幼稚園に卒園児が時々訪ねて来てくれます。卒園して間無しの子もいれば、小学校の高学年の子、中学生や高校生もいます。そして大学生や、社会人となってからも訪ねて来てくれます。この夏にも何人か訪ねて来てくれました。そのうち、数人の子のことを紹介します。
7月の中旬、事務室で、「美穂先生に会いたいんです。中に入っても良いですか?」と言う女性の声が聞こえたので、誰だろうと思って隣の園長室から出てみると、高校2年生の、やはり同じ美穂ちゃんと言う女の子で、制服を着て立っています。「今日、学校は?」とたずねると、「美穂先生にどうしても会いたくて1時間だけサボって来た」と言うのです。幼稚園の中に案内して行くと、もも組の前のテラスに美穂先生がいました。すぐさま抱き合って泣いています。「高校の先生は幼稚園の先生とは全然違うんよ」と、彼女なりの悩みがあるのか、不満そうに言っています。「この幼稚園に来ていなかったら、わたし、ぜったいグレていたよ。この幼稚園が好きじゃけ、迷惑掛けたらいけん思ってがんばっとるんよ。すごいええ幼稚園に来て今でも幸せじゃったと感謝しとるんよ」と泣きながら言っています。「そう、ありがとう。美穂ちゃんが幼稚園に感謝してくれているように、この幼稚園を選んでくれたお父さんお母さんにも感謝しなくちゃ」と美穂先生が言うと、「うん、そうじゃね」と、素直に答えています。「先生、結婚決まったんじゃろ。美穂はすごく喜んどるんじゃけ。わたしだけじゃないんじゃけ、男の子もみんな喜んどるよ。今日は、どうしてもおめでとうと言いたくて学校をサボって来たんよ。結婚式にはぜったいおしかけて行くけぇね」と言っています。なんと、美穂先生の後輩の先生が次々と先を越して結婚して行くのを、高校生になった卒園児までもが心配していてくれたのです。
夏休みになって間無しに、また、卒園児が訪ねて来てくれました。ちかちゃんと言う大学2年生の女の子です。年長組の時の担任だったあずさ先生とまだ文通が続いています。あずさ先生から、「園長先生、ちかちゃんが、今、幼稚園に来ていますよ」と、プレイルームで子供たちと遊んでいることを教えてくれました。急いでプレイルームに行ってみると、幼いときの面影を残したまま大人になっているちかちゃんがいます。「ちかちゃん」と、声をかけると、「わー、覚えてくれとって」と、すごく喜んでいます。「幼稚園の頃のこと覚えてる?」ときくと、「ところどころしか覚えていないけど、幼稚園に来たら何故かすごく気持ちがいい。いっぱいいっぱい話したい気分になって来る」と言います。「弟のTくん元気でいる?」と訊くと、「元気だけど、今すごく悩んでいるんよ。本当は一緒に来るって言っとったんだけど、朝になって行かん言いだしたんよ」と言います。身体に重度の障害を持って生まれて来た子で、とても信念の強い子です。小学生、中学生になっても頑張っている様子を風の便りで聞いていました。今は高校1年生ですが、その障害のことで友達からいじめを受け悩んでいたのです。「ちかちゃん、家に帰ったらTくんに必ず幼稚園に遊びに来るように言って。絶対気持ちが和むから」と言うと、「うん。必ず来るように話してみる」と言って帰りました。その子はまだ来ていませんが、お母さんがこられて、「今でもこんなに心配してくださっているのが嬉しい」と言われるのです。私は会うことが出来ませんでしたが、あずさ先生には会えて話が出来たようです。
もう一人女の子が、東京から訪ねて来てくれました。久美ちゃんと言う、もう26才の女性です。家族で東京に住んでいますが、高校を卒業してから、旅行会社に勤めていました。ところが、お母さんがくも膜下出血で倒れ、意識不明となり、会社に勤めながら看病をしていて、やっと自分のしたいことが見つかったと言います。「会社を辞めて、今から看護学校に入学しようと思うけど、歳が歳だから、悩んでいた」と言うのです。「でも、幼稚園に来てみて、なんだか勇気が沸いて来て、決心が付いた。しかも、園長先生がその歳で大学院に行ったと聞いて、余計にやる気が出て来た」と、元気に帰ってい来ました。
9月になってもう一人、28才になる圭紀くんです。かわいい彼女を連れて来て、私に仲人をお願いしたいと言うのです。その子は大学を卒業してから、1年ほど企業に勤め、今は村役場に勤めています。「役場の課長さんか部長さんにお願いする方が良いのでは」と薦めても、「どうしても園長先生にして欲しい」と言ってくれます。その子も、幼稚園の頃のことは余り覚えていません。
