シーン」としています。子供たち同士で相談もしていないのに、誰も返事をしません。そこで、「1年生さん」と呼ぶと、「ハーイ」と言う元気な返事が返ってきました。わずか一日前に卒園式をしたばかりなのに、「さくら組さん」では、返事をしてくれないのです。
その様子を見ていて、子供たちが、卒園式を切りに、心のけじめをきちんと付けていることに感心するとともに、けじめとしての、式の役割の大切さを改めて感じさせてくれました。卒園式が有ろうと無かろうと、小学校には入学できます。しかし、このことでも分かるように、たとえ幼児と言えども、「幼稚園生活が終わり、小学校に入学する」と言う、自らの心のけじめをしっかりと付け、新たな希望を心に抱いているのです。そして、小学校での入学式を経験することで、小学生としての自覚をしっかりと持ち、新たな希望に燃えて前に進もうとするのです。
4月には始業式と入園式をしました。不安に思いながらも入園した喜びと、進級して年中・年長組になった喜びとが、形としての式で、心のけじめとなり、自分のおかれた立場の自覚を促すこととなるのです。
このような心のけじめを担っている日は、お正月から始まって大晦日まで、日本文化の伝承や伝統行事の中に、たくさん有ります。近年は、このような伝統文化や行事が薄れてきていますが、子供の育ちの中で、心のけじめとなることだけでも、大切にしていきたいものです。
話は変わって、今年はさくらの花がずいぶんと早く咲きましたが、幼稚園にいるマガモも早くから卵を抱いていました。ところが、無精卵だったらしく、抱くのをあきらめ、巣箱から出てしまいました。卵を取り出して割ってみると、どの卵も腐っていました。そして、巣箱を掃除して、ワラを敷き詰めてやりました。すると、2週間ぐらいして、また卵を産み始め、再び、卵を抱いています。昨年のように、かわいいマガモの雛の姿を、今年も見ることができそうです
2002年5月4日 11:43 AM |
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平成13年度の最後の「園長のつぶやき」となりました。園長のつぶやきも何年も続いていますが、いつも原稿締め切りになって催促を受けながら書いています。テーマが見つかるまでは一行も書くことができないでいます。常に新しいテーマで書くことの辛さです。
2月10日に子供の城の落成式を行いましたが、その前々日の8日は、私の長女の結婚式でした。「この忙しいときに!」と思いながらも、結婚式に望みました。忙しさのおかげで、父親としての娘を取られるというような邪念を抱く暇も無く、あわただしさの中で、何とか無事に済ますことができました。
その間なし、今度は、幼稚園の先生の、旦那さんのお母さんが亡くなられ、お通夜とお葬式に参列しました。その先生には、小学校1年生と幼稚園年中組の二人の娘さんがいます。亡くなられたおばあさんにとっては内孫になります。出棺のとき、泣き狂う長女と、どこまで理解できているのか、周りの雰囲気に神妙な顔でうつむいたままの次女の、二人の娘の痛々しい姿が目に焼きついています。
結婚やお産もあれば死もある、当然のことながら、生きている以上、自分の身に降りかかるさまざまな出来事を、そのまま受け止めていかなければなりません。
義母を亡くしたその先生から手紙を貰いました。その一端を本人には無断で紹介します。
「‥(略)‥‥。長い闘病生活の間に、私たち家族は少しずつ気持ちを落ち着かせることができ、お母さんの最後の日を心静かに迎えました。苦しそうに息をするお母さんに、旦那は、『もうがんばらんでいいよ。今までよくがんばったよ。もう、いいよ』と、声をかけてあげたそうです。私は、家で、亡くなったお母さんが帰って来られるのを待ちながら、いろいろなことを思い出していました。一番思い出すのは長女がお腹に授かったときです。(注・結婚7年目) 庭で、お母さんに、『お母さん あのね 赤ちゃんができました 私‥‥』っていうと、お母さんは、そこに座り込んでしまって、『ちょっと待って‥腰がぬけたよ ホント? ホント?』と、ただただ、うれしそうに笑ってくださいました。
そのときの顔が‥‥忘れられません。一緒に住んでいて、辛いこともたくさんあったけど、やっぱり、あのときの笑顔を思い出すと、(私にはとっても優しい母だった、そして、子供たちにとっては、優しさ100点満点のおばあちゃんだったのだ)と、思えるのです。そして何より、私の大好きな旦那を生み育ててくださったお母さんです。私にとっても大切な人だったのです。‥(略)‥‥」と言う内容の手紙でした。
小さな孫二人は、「おばあちゃんはお星様になった」のだと聞いて、毎夜、夜空を見上げていると言います。二人の幼い娘さんにとっても、大変辛い経験だったことと思いますが、身近な人の死に直面することは、命の大切さを学んでいく大きな試練でもあったわけです。
話は変わって、先日、発表会の予行演習がありました。みんな落ち着いて堂々とした姿でやっています。予定のプログラムが終わったとき、年長組の先生が、「いかがでしたか?」と尋ねるので、「う~ん、少し涙が出たよ」と言うと、「え~、どこでですか?」と聞くので、「年長組バトンのとき」と答えて、ホールから園長室に帰ってきました。
そして、昨日、子供たちみんなに、がんばっていることをねぎらいながら、各保育室を回っていましたが、その年長組の部屋に行ったとき、担任がクラスの子供たちに、「ね~、この前の予行演習のとき、園長先生、みんなのことほめてくださったことを話したよね」と言いながら、「どんなことだったか、直接訊いてみようよ!」と子供たちを煽ります。すると、すぐさま女の子が、「バトンどうだった?」と訊くので、「うん~、みんなかわいくて上手だったので、涙が出た」と言うと、男の子もすかさず、「ソーラン節はどうだった? 泣いた」ときたので、「ううん、みんな元気でかっこいいので、園長先生も一緒に踊りたいと思った」と答えました。すると担任が、「園長先生、予行演習が終わったとき子供たちに、園長先生の言葉を、今と同じように伝えたら、子供たちは、なんて言ったと思います?」と訊きます。「???」と考えていると、「女の子が、園長先生はまだ若い!」と、そう言った子を指差しながら、教えてくれました。その子も、ニコニコしながら、うなずいています。
この時期、毎年のことですが、保育室を回ると、子供たちの成長振りを改めて感じざるを得ません。みんな落ち着いていて、堂々とした振る舞いなのです。年少組の子も、年中組の子もひとまわりふたまわりも大きく成長しているのです。そして、年長組のクラスに行くと、子供たちみんな明るく私を迎えてくれるのですが、その明るさゆえに、余計に悲しさがこみ上げてくるのです。もう、すっかりお姉さんお兄さんになっていて、「あ~、この子達とはもうすぐお別れなんだ」と、胸がジ~ンとしてくるのです。本当は、子供たち自身が、担任や友達との別れが近づいていることをしっかりと認識しているのです。それだけに、笑顔で迎えてくれることが、余計にいじらしく、また、人の気持ちを思い遣る素敵な子供たちに成長してくれていることを誇りに思うと同時に、出会いの後は必ず別れが来ることを改めて実感しています
2002年3月5日 2:55 PM |
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子供たちの、遊びの形態の中で大きな割合を占めているものに、「ごっこあそび」というのがあります。お母さんごっこやお店屋さんごっこなどが、その代表的なものですが、成長につれてごっこ遊びもだんだんと種類が変わってきます。お母さんごっこように、一番身近で大好きなお母さんの様子を再現するものから、お店屋さんごっこや病院ごっこ、電車ごっこのように、お母さんやお父さんと身近に経験したことから始まるごっこ遊びもあります。また、ウルトラマンごっこや怪獣ごっこ等、テレビのアニメからのもあれば、幼稚園生活の中で経験した行事などからもごっこ遊びに発展することがあります。
例年、音楽発表会が終わった後などは、子供たちだけで、先生になる子と園児になる子に分かれて、ごっこ遊びが始まります。木琴や太鼓を打つ指導をしたり、指揮をしながら、自分のクラスの友達に演奏させたりもします。どれも、先生の言っていることそのままのことを言いながら、声も身振りもそっくりにやっています。