大人になった頃には幼稚園のことは、どの子もほとんど忘れてしまい、部分的にしか思い出すことはありません。それなのに、幼稚園を訪ねて来てくれるのです。しかも、幼稚園に来ると気持ちが和んだり、意欲が沸いて来たりすると言います。そうなんです。自分に生まれ育ったふるさとがあるのと同じように、心のふるさとが幼稚園なのです。記憶は薄れていても、心の奥底にある感性は、幼児期に育まれ、その子の人間性の基となっているのだと思います。豊かな生活体験を通して豊かな幼児期を過ごすことは、心豊かで、その子の人生を豊かなものにしてくれるのです。
1999年10月6日 2:58 PM |
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私が小学校2年生、3年生の時の担任に徳原つね子先生という方がいらっしゃいました。もう、すでに50年近く前になります。私たちの担任を最後に定年退職(当時、女教師の定年は40才でした。)されたので、それ以後、お会いすることもなく過ごしていました。
ちょっと照れくさい話になりますが、私たち夫婦の結婚が決まったとき、その先生に、「私のお嫁さんを見てもらいたい」という感情が突然に涌き出たのです。3年生の時の担任を最後にお会いすることもなかった先生なのに、なぜか無性にお会いしたくなったのです。ところが、とうの昔に引っ越されていて、お住まいが分かりません。田舎のお袋に聞いたら、広島の祇園町に引っ越されたという記憶があるというので、祇園町ということだけを頼りに、捜し歩いたのです。交番で尋ねても分かりません。そして、祇園町の西原というところで、「徳原酒店」という看板を見つけ、同じ名字なので、もしかしたら親戚かもしれないと、お店のドアを開けて中に入って行きました。そこには、おじいさんが一人立っておられました。「実は、世羅郡三川村の伊尾小学校というところに、徳原つね子先生という方がいらしたのですが、同じ名字なので、もしかして、親戚ではないかと思って伺いました」と尋ねるなり、「あ、それは、わしの家内よ」と言われた途端に、涙がぽろぽろと沸き落ちるのです。そして、その先生の顔を見るなり、わんわんと声を出して泣いてしまったのです。
その時には、その先生に、ぼくのお嫁さんを見て欲しいとか、声を出して泣くなど、どうしてこんな感情になるのか、自分自身、はっきりとは分かりませんでした。そして、結婚式に来ていただき、お嫁さんを見ていただくことが出来たのです。
そして、それから15年経ったある日、その先生が、ご長男に背負われて私の家に訪ねてきてくださったのです。ところが、「まさひろちゃん、一生のお願いがある」と、おっしゃるのです。何事かと思っていると、「私が死んだら弔辞を詠んで欲しい」と言われるのです。恩師からそのようなことを言われることは、教え子としてはとても名誉なこととは思ったのですが、「分かりました」とも言えず、「そんなことを言わないで、一日でも長くお元気でいてください」としか言えないでいると、「たのんだよ、たのんだからね」と、私の手をしっかりと握って帰って行かれました。
その後も、時々お尋ねはしていたのですが、大学院での研究生活に入ってからの、この2年間余り、ご無沙汰をしていました。
そして、7月18日の早朝に、先生のご長男から電話がかかってきて、先生の訃報に接したのです。そして、すぐにかけ付け、先生の棺にお祈りを済ますなり、ご長男が、「あなたのことが,ここに書いてあるよ」と、「あさの風」という一冊の歌集を渡してくださいました。そこに詠ってある詩は、「玄関に見知らぬ紳士の涙ぐむ アツ!! クラス一のわんぱくなりし」という和歌でした。また、号泣してしまいました。
そうなんです。ほんとうにわんぱく者の児童期を過ごしていたのです。 どうして、お嫁さんを見て欲しいとか、再会したときどうして号泣するほどの感情を抱いたかが、結婚が決まったときには、まだはっきりとは分かりませんでしたが、その後の園児との生活を通して分かってきたのです。家に帰って教科書も開いたこともなく、宿題も一回もやってきたことのない、わんぱくばかりしていた私の短所も長所も含めた全てを受け止めてくださっていたのだということが分かったのです。私の全てを受容してくださっていたからこそ、今の自分があるのだと確信が持てたのです。