これらはみな、模倣から始まるのですが、幼児は模倣することで大人の文化を吸収するといっても過言ではありません。
お母さんやお父さんにも思い当たることがあると思いますが、わが子が、お母さんやお父さんのしぐさそっくりにしていることがよくあります。模倣遊びは2歳ころから盛んになってきますが、3、4歳ころが一番頻繁に見られるようになってきます。
模倣には大人から見て二通りの種類に分けられます。一つは、鏡に向かって化粧をしているお母さんの様子を見て、その隣でお母さんそっくりのしぐさで自分も口紅を塗るように、その場ですぐに再現して遊ぶようなことです。
もう1つは、大人の行動をよく見ていて、それらを心の中にためておき、その子なりに事態を掌握または消化した後から再現しようとするものです。これは、眼前に無い出来事や経験を模倣再現します。ままごとや病院ごっこ、怪獣ごっこのような遊びです。これらの遊びを成り立たせるのに、何か実物を何かに置き換える「見立て」が大きな役割をします。砂をごはんに葉っぱをおかずに、木っ端を自動車にというように見立てて遊びます。このことは、すでに幼児がいろいろなものに対してイメージを記憶形成し、幼児個人のイメージの蓄積と関連付けながら、ある新しいイメージを生み出します。このような身近に見ことや経験したことを、ごっこ遊びで再現していくことで、その役割や出来事を自分のものとしていきます。これらの遊びを繰り返しすることで、経験を豊富にし、イメージを膨らませ想像力や作ったりする技能や創造力、友達との関わりの中でルールや社会性、文化を吸収していくことができるのです。
私の子供の頃は、男の子は戦争ごっこが中心で、木の棒を鉄砲や刀に見立てて、あぜ道や木の陰を砦にしたり、稲を刈った後の田んぼが戦場で、はんや(灰小屋)や川原や木の上に、木や竹で作った隠れ家を作って遊んでいました。その頃の子供は、戦争という大きな出来事を見聞きしていたからなのです。
先日の朝、まだ通園バスの一便が着く前に園庭に出て行くと、今田主任が「園長先生!」と深刻な顔をして、私を職員室に呼び入れます。入ってみると、年少のうめ組みの男の子たち6人が担任と一緒に座り込んでいます。「髪を見てください」と主任が言います。なんと、6人の頭は虎刈りになっているではあるませんか。
保育室には子供たちが自発的にいろいろな遊びができるように、ままごとコーナーや積み木コーナー、製作コーナー等発達過程に応じて、いろいろなコーナーを設定します。うめ組みの子供たち、いままでの経験の中から、すでに、はさみが上手に使えるようになって来ています。製作コーナーには画用紙や色紙などを用意して置いてあり、それらを使って、自分のイメージしたものを、切ったり貼ったりして遊びます。そこでの出来事でした。担任がバスに添乗していて、その間は、他のクラスの先生が時々様子を見に行くのですが、その隙間の出来事でした。一人の男の子が、仲良しの男の子のさんぱつを始めたのです。切る方も切られる方も楽しんでいます。それを見ていたほかの子供たちは、「おもしろそう」と、今度は自分の髪を切り始めます。そこに通りかかった隣のうめ組の子供も、早速、部屋に帰って自分たちも始めます。子供たちの話を総合すると、こういうことになります。そこに帰ってきた先生は、その様子を見てびっくり。でも子供たちはとても楽しそうにしているのです。そこで、先生は鏡を持ってきて、それぞれの子供の頭を鏡に写してやりました。それでも、ほとんどの子は鏡の自分を見てニコニコしています。中には、自分で切った髪を見て、「成功」と言っています。さんぱつ屋さんごっこになっているのですから、一生懸命切ったのですから、確かに成功なのです。担任はどうしたものかと、主任や園長に報告して相談しようと、子供たちを職員室につれてきたのです。他の先生たちも何人か集まっています。
笑うにも笑えず、お母さんたちに、どのように伝えてらいいいものかと、深刻な様子の先生たちの雰囲気を感じて、初めて大変なことをしたのだと気づいた様子で、しょんぼりし始めました。「楽しかったよね」と子供たちに声をかけて、お母さん方にはそのままを報告することになりました。
2002年2月5日 2:36 PM |
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子供たちの体操服で、来年度から長袖の体操服も揃えるかどうかを、職員会議で検討していて、見本を見てみることとなり、2学期も終わりに近い頃、業者に依頼しました。その1週間後、三次中央幼稚園用のオリジナルのデザインをもとに作った体操服を数点持ってきてもらいました。その服を見ながら話し合い、子供たちに着させてみようと、年長組の男の子と女の子一人ずつ園長室に来てもらいました。二人は、「しつれいします!」と園長室に入って来たものの、何の用事で呼ばれたかを知らせていなかったので、二人とも神妙な顔をしています。
「あのね、新しい体操服が、どれが似合うか、ちょっとモデルになってくれないかな?」と言うと、「やった~、ラッキー」と言って、自分たちの服を脱ぎ始め、下着だけになってくれました。ところが、すぐに着てくれるのかと思いきや、二人とも正座して、脱いだ服を丁寧にたたみ始めました。「すごい! 二人とも偉いね~」と、思わず声を発してしまいました。服を揃え終わって、それぞれデザインの違う体操服を着てくれました。周りで見ている大人の、「かわい!」と言う声を聞きながら、他のデザインの服もいろいろと試着してくれました。
「ありがとう。これで終わったから、脱いでいいよ」と言うと、体操服を脱いで、自分たちの服を着始めました。服を着終ると、また正座して、試着した体操服をたたみ始めるのです。またも、「すごい」と思いながら感心しながら見ていると、とても丁寧に折りたたんでいます。そして、たたみ終わると、両腕の手のひらに乗せて、業者の人に、「ありがとうございました」と言って、ちゃんと返しているのです。
「二人ともすごい! 偉い。とっても素敵よ。ありがとう」と、またまた、ほめずにはいられませんでした。
いや~ 不覚でした。保育室には、時々、子供たちの様子や活動を見に行くのですが、お帰りの支度のころになると、私も園長室に帰っていたので、服を着替えている様子をあまり意識して見ていなかったのです。
その感激した様子を先生たちにも伝え、そこまできちんと育ててくれていることのお礼も言いました。数日後の終業式の日には、その二人の子を、子供たち全員の前に立たせて、その出来事を紹介しました。
「園長先生ね、この前、とってもうれしいことがあったんだよ。ここに立ってくれている二人のお友達に、『新しい体操服はどれがいいかな~』と、いろいろな服のモデルになって着てみてもらったんだけど、終わったら、体操服をきちんと折りたたんで、『ありがとうございました』と言って、服を持って来てくれたおじさんに返してくれたんだよ。園長先生、感激したんだよ。とってもうれしかったんだよ。きっと、年長さんぐらいになると、みんなもできるようになっていると思うけど、とってもうれしかったから、皆さんに紹介しました」と話しました。
そのことで、とても心地よい思いで二学期を終了しましたが、この冬休みも卒園児が幼稚園に尋ねてきてくれました。それも、8月31日の大晦日の日に、昭和56年3月、第10回卒園児の雅敏君と、58年3月、第12回卒園児の忍君の二人の兄弟が来てくれたのです。お兄ちゃんは27歳の183センチ、弟は25歳の178センチと体格の立派な好青年になっています。
しばらく一緒に幼稚園の園庭を見て回りました。水車や動物園のこともしっかり覚えていましたが、幼稚園の様子が当時よりずいぶんと変わっていて、目を丸くしていました。しばらくして、園長室に案内しましたが、二人とも玄関で靴をきちんと揃えなおして、改めて挨拶をして、園長室に入ります。