子供は、親を中心とした周りの人たちの愛情を支えに成長していきます。親から見て良いところも悪いところも有ります。その長所短所も含めてわが子なのです。わが子の全てをありのままに受け止めてやることが、その子の成長にとって大きな支えになるのです。他の子と比較するのではなく、その子の全てを、その子の個性や特性として受け止めてやって欲しいのです。子供は、自分を認めてもらうことで、正しく成長していくのです。 先生のご霊前で教え子を代表して弔辞を読みました。行年90歳のご長寿でした。弔辞を詠ませて戴いたことが、私の人生の中で最高の勲章です。
1999年9月6日 2:36 PM |
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先日のバザーの日、お手伝いにきてくださっていた年少組のMちゃんのお父さんが、携帯電話でお母さんと話しておられたので、途中、私と電話を換わってもらいました。『Mちゃんのおかあさんですか? いつもお世話になります。Mちゃんは園庭で私を見つけると、すぐに飛んできて、「園長先生、ブランコ押して!」と、毎日のように手を引っ張って連れていくんですよ。それも、ただ押すのではなくて、ブランコを上に高く持ち上げて、落とすように降ろすとすごく喜ぶんですよ』と話しました。すると、お母さんは意外にも、「そうなんですよ、うちの子はおじいちゃんがだいすきなんですよ」といわれるのです。
「え~、おじいちゃんですか?」というと、お母さんは「…………」と、一瞬、息を詰まらされた様子でした。
「そうなんだ、園長という呼称があるから、子供たちは園長先生と呼んでいるけど、子供たちにとってはおじいちゃんなんだ」と、変に納得してしまいました。
実は先月、孫に会いに妻と鹿児島まで行ってきました。(いや~、孫に会いにいってくると出かけたので、帰ってきてからが大変)。
「お孫さんに会いに行かれたと聞きましたが、子供さんは結婚されたんですか?」と、何人もの人から聞かれる羽目になってしまいました。1才半になる萌音(モネ)ちゃんという女の子なのですが、3月までいた大学院の寮で一緒だった同期生の娘さんなのです。同期生といっても、まだ30才前です。その萌音ちゃんが、私を見つけると、「じぃじぃ、じぃじぃ」といっては抱っこすることを求めてくれるのです。その子のお父さんやお母さんが、『おいで』といっても、「いや!」といって、私にしがみつきます。鹿児島での2日間、食事をするときも風呂に入るときも、私とずっと一緒で、しっかりとおじいちゃんの生活を楽しませてくれました。
昔から、孫は「わが子よりかわいい」 とか、「目に入れてもいたくない」とかいいますが、本当にかわいくて仕方がないということを実感することが出来たのです。このように、ほとんどのおじいちゃんやおばあちゃんは、孫のことがかわいくて仕方がないのだと思います。では、わが子が小さいとき、孫ほどかわいくなかったのかというと、そうではなく、わが子のときは子育ての大変さに追われて、孫に接すると同じような、精神的な余裕が持てないだけだと思います。その証拠に、これも昔から、「孫来て良し、帰って良し」 といわれてきたように、孫が来てくれたら嬉しいし、でも、ずっと一緒にいたら疲れてしまい、帰ってくれてほっとするのです。毎日毎日、24時間、責任を持たないで良いから、かわいさを楽しめるのだと思います。
一方、孫の方はというと、いつも抱っこしてくれたり、おいしいものをくれたり、一緒に遊んでくれるやさしいおじいちゃんやおばあちゃんがだいすきなのです。しつけのことも、親がやってくれていますから、余りしかられたりしないですむのです。何をいっても、何をしても「お~、よし、よし」と、全てを受け止めてくれるおじいちゃん、おばあちゃんだから、だいすきなのだと思います。
子育てをする親の方も、おじいちゃん、おばあちゃんから子育ての知恵を受けることが出来るし、子供がおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に遊んでもらっている間は、他のことをしたり休んだりと、子育てにも余裕が持てるようになり、嫁、姑の問題があるとしても、精神的にもずいぶんと助かることが多いのです。
このように、子供たちが、周りの人からしっかりと愛を受けて育つことで、子供の情緒が安定し、情緒の安定は自主性の発達を促し、いろいろなことへの適応能力や知能の発達を促す基となるのです。
今は一緒に住んでいなくても、里に帰るとおじいちゃん、おばあちゃんのいらっしゃる方も多いと思います。夏休みは、是非ともおじいちゃん、おばあちゃんとの生活を多く持たせてやって欲しく思います
1999年7月6日 2:27 PM |
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動物を飼育していると、いろいろな出来事に出会います。前号では飛べないアヒルについて書きましたが、そのアヒルの池に、新たに、つがいのカルガモをもらって飼育していました。なかよし夫婦で、間なしに7個の卵を生み、一生懸命温めていました。そして、カラスがその卵をねらって毎日のようにやってくるので、タフロープでネットを作り、池を覆って、カラスよけにしていました。これでカルガモも安心して卵を抱けるだろうと思っていました。
ところが、タフロープのネットを張って1週間もたたないある朝、その池に行ってみると、なんと無残にもそのネットがカラスにメチャクチャに食いちぎられているのです。カモの卵は無事残っていて、安心したのもつかの間、母親のカモが水の中から上がれないほど、すっかり弱って、クタクタになっているのです。直ぐに、網ですくってやって巣箱に戻してやりましたが、クチバシを床の上に投げ出し、顔も持ち上げれられないほどの衰弱ぶりです。卵を襲いに来たカラスと必死に戦ったことが容易に推察できました。
ところが、父親のカルガモは元気いっぱいなのです。「おまえ、なにやっていたんだ!」と思うほど、元気なのです。カラスと戦ってはいない風なのです。やはり、命をかけて子供を守ろうとする母親はすごいと、感心すると同時に、父親の知らん顔をしている姿に腹が立つやら、同じ男として情けないやら、複雑な心境でした。そして、次の朝、悲しいことに、母親は水の中に浮いて死んでいました。残念ながら、その間、冷え切ってしまった卵も救ってやることが出来ませんでした。
そのことがあってしばらくして、カルガモを襲ったそのカラスが、今度は、ツバメの巣にねらいを定めています。ツバメの巣も、毎年のように襲われていました。今度こそ、カラスから守ってやらなければと、カラスが襲ってくるのを追い払うために、毎朝、4時半に起きて、5時頃から近くの電柱にきているカラスを追い払っていました。たいてい、朝早くと夕方やってくるので、その頃には気が抜けません。そして、卵を抱き始めて2週間が経過して、4羽の雛が生まれました。カラスが近くにくるのも頻繁になってきました。そのたびにカラスを追い払いました。
そして、雛もだいぶ大きくなったある日曜日の朝、4時頃からカラスの鳴き声がするので、飛び起きて、外に出てみました。すると、近くにきているカラスをめがけて、2羽の親ツバメが低空飛行や急降下しながらカラスに向かって果敢に戦っているのです。それでもカラスは動じることなく、ツバメの巣に近づこうとしています。そこで私は、木の棒を投げて、何回も近づこうとするカラスを追いやりました。あきらめて飛び立って行ったカラスを見届けて、日曜日なので、久しぶりにゆっくり寝ようと、また、ベットに入りました。
朝、10時頃までゆっくりして、遅い朝食をとった後、幼稚園の動物たちに餌をやらなければと外に出て、ツバメの巣を見上げると、なんと、1羽もいないのです。「やられた!」と、悔しいやら、腹が立つやらで、何とかカラスを退治する方法はないものかと、1日中、思案ばかりしていました。
そして、夕方になって、動物の飼育と小屋の掃除をしなければと、また、外に出ました。すると、ツバメの餌をもらう泣き声が、激しく聞こえるのです。見上げると、2階のテラスの手すりに4羽の雛が止まっているでは有りませんか。「助かってる!」。そして、空をスイスイと飛び回るのです。涙が出そうなほど嬉しく感じました。
その日の朝に、4羽とも無事育って、巣立っていたのです。その日の夜は、巣の近くに止まって寝ていましたが、次の日からは、どこかに飛び立って行ってしまいました。その後は、電線に時々止まっているツバメを見かけますが、そのツバメかどうか分かりません。そしてまた、2回目の巣作りをはじめています。その巣も間もなく出来あがりそうです。また、カラスを追い払うため、早起きが始まります。
お子さんが小動物を飼育していると、その動物の誕生の感動や死の悲しみに出会います。一生懸命飼育するほど、その誕生の感動や死の悲しみの深さが一層大きなものとなります。そして、その現実をしっかりと受け止めることが出来ます。思いやりや命を大切にする気持ちも大きく育まれ、お子さんの成長過程の中で大切な経験となるのです