この二人のことで私が一番覚えているのは、三次中央幼稚園のママさんバレー部で、夜、市や小学校の体育館を借りて練習をしていて、私も時々練習を見に行っていましたが、その時に、一緒に来ている子供たちの子守役のように、肩車やおっかけっこをしたり、バレーボールを一緒に蹴ったり投げたりしてよく遊んでいました。その中の2人が突然、大人になって来てくれたのですから、懐かしさや嬉しさ、そして、喜びとともに、年月の経過を身にしみて感じることとなりました。
その二人の苗字は福原君。お兄さんは広島の企業で働いています。そうです。弟の忍君は阪神タイガースのピッチャーです。
昨年の1年間、建築工事や、保育園の認可に関する国や県、社会福祉・医療事業団等に提出するさまざまな書類に追われ、土日も無く仕事をしていた私にとって、この二つの心休まる出来事は、一年間の疲れを一度に吹っ飛ばしてくれた感じがしています。
正月になっても、動物たちのえさやりや動物小屋の掃除を欠かすことはできません。正月2日、3日には大雪となりました。
手が凍てつく寒さの中で水を流しながら小屋を洗うのですが、大人になっても、「動物のことをしっかりと覚えている」と言ってくれた、福原君兄弟の言葉を思い浮かべて、楽しく掃除ができました。
私たちは、子供たちのより望ましい発達や成長を求めて仕事をしていますから、子供たちの成長振りを感じるたびに、子供たちから大きな感動や喜びを貰います。誰か悲しい思いをしている子供がいると、一緒に悲しんで、その悲しみを受け止め、分かち合います。それが私たちの仕事なのです。嬉しいことも悲しいことも、ともに生活する中で、人間としてのかかわりを深めながら、子供たちがより心豊かな人間に育ってくれることを願っているのです。保護者の皆さんがわが子の成長を願われるように、卒園してからも、ずっと気にしているのです。
卒園していった子供たちは、大人になったころには、幼稚園でのことはほとんど忘れています。それでいいのです。忘れてしまっていても、「いまのあなたの心と体には、きっと、幼稚園での生活で培ったことが根付いてくれている」と、信じていますから。
今年もいいスタートができる年末の心地よい二つの出来事でした。
2002年1月4日 5:00 PM |
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11月19日(月)は、参観日の振り替え休日でしたが、プレイルームの子供たちは、朝から幼稚園に登園して来ました。その日の午前中、園庭に出てみると、子供たちが先生と一緒になって落ち葉をいっぱい集めて遊んでいます。「なにしてあそんでいるの」と尋ねると、子供たちは、「たき火ごっこをしているの」と応えます。
「そう、サツマイモを焼くんだ~」と言うと、そばにいたあずさ先生が、「この前の避難訓練のときに、消防署から来られた消防士さんに『たき火をして、いも焼きすると子供たちがきっと喜ぶでしょうね』」と話したら、「消防士さんに『葉っぱを焼くのは大丈夫ですよ』」と言われてたんですけどね。」と、にこやかにい言ます。「ごっこ遊びじゃなくて、サツマイモがまだ残っているのだから、本当に焼いたら」と私が言うと、きっと、園庭で落ち葉を焼いてはいけないと思い込んでいたのでしょう。先生のほうが「え!! 本当に火をつけても良いんですか?」と驚いています。
先生は、さっそく、子供たちに、「ほんとうにやきいもしてもいいんだって! みんなやろう!やろう!」と声をかけると、子供たちは大喜びで、「え~ ほんとうに?」、「やった!!」と言いながら、必死になって、再び落ち葉を拾い始め、落ち葉の山を作り始めました。私は、ほかの仕事が忙しく、ずっとそこにいることができませんでしたので、ここから先の話は、子供たちと一緒にたき火をしたあずさ先生に書いてもらいました。
あずさせんせいの記録から
本当に火をつけることなんか半信半疑だった子供たちは、「よしゃ~!!」と掛け声をかけながら落ち葉を砂場用のスコップで集めています。気がつくと、プレイルームの子供たち全員が落ち葉集めに夢中になっています。「スコップでは砂が入って燃えなくなるよ。砂が入らないようにしよう」と言うと、「分かった!」と言って、砂が混ざらないように、素手で丁寧に落ち葉を集めます。