1999年7月6日 2:16 PM |
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アヒルは水に浮いてすいすいと泳ぎます。病気やけがのない限り、当然のことながら泳げます。私たちはそう思っています。
先月のゴールデンウイークのときに、呉市の、ある幼稚園から、オスのアヒル2羽と、キンケイ鳥や孔雀をもらってきました。キンケイ鳥や孔雀は鳥小屋に入れて、アヒル2羽は池に入れ、以前から幼稚園にいるカモといっしょにしてやりました。
ところが次の朝、動物たちのところに行って見ると、アヒルが1羽、水に浮かんで死んでいるのです。原因がまったくわかりませんでした。そして、連休中も毎日、えさをやったり掃除をしていたのですが、残った1羽のアヒルが、いつも寝床の板の上にいて、水の中に入っているのを見たことがありません。最初は、体の調子でも悪いのかと思っていましたが、元気にえさも食べるし、病気の様子も感じられません。野菜を池の中に投げ入れてやると、カモはすぐに水の中に入って野菜を食べるのですが、アヒルは床の上から首を伸ばし、池の中にくちばしを入れて、近くの野菜だけを食べています。いっこうに、水の中に入って食べようとはしないのです。
そこで、池の中にある野菜を食べさせようと、木の棒で追いやると、水の中に逃げるように飛び込みました。ところが、びっくり! 首と胸を上げて、足をバタバタしておおあわての様子なのです。泳げない人がおぼれたとき、首を一生懸命上げて、手をバタバタしているときのような感じなのです。そして、なんとか寝床の板にたどり着き、やっとそのうえに上がりました。なんと、泳げないのです。
1羽のアヒルが死んだ原因がわかりました。最初の日に水の中に入ったアヒルが、恐らく夜なか中、バタバタとして、床に上がれなくて、疲れて溺れ死んだのです。私たちは、アヒルは泳げるものと、疑うことなく信じています。そう思い込んでいます。ところが、もらってきたアヒルは、2羽とも泳げなかったのです。思い込みの怖さを改めて感じました。
そこで、水の中に追いやって泳ぐ練習です。カモがいるので、そのしぐさを見ていて、カモが羽を広げてバタバタして体を洗うと、まねて、同じようにしています。カモが泳ぐのと同じように、胸まで水の中に浸けて、なんとか落ち着いて泳いでいます。
ところが、また、事件が起こりました。羊の毛がりをした次の日の朝早く、アヒルの池に行ってみると、カモがいないのです。探しましたがどこにもいません。羽根が散っている様子もありませんので、猫に襲われた風でもありません。飛んで逃げたのです。飛べないように、羽根を少し切ってあったのですが、いつのまにか生えそろっていたのです。そのカモはメスでしたので、もしかして、泳げないオスのアヒルに愛想を尽かして、出て行ったのかもしれません。
カモが出て行ってからも、アヒルを水の中に追いやると、なんと、泳ぎがぎこちなく、胸を上げておぼれるように、またバタバタとしているではありませんか。本能的に泳げるのかと思ったら、どうも、親や仲間の泳ぎを見て覚えるようです。
そのアヒルが、なぜ泳げなかったかというと、前の幼稚園で飼育されていたとき、泳ぐことの出来ない浅い池だったことと、泳いでいる仲間も見たことがなく、生まれたときから泳いだことがないのです。
このことで、子供たちの周りの環境や経験がいかに大事かを改めて感じました。子供たちは好奇心の塊ですが、その好奇心を引き出す環境と、そこでのいろいろな遊びを通しての経験が、さまざまな能力を獲得させ、生きる力となっていくのです。先日も、転入してきた、いつもは明るい元気な年長組の女の子が、しょんぼりしているので、「どうしたの?今日は元気がないじゃない」と声をかけて、他の子供たちと遊んでいたら、その女の子が後から追いかけてきて、「園長先生、見て!はだしになったの。わたしはじめてなの!」と嬉しそうです。「気持ちいいでしょう」というと、「うん」といって、以前の明るい元気な顔に戻って、友達のところに走っていきます。みんな、はだしで泥や水で遊んでいるのに、その子は、今まで、はだしになれなかったのです。
やはり、幼児期には幼児期の、その年齢に即した、経験すべきことを経験して育たないと、泳げないアヒルと同じことになるのです。
1999年6月6日 1:56 PM |
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