子供たちの、小さな手いっぱいに落ち葉を抱えて、何度も何度も運んできます。ついに、葉っぱの山ができて、物置小屋にサツマイモを取りにいくことになりました。「もってきたよ~」と見せてくれたお芋は、どれも大きなものばかりでした。
いざ、お芋を焼くぞというとき、子供たちは、このお芋を洗ったほうが良いか、洗わないほうが良いか、もめ始めました。食べ物だから洗うのは当然と言う女の子と、洗うと濡れるから火がつかないと言う男の子、結局、「洗ったあと、きれいに拭いたらいいんじゃ~」と言う女の子の一言で解決。せっせと洗って水分をふき取り、落ち葉の山の中に入れます。点火用に新聞紙をくしゃくしゃに丸めて、いざ点火!! 誰からとなく歌い始めた「たき火の歌」。おそらく、ほとんど、生まれて初めてたき火を経験する、子供たちの、ワクワクドキドキとしている気持ちが伝わってくる感じです。
ふと見ると、砂場のバケツに、いつの間にか水を汲んで持ってきてくれています。先日の、避難訓練のときの消防士さんの、お話が生かされています。火をつけて、みんなで「たき火だ♪たき火だ♪」と歌うものの、新聞紙だけが燃えて、葉っぱには、なかなか火がつきません。私が困っていると、Kくんが、「生の葉っぱじゃけ~よ~」と、一言。遠い昔、私のおばあちゃんがしていたたき火にあたったことはあるけれども、たき火に関しては初心者に近い私は、「そうか~」と、妙に感心しながらも、どうにか火をつけなきゃと、必死です。
そんな様子を見かねてか、園長先生が登場。まさしく救いの神!!
「先日の園外保育で拾った木をもってきてごらん」、「こういう風に風を送るんだよ」等々、教えてもらいながら、その指示を、すばやく行動に移す子供たち。私があんなに頑張っても燃えなかったのに、園長先生の手にかかると、「あ~ら不思議」、あっという間に火がおこり、パチパチと木や落ち葉が燃え始めました。そこに、「ああ、懐かしい、いい匂い!!」と、深呼吸をしながら文子先生もやってきました。
火をつけて間もないのに、火を囲んでいた子供たちは、「もうできた?」、「もう食べられる?」と、口々に聞いてきます。食べ物の出来上がりを、今か、いまかと心待ちにする経験は、おそらく、この子たちは、あまりしたことがないのだろうなと思いながら、「まだ、まだだよ」と言いながら、うちわであおぎ続けていました。
そうしている間に、お昼になったので、「火は先生が見ているから、とりあえず、給食を食べておいで」と言うと、「急いで食べてくるけ~ね」と、名残り惜しそうにプレイルームに入っていきました。その中で一人の男の子が、「あずさ先生がさびしけ~ ぼくもおってあげるよ」と言います。「ありがとう。大丈夫だよ。ごはん食べておいでよ」と言っても、「ここにおる」と言って、結局、2人で火が消えないように見守ることにしました。
(2人でこっそり食べたおイモのおいしかったこと・・・・・・)
園長先生に、度々、火の様子を見にきてもらったおかげで、そろそろ、お芋が焼け始めたころ、タイミングよく現れる直子先生、休暇のはずの美穂先生や一樹先生とその家族。「たき火って、人を寄せ付けるパワーがあるのかしら・・・・・?!」。お昼を食べ終えた子供たちが、また外に出てきた頃、1つ、また1つと、お芋が焼けてきます。アツアツのホクホクのお芋を口にしたときの、あの満足そうな子供たちの表情は最高でした。しかも、ちゃんと、年少のうめ組さんから先に食べさせてくれる、年中・年長のもも組・さくら組さんの、いたわりの心があふれている様子を目の当たりにして、異年齢とのかかわりの中で、夕方まで一緒に生活することで、しっかりと相手を思いやる気持ちが培われていることを、うれしく思いました。
ヤキイモは、一人ひとりがおなかいっぱいになるほどの量ではなかったかもしれないけれども、なんだか、ものすごく満たされて、おなかも心も温かくなったような気がします。この1つのたき火の周りで、子供たちと一緒に、いろいろなことを感じ、すてきな経験ができたという、満足感でいっぱいの一日でした。
2001年12月4日 4:51 PM |
